映画『アレクサンドリア』(2009西)
映画『アレクサンドリア』(2009西)観ました。久々にDVD借りました。先日読んだ新プラトン主義についての本でこの映画が紹介されてて知ったのですが。古代末期頃のアレクサンドリアで活動した伝説的な女性哲学者(どちらかというと今の理系科学者?)ヒュパティアが殺害されるまえでを描く。アレクサンドリアのキュリロス等々、歴史上の人物が登場しており、なかなか面白かったです。歴史的な背景をよく再現しており、登場人物のメイク等は、もしかしたら、後の中世あるいは近代以降に描かれた絵画なども参考にしているのではないかと思わしきところもあります。それにしてもヨーロッパの映画なのにキリスト教があそこまで悪く描かれているというのは、昨今のヨーロッパ事情を感じさせるものがあります。主役と敵役でキャラ的に善悪をはっきり分けすぎていて、どちらも単純に見えてしまって深みのないシナリオだな、というのはちょっと感じました。しかしおかげで極めてわかりやすいです。ウィキペディアで調べるときは、ヒュパティアではなくて、アレクサンドリアのキュリロスの方で検索した方がよくわかるかと思います。

話は変わりますが、トヨタ・ラクティスの半年点検を済ませました。特になんら不良もなく、フューエルワンを注入しただけの追加料金でした。できれば13年くらい使いたいかと思っておりましたので、これで6.5年乗ったので、想定の半分が過ぎたことなります。据え付けのナビの地図を更新しようかと思ったら、2万円かかるうえに、この機種は2018年の地図が最後の更新でしたと言われたのですが、据え付けのナビの製品寿命短すぎますな。車本体の寿命の1/3しかないとか。スマホのナビの方が百倍ましであるな。それはともかくとして6.5年乗って一度も故障してないのはありがたい。故障しないというのは費用面でも時間をロスしないという意味で非常にコストパフォーマンスが高いことであります。あと、今年は任意保険料が若干安くなったのである。車の価値自体が減ってきているので。親のアクアは車格が上であるということで、妙に保険料高いのだが、ラクティスとの違いはハイブリットかどうかくらいしかないような気がするのだが。保険料がけっこう高くなるので、燃費で回収できてないぞ、ハイブリッド車。とはいいつつ、町乗りだとモーターがあるとやはりスイスイ動いて気分いいので、その意味ではやはりランクは上なのか。

| 映画 | 12:36 AM | comments (0) | trackback (0) |
バロック芸術について語る動画 その1
新作動画です。


ルイ14世と作曲家リュリを描いた映画で『王は踊る』というがあるのですが、一部では有名ですが一般的にはあまり知られてないのがちょっと残念なところですが、リュリ、モリエール、ルイ14世について、あるいはバロック芸術全般について参考になるのではないかと紹介する動画です。

バロックとは何か、といろいろ考えておりました。バロック期の絵画を好きな人はたくさんいらっしゃいます。油彩画家の方にはとくに多いと思います。中でも、フェルメール、レンブラント、その他オランダの風俗画、静物画、風景画などは現代の日本人にも共感しやすいもので、人気があるかと思います。宗教改革の後にプロテスタント側になった国々の絵であることが多いです。しかし、歴史的にバロックというものの流れを考えますと、本筋はカトリック側にあるわけで、バロック美術を楽しむにはそちらをよく勉強することが大事ではないか、というふうなことを考えていました。また反宗教改革という側面では、宗教的なことに関して勉強するといいわけですが、世俗権力者もまたバロックという流れに乗ってる的な風に考えると、そのような面での理解も不可欠であろうかと思ったりするのですが、『王は踊る』これは、その理解の一助になるのではないかというふうに思って、今回動画でそのような話をしてみました。

なお、日本では絵画作品と音楽が、バロック期芸術を鑑賞する際の代表的なジャンルですが、バロックと言えばなんと言っても建築物こそが主役であると言えます。建築物だけでなく、都市空間的演出も重要な要素です。さらにバロック音楽においても、絵画と同じようなことが言えます。現代ではバロック音楽と言えばバッハ、というくらい人気がありますが、バッハはバロック後期の作曲家であり、しかも生前はローカルな作曲家であったので、バロック音楽の歴史という点からは、バッハだけ見ていてはわからないことも多い。ということで、続編として都市をテーマにした動画も撮ってあります。また、できれば音楽についてもまとめてみたいのですが、鳥越さんはすでに飽きているかもしれません。それとやっぱり再生数が芳しくありません。

| 映画 | 06:22 PM | comments (0) | trackback (0) |
カタコンベに行ってみよう!
映画『薔薇の名前』について語る第4弾、最終回です。


