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画術にまつわる文献 03

Miyabyo さんのコメント
 (2007/01/26 03:29:15)

画術にまつわる文献 03

今回は、
仝殿 2:古代ギリシャ絵画など
5世紀以降13世紀あたりまでの原典


≪前回「蠟画」としたことについてメールが知人からありました。エンコスティック画法や処方に関する書籍を探している方がここにたどり着くにはせめて「蝋画」としておくべくだと。指摘があったように、ヤフーではヒットせず、グーグルで「蠟画」4件ヒット。なるほど、そんなものなのか、と思いました。「蝋画技法」で検索されてもこれるように書いておきます。
ちなみに、
ちょっと検索で遊んでいましたら、千葉大学 人文研究 第33号
「ローマの聖母子イコンの起源について」 加藤磨珠枝 という方の論文がPDFで載っていました。

http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/C0000051586/jinbun_33_Kato.PDF

興味ある方は、どうぞ。ただし、画術とは直接関連はありません≫



仝殿 2:古代ギリシャ

ギリシャ時代の絵画として墓石や石柱に描かれたものや壷絵がある。
絵画技術研究書としては、古くはローリーの
●Laurie, A.P., Greek and Roman Methods of Painting, Cambridge University Press, 1910.
●Laurie, A. P.,“The Materials of the Painter's Craft in Europe and Egypt from earliest times to the end of the 17 century, with some account of their preparation and use”, London & Edinburgh, 1910

等がありますが、その技法を研究したものとして、

●Bruno, V. J.,“Form and Color in Greek Painting”, Norton & Company, New York, 1977.

があります。古代ギリシャ絵画の様式及び使用顔料の解説をしたうえで、描画をデモンストレーションしてる。
画家の方にはお勧め。
プリニウスは、「昔の画家の絵具」という項目で、不滅の作品は以下の4色のみが使用されたと述べている。
すなわち、白(メリヌム)、黄土色(アッテカ)、赤(ポントスのシノピス)、黒(油煙)の4色。



保存修復のほうからのアプローチとして
●Filippakis, S. E. / Perdikatsis, B. / Paradellis, T.,“An Analysis of Blue Pigments from Greek Bronze Age”, Studies in Conservation, vol. 21, pp. 34-39, 1976
●Profi, S. / Weier, L. / Filippakis, S. E.,“X-Ray Analysis of Greek Bronze Pigments from Knossos”, Studies in Conservation, vol. 21, pp. 143-153, 1976
●Profi, S. / Perdikatsis, B. / Filippakis, S. E.,“X-Ray Analysis of Greek Bronze Age Pigments from Thera (Santorini)”, Studies in Conservation, vol. 22, pp. 107-115, 1977
 ギリシャ青銅器時代に使用された顔料の中で、青顔料としてエジプト・ブルー及び角閃石の一種である藍閃石 (Na2(Mg·Fe)3Al2Si8O22(OH)2) を同定。
(エジプト・ブルーに関する論文は多数あり、別途色材別に書く機会があったらそこで一括して書くかもしれません)

などがあり、
壷絵に関する考古学の方からのアプローチとしては、

●Holmberg, Erik J. , The Red-line Painter and the Workshop of the Acheloos Painter, Paul Åströms Förlag, 1990.

があります。


※ 前回、古代エジプト絵画は蝋画(蠟画)を中心としましたので削ったのですが、3〜4世紀頃とされるエジプトのカンヴァス画(麻布)の顔料同定に関する論文があり、その当時のパレットを知る珍しい例ですのでご紹介しておきます。
●Susann P. Sack / F. Christopher Tahk / Theodore Peters, JR..,“A Technical Examination Painting on Canvas”, Studies in Conservation, vol. 26, no. 1, pp. 15-23, 1981.
 鉛白:4〜8μmだが無色の微細なものは0.2〜2μm
 チャコール黒:0.2〜12μm
 オルピメント:1〜30μm
 インディゴ:0.2μm以下の粒子もあるが、おおよそ1μm
 ウルトラマリン:約4μm(ただし、時期は不詳だが絵画成立年代より後に塗られたものらしい)
 エジプトブルー:30μm未満(だいたい2〜10μm)。
 オーカー:黄色ないし褐色4〜8μm
 マダーレーキ:15μm以下
 酸化鉄:0.2〜4μm
 カルサイト(方解石):粒径未記入
 鉛丹(ミニウム):およそ1μm
バインダーは、水で溶いた小麦スターチ

