動画:バロックの音楽と絵画 その2
バロック芸術について考える動画シリーズの新作です。鳥越さんとバロック音楽について話しているというか、私が一方的に語っているのに相づちをうってくれてくれている的な感じになってしまったのは申し訳ないところではありますが。

バロック絵画といえば、なんと言ってもフェルメールをはじめとするオランダ風俗画が人気ですが、バロックという現象を考えると、ルーベンス等の主にカトリック陣営側で活躍した画家の方が歴史上の影響という意味では圧倒的であり、バロックという時代の傾向を考えると、どう考えてもバロック絵画なのは後者なのですが、オランダ風俗画と比べると現代人には理解しがたいところもあるのは致し方ないとこかと思います。音楽も同様で、バロック音楽と言えばなんと言ってもバッハが有名であり、たぶん現代人の知っているバロックの曲の大半を占めているのではないかとも思われますが、バッハはバロックの終り頃が活躍期であり、バロック音楽を体現しているかという点ではどうか、というところもあります。よくバロック音楽の集大成などとも言われますが、それもちょっと違うんじゃないというような気もします。私もバッハはとても好きでよく聴きますが、それはそれと別にして。というわけで、バロックという時代を考えたうえで、バロック音楽を楽しもうと思ったら、もっといろいろあるのではないかということで、動画にしてみました。いろいろ知っていると思っていたことでも、実は自分の理解できそうな範囲でしか見ていないのではないか。現代の目からぱっと見た感じでは、バロックと言えばバッハと言ってもいいくらいな巨大な存在がいるようでいて、しかし、実はもっと規模的にも歴史的にも国際的にもちょっと考えられないくらいの存在がいっぱい居たのだという面白さもあるのではないか。と、考えて鑑賞してゆくと、非常に広大な世界が広がっているという感じになって面白いのではないか。というふうな意味での動画です。なお、その流れでいつの間にかベラスケスの話になっています。

| 音楽 | 11:57 PM | comments (1) | trackback (0) |
イビツさを意味するバロックは、バラックと同源だそうですね。
バラック建築のように無軌道にオルタナティブでカウンターカルチャーだったのだろうと思います。
バッハの場合、そもそもマルティン・ルターからバロックとは異なる”ルーテル音楽”のような独自の流れがベースにあったと考えています。
バッハ長兄の師匠であったパッヘルベルも、どうもバロックとは違います。
もちろん彼もルーテル派ですね。
それにしても、バッハは異常なんですよね。
オリヴィエ・アラン氏は垂直と水平をどうやって同時にああ高次元に考えられるのか、また高橋悠治氏はバッハは未来を予知する能力を持っていたなどと言っています。
時代は下りますが、サン=サーンスのような超知識を持つ音楽マニア的作曲家はいますが、どうもバッハだけはマトモじゃないんですよね。
現代になって、あの平均律曲集に新たな声部が見つかったなんて愉快な話もあります。
和声を習っていた先生は、バッハはアナリーゼできないよとおっしゃっていました。
機能和声のお手本になりそうなのに、これでは片付かないのです。
バッハ・ヘンデル・スカルラッティの同年生まれを”バロック三羽ガラス”などと言いますが、これがまた誤解の元だと思うのです。
全然バロックちゃう、のですが、三人ともイイ意味で変態的、ちょっとだけ先輩のラモーもシンプルなようで変なところがあり、イビツさという点ではバロック音楽時代が1700年以前に終わって、古典派までの間に”純粋バロック時代”とでもいうべき時代をパンクな連中が作っていたように私はイメージしています。
ルネッサンスへのカウンターがバロック、バロックへのカウンターが純粋バロック(?)。
”クラシック音楽”の始まりはバッハと、概ね認識が共有されていますが、私はバッハの後は古典派もロマン派も新古典派も前衛も全てポピュラー音楽だと思っていますから、クラシックなんて無かった、でも面倒くさいからベトベンもモザールもチョピンもクラシックということにしておいてやると思いながらつまらないピアノのおけいこに通っていたのでした。

問題は美術の方です。
よく把握できないのです。
ほぼ仕事を引退していますので時間はあり、近年イイ歳をしてパリの美術学校に短期留学したのですが、現地の画家たちと接触し、以前から感じていたこと、どうも音楽と美術では同じヨーロッパでもなにかおそらく根本的に流れが違うんじゃないかと考えました。
職業的な立場の違いや、フィジークかメタフィジークかつまり形のある無しの違い、そしてどれだけ残り続けるものかの違いなどの性質の違いもあると思います。
職工的な扱いの美術家たちだったけども、世紀単位のスケールで作品が残ることが見積もられていたと思います。
音楽家たちは宮廷やサロン、はたまた教会のカントルとしてスポットライト(は無かったですが)を浴びながらも、実際オルガンの即興速弾き競争なんてベタでハデハデなことも行われていたようですが、音はその場で消えていくものですし、今とそれほど変わらず音楽の流行は激しく移り変わっていましたから、世紀単位で残すような意識は頭に無かったのではないかと、いわば対照的だったと思うのです。
音楽の場合密かにア
| マルキ | EMAIL | URL | 2018/09/10 07:07 AM | csOzaaIk |











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