相変わらず動画の再生数が延びませんが、仕方ないとこです。本ブログでは原作についても語らねばならないと思いますつつ久々にページを開いてみましたが、原作を読んだのはかなり昔の話でして、それからヨーロッパ中世に関する本をやまほど読んだということもあって、改めてあちこち見てみたら、何気なく出てくる人名とかが、みんなけっこうなじみ深いものだったりして、非常に面白いとか、そんなレベルじゃないくらい興味深いという感じでだいぶ印象が変わりました。中世神学とかその辺も踏まえると益々楽しめるものだと思いました。今すぐ読み返してみたいところですが、思わず中世関連の本をまとめ買いしてしまったので、それを読んでからの楽しみとしたいと思います。そして、原作について語るにはまだまだ勉強不足だと感じたので、それは止めにして、その他のことをちらほらと。

動画ではカタコンベについて話題になっていますが、ヨーロッパの大きな教会や聖堂の地下にはたいていカタコンベというものがあって、髑髏がやまほど積まれています。そして、たいてい見学できるようになっています。ガイドツアーに参加する形式が多いようです。ただし、有名な聖堂の場合は、整備され過ぎてしまって、綺麗すぎてリアル感がなくなっていることもあります。ウィーン市だと、有名なシュテファンドームのカタコンベは、観光客向けに綺麗になり過ぎていたかな、という記憶があります。ウィーン市ですと、聖ミカエル教会のカタコンベが比較的昔のままのリアルさを残していたような気がします。
昔のことなので、記憶が曖昧なのですが、以下の動画がたぶんそれかな、と。


映画に出てくるようなカタコンベではありませんが、カプツィーナー納骨堂は必見と言えるでしょう。マリアテレジアを初めとする、ハプスブルク家の納骨堂で、世界史に登場する皇帝、皇后、その子孫らが埋葬されているのですが、マリアテレジアの棺の豪華さはすさまじいものがあります。奥の方にゆくと非常に小さな棺がたくさんあるのですが、親近婚をくり返すうちに乳児死亡率が高くなっていたようで、小さな棺が並んでいる部屋はちょっと怖い感じがしました。最近ではオットー・フォン・ハプスブルクも埋葬されたそうです。神聖ローマ帝国もオーストリア帝国も今は無くなっていますが、私などには全く縁がないことですが、ハプスブルク家は今でもヨーロッパ貴族階級の頂点として君臨しているのかもしれません→『世界の富の99%はハプスブルク家と英国王室が握っている』

私がいろいろ訪ねる機会があった図書館の中でも、もっとも印象に残っているのは、ウィーンのプルンクザールです。
かつて王宮だった建物の一角にかった記憶がありましたが、なかなかすごいです。薔薇の名前とはそんな関係ないですけれども、豪華本も多数拝めます。
https://www.onb.ac.at/en/rent-support/renting-premises/state-hall/

図書館としては大英図書館が有名ですが、昔は大英博物館内にあったのですが、現在は図書館は別に場所に移動しています。図書の閲覧は研究者などではないとできなかったような気がしますが、展示室があって、有名な図書を見ることができました。ベオウルフの写本とか、マグナカルタなどあったような。けっこうたくさん見ることができました。

| 映画 | 12:41 AM | comments (0) | trackback (0) |
薔薇の名前について語る動画の第3弾、写本制作の動画やらいろいろ
映画『薔薇の名前』について語る動画の第3弾です。


動画内で紹介しているMedieval Craftsmen Scribes and Illuminatorsという本ですが、これは非常によい本です。是非お手元に一冊ということですが、これはMedieval Craftsmenというシリーズの一冊で、他にもいろいろな職人のものが出版されています。Painters (Medieval Craftsmen)は中世の画家について。Glass-Paintersはステンドグラス?、Masons and Sculptorsは石工と彫刻家について。なお石工は建築家といえるでしょう。大聖堂などの石の建築は石工が経歴のスタートだったいうのを読んだ気がするのですが。他に、Medieval GoldsmithsEmbroiderersなどいろいろありましたが、これらの半分くらいは入手したものの、読む時間がない。時間がないというのは言い訳に過ぎませんので読まねば。

写本制作に関しては以下の動画がたいへん参考になります。素晴らしいです。

英語ですが、私ですら聞き取れるので、たぶんそれほど大きな困難はないと思います。
まずは羊皮紙の作り方から始まります。石灰水に浸けたりして処理したものを特別なナイフで毛や余分なものをそぎ落とし、またその間、枠に張って引っ張っていたりなど、しっかり映像化されております。羽ペンの作り方も紹介されています。鳥の羽を熱した砂に入れて固くして、それからナイフで形を作ります。なお、この映像を見て私もやってみましたが、いきなりはうまくいきませんでした。一応ちょっとは文字など書けましたが、すぐに駄目になってしまったのですが。インクはオークの虫瘤によるタンニンのインクについても一応触れられていますが、映像で使っているのはランプブラックのインクのようです。という具合で、写本制作について語られていきます。