これらの顔料の中で、現代の相当する顔料の粒径と比較して随分大きいなと思われるのがマダーレーキでしょうか。染料系顔料は、これらの中でいえばインディゴの粒径が妥当だと思われることでしょう。現代の染料系顔料は更に細かいのですが、要は染料を吸着させた体質顔料の大きさが荒かったということがわかります。


 古代エジプトの王墓に描かれた壁画に関する報告書として、
●Corzo, M. A.(editer),“Wall Paintings In Tomb of Nefertari, First Progress Report”, Egyptian Antiquties Organization and the Getty Conservation Institute, Cairo, 1987

 などがありますが、前史時代からミケランジェロあたりまでの壁画一般に関する体系的な考察としてお勧めできるのは、
●Mora, P. / Mora, L. / Philippot, p. ,“Conservation of Wall Paintings”, Butterworths, 1984.
 です(500頁余りある大書)。これは、
○Mora, P. / Mora, L. / Philippot, p. ,“La conservation des peintures murales”, Venezia, 1977.
の、英訳版です。各執筆者は長年壁画の保存修復に携わり、それを背景として書かれていますので、画家としての実技の面でも得られる情報が豊かです。付録として、壁画に触れた原典も抄録してあり、より立体的に理解できるものと思われます。


ここまでで「古代」は終わりますが、後ろ髪を引かれる思いです。
西洋のラスコーやアルタミラなどの洞窟壁画、エトルリア美術、ケルト美術、ポンペイ美術、又、一方にある古代オリエント美術、古代エジプト美術、等々。

個人的にはこのあたりしばらくうろうろしてみたいのですが、ひとまず割愛します。

ただ、私が素朴な疑問としてあるのが、「ケルト族の文化(生活)」です。

近年、ヨーロッパ圏では「ケルト文明」という言い方をする風潮があります。日本でもそのような主旨で美術展が開催されましたが、私には奇異な感じがします。西洋人が自ら「文明」の定義において、文字を用い、その記録があるものを条件の一つとしてきたわけですが、仮にその条件を満たすものが「文明」だとするなら、では文字を持たなかったケルト族の文化を「文明」というランクに格上げしていいのでしょうか?現時点では、その証拠がない以上それは否です。その当時取るに足らない地域であった、ということではどこがまずいのでしょうか?常にトップランナーであったと思いたい気持ちは心情的には判るのですが‥‥。


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ここから以降は、原典及びおおよそ同時代の作家や作品を並列しながら挙げていきますと、かなり煩雑になりますので、ひとまず、原典中心に挙げていくに留めます。

             【中世】の原典

『ルッカ手稿』(8世紀)不詳 伊国 ラテン語
 ルッカのキャピトラーレ図書館に写本がある。725年付けのスペインテキストや650年頃の処方が採録されており、また処方のいくつかは先行するギリシャテキストから翻訳されているらしい。処方の配列に体系性がなく、処方の収集書。オリジナルがどうであったか困難なほど、追加、修正、注釈が施されている。処方の多くは絵画に関するものだが、その他にモザイク、染色、着色、建築、鍍金などを含む。のちの『マッパエ・クラヴィクラ』にも多く孫引きされている。
○Muratori, L. A. ,“DissertatioVigesimoquarta.De Artibus Italicorum post inclinationem Romani Imperii”, in Antiquitates Italicae medii aevi , Milan(1739) columns pp. 365-388.
○Burnam, J.“Recipes from Codex Matritensis A16(ahora 19)”, University of Cincinnati Studies, 2nd series, V, I, 1912.
○Pellizzarl, A.,“I trattati attorno alle arte figurative in Italia e nella penisola Iberica dalla antichità classica al Rinascimento”, Editrice Perrella, Naples, 1915.
●Burnam, J.,“A Classical Technology edited from Codex Lucensis 490”, R.G. Badger-The Gorham Press, Boston (1920).
 英訳のみ 目次、索引無し 
●Hedfors, Hjalmar,“Compositiones ad Tingenda Musiva: Condex Lucensis 490 Herausgeben übersetzt und philologisch erkläet”, Almqvist & Wiksells, Uppsala(1932)
本書は原文(ラテン語)を含む、独語訳及び注釈からなる。『モザイクの彩飾のための配合』


