梅棹忠夫(著)『知的生産の技術』を読む。
梅棹忠夫(著)『知的生産の技術』岩波新書

本書の肝であるカードを使った情報整理の方法は今では役に立たないかもしれない。最近、紙のカードも一部で再評価されつつあるが、部分的な活用は除いて、実践面で本書のどの部分も過去の話となっている。それなのに今でもたくさんの人々に読まれているようである。本書の骨子は「知的生産」という考え方にある。本書の語る知的生産とは「人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合(p.9)」とされている。あたらしく生産される情報は立派な論文や理論を発表するというような行為に限らず、個人的な日記や、単なる思考などかなり幅広く解釈するものだという。また、「知的生産」と「知的消費」を区別する。「・・・趣味として読書というのも、知的消費の一種であって、そのかぎりではマージャンや将棋とおなじ性質のものである。読書については、いずれあとの章でのべるが、今日おこなわれている読書論のほとんどが、読書の「たのしみ」を中心にして展開しているのは、注目してよいことだとおもう。今日、読書はおもに知的消費としてとらえられているのである(p.10)」。本書の趣旨とはあまり関係ないが、ここでふと気が付いたのだが、映画を観るという行為も、知的消費として観るか、知的生産として観るか、という違いは大きいかもしれない。もしかしたら自分はどんな娯楽作品も知的生産の観点で観てるかもしれない。その点が一般の映画好きの人と会話したときに意見が合わない、というより論点が完全にずれていることの原因かもしれない。いやもしかしたら、将棋をやるときも知的生産としてやっているかもしれない。実際、将棋って別に面白いと思ったことないのにやってるような。話は変わるが、紙のカードを使ったデータベースは、今ならパソコンを使ってやるのが当然として、どういう形式で作成するのが相応しいかが問題になるが、個人用途だとgoogleのデスクトップ検索が登場して、データベースの概念が根底から覆った気がしないでもない。カオス状態のハードディスクから目的のファイルを、あるいはすっかり忘れていた文書を取り出してくる姿は革命的である。特に忘れてしまったファイルまでガンガン出てくるというのは、忘れるために記録するという、本書の考え方にもフィットする。デフォルトで認識しない形式のファイルもプラグインを追加することで対応、形式も保存場所も気にせずに書類を作って保存し、それらをgoogleで検索するのが一番とかいうふうになったら、これまでの整理術の本を無意味にしてしまうかもしれない。といいつつも、このソフトにセキュリティホールがあったらスゲー嫌なので、メインPCにはまだ入れたくないが。何はともあれ「知的生産的映画鑑賞」とか「漫画本の知的生産的大量注文」なんていう便利な言葉を導入できそうだ。それと、この本を読んでるとタイプライターが欲しくなってくると思う。特にひらがなタイプライターすげぇ欲しいかもしれない。


| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 09:17 PM | comments (0) | trackback (0) |










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