ゴシック期、あるいはロマネスクもそうだと思いますが、彫刻に派手な色が塗られていたという話を動画でしておりますが、イメージとしては以下のブログの記事が参考になるかと思います。
http://coutances.blog62.fc2.com/blog-entry-5.html
夜に彫刻をライトアップして、彩色されていた状態を再現するイベントっぽいです。

| 映画 | 01:18 AM | comments (0) | trackback (0) |
中世とアリストテレスについて考えてみる
映画を紹介する動画 『薔薇の名前』 その2
#1の続きです。



さて、動画の中でもいろいろ語っておりますが、この映画、ある程度、中世に関する予備知識がないとよくわからないと思います。特に最後のオチはいったい何だよと思うかも知れません。なので、私ができる範囲で説明してみたいと思います。補足したいことも多々ありますので。

中世の初期から中期においては、文化の担い手は修道院でした。やがて都市が勃興し、技術は都市の職人へ、学問は大学へと主役的な役割が移行していきますが、映画の時代はもうすでにかなり移行してしまったという時代でしょう。テオフィルスが修道士だったのに対し、チェンニーニが職人だったのもそれを物語っているような気がします。映画において最後に大図書館が燃えてしまうのも、それを象徴していると言えます。大量の書物が燃えてしまってなんというもったいなことだろうと思ってしまいますが、もしかしたらその役割を終えたのかもしれません。

この物語でキーとなるのがアリストテレスの書です。その内容を巡って連続殺人事件が発生するわけですが、中世におけるアリストテレスの重要度がわかっていないと、きっと意味不明な結末と思われてしまうことでしょう。この時代、アリストテレスは非常に重要な存在でした。哲学、神学、自然科学などの学問においては、聖書と並ぶぐらいの存在感があったと言えます。それをちょっと手短に説明してみたいと思います。古典古代から中世の哲学の考え方として特徴的なのは、現実の世界の上位に普遍的な何かがあって、キリスト的にはそれは神ですが、それについて考察するのが学問といえました。プラトンのイデア思想をさらに特化した、現在では新プラトン主義と呼ばれる考え方と、キリスト教が結びついたという感じでしょうか。そのような考え方を通して、現実の物質や現象などについても考察を深めてゆくわけですが、現代人からみると自然科学のようなものはまるで進展しないように見えます。

一方、中世初期にはアリストテレスの本はヨーロッパにはほとんど伝わっていませんでした。アリストテレスはアラビアの方に伝わってイスラム勢力圏で盛んに研究されます。やがて、十字軍の往き来などで、アリストテレスとプトレマイオスが(アラビアから翻訳で)西洋に再び知られるようになります。これが12世紀ルネサンスというものです。アメリカの歴史家ハスキンズが提唱、著書『12世紀ルネサンス』という本に書かれています。日本語訳が出ていますが、日本人の著者が書いた伊東俊太郎(著)『十二世紀ルネサンス』(講談社学術文庫)が、入手しやすく、その後の成果もフィードバックされているので、こちらでもよろしいかと思います。15世紀の盛期イタリアルネサンスの前に、古代の哲学書が復興するという、ルネサンスがあったわけです。ギリシア・ローマの古典文化の書物の数々が翻訳され、文献的に古典復興が起こりました。大翻訳時代とも言われます。映画で最初に殺されるのもギリシア語翻訳家です。キーパーソンである盲目の老人はイベリア半島から来たという設定になっていたと思います(ちなみに、文書作成の下地としてはカール大帝の頃にカロリングルネサンスというのもありますが)。中世哲学の発展や考え方については、八木雄二(著)『神を哲学した中世 ヨーロッパ精神の源流』 (新潮選書) という本がお薦めの書と言えます。

アリストテレスはプラトンのイデア論とは違って、現実の物質について考える傾向があり、場合によっては、近代的な自然科学の発達を促した可能性もあるのですが、中世ヨーロッパの大学や修道院ではその違いはあまり伝わらず、専ら哲学する為(普遍について考える為)の道具として使われたようです。哲学ツールとして非常に優れていたようで(この件に関しては私の手には負えませんが)、深く考察するという面については深化して、たぶんその後の西洋哲学のベースになったのだと思われます。というわけで、大学や修道院では現代人が思うような自然科学、実験や追試をくり返すような自然科学には至らなかったのですが、チェンニーニなど、中世の職人による技法書を見ると(あるいは修道院でもテオフィルスのような役割の人の書を見ると)、仕事をする上で化学実験に近いことが日々くり返されるわけで、やがて職人階級において突出した成果が現れます。それに関しては山本義隆(著)『一六世紀文化革命 1』などが面白いので、合せて読んでみるといいんではないかと思います。

| 映画 | 04:25 AM | comments (0) | trackback (0) |

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