『エラクリウス手稿―ローマ人の顔料と技術について―』(10世紀:全3部で第3部は12〜3世紀に仏国で追加)ラテン語
 “Eracrius MS ―De Coloribus et Artibus Romanorum―” EracriusはHeraclius も可。
古い技法を幅広く採録。染色、象嵌、ガム、ガラスなど。ただし、技法上注目されるのは、第3部で、いくつものテンペラ画法が述べてある。著者は「エラクリウス」又は「ヘラクリウス」とされてきたが、実際は不詳。
ラピスラズリに触れた文がある。「青は以下の方法でやらねばならない。鉄板の上にそれを置き、それが赤熱するまで火の中に置いておくがよい。次にそれを取り出して冷ませ。もし色に変化がなければ良質である、しかし色が変わるならば、粗悪である。(LI。[241]青の精製について)」 但し、このくだりは12〜13世紀ごろにフランスで追加された部分に属す。
○Raspe, J.,“Critical Essay on the Art of Oil Painting”, H. Goldney / T. Cadell, London 1781.
 第3部に数章欠落がある。大英博物館所蔵(MS Egerton840A)
●メリフィールド『絵画技法原史料集』pp.166-257.(1849)
○ILG, A.,“Heraclius. Von den Farben und Kunsten der Romer. Originaltext und Übersetzung”, W. Braunmüller, Vienna, 1873; Reprint: O. Zeller, Osnabrück, 1970.
○Pellizzari, A.,“I trattati attorno alle arte figurative in Italia e nella penisola Ibrerica dalla antichità classica al Rinascimento”, Editrice Perrella, Naples 1915. 第1,2部を編纂
○Schlosser, J.,“La literature artistica. Manual de fuentes de la historia moderna del arte. 3e edición puesta al dia por Otto Kurz; con adiciones de Antonio Bonet Correa”, first German edition: Vienna(1924), Cátedra, Madrid(1976), 
曰く、第1,2部は10世紀、第3部は13世紀
●Richards, J. C.A New Manuscript of Heraclius, Speculum (Cambridge, Mass.), vol. XV, pp.255-271 (1940)
 11世紀に仏国で書かれた部分の刊行
●Roosen-Runge, Heinz,“Farbgebung und Technik frümittelalterlicher Buchmalerei: Studien zu den Traktaten “Mappae Clavicula“ und “Heraclius“”, 2vols, München 1967..
原文の独訳及び豊富な注釈付『マッパエ・クラヴィクラ』と『エラクリウス』を扱う


『デ・クラレア(卵白について)』(12世紀頃) アノニムス・ベルネンシス スイス
 スイスの首都ベルンにある国民図書館に所蔵(MS A. 91. 17)する、オリジナルからの筆写断章が唯一。作者不詳。写本彩飾。トンプソンによれば、この手稿の成立を、Ilgを編纂したハーゲン[Hagen]は11世紀を超えないとしているが、Loumyerは1100年頃、と紹介したうえで、トンプソン自身は、写本の書体から12世紀初頭又は11世紀末を想定し、11世紀後半頃のオリジナルからの断章抜粋と見ている(※ハーゲンは、オリジナルは9世紀又はそれより早い時期と見ている)。
○Ilg, A.,“Theophilus presbyter Schedula diversarum artium”, W. Braunmüller, Vienna, 1874. (*Hagen) 写植に若干のミスがある。テオフィルスの『様々な技能について』の付録(Anonymus Bernensis ünber die Bindemittel und das Coloriren von Italialen, pp. 375-400. )として初めて公刊。
○Loumyer, G.,“Un traité de peinture du moyen-âge: l’ Anonymus Bernensis, Publiès le MS de la Bibliothèque de Berne”, Gustave Grunau, Bern, 1908.
 ルーマイエルはハーゲン[Hagen]の転記ミスを正す。
●Thompson, D. V. “The Clarea of the So-called ‘Anonymus Bernennsisi’ “, Technical Studies in the Field of the Fine Art, vol.1, pp. 8-19, 69-81(1932).
 卵白は、羊皮紙などの装飾写本にイルミネーションや挿画を施す場合の溶剤となるもの。写本装飾の葉形装飾や、その他の彩飾の図案法にも言及。曰く「このテキストの原典として唯一、12折りの薄羊皮紙5葉から成る未製本のMS.Berne A.91.17(ベルン手稿)が知られている。fol.1表のincipit, Assum balneum sic faciesから、fol.1裏の下から3行目の終わりSitim et sudorem stringit. De Clarea. までは、医学的処方を紹介している。19世紀にこの個所の右余白につけた注釈“Incipit tractatus”は、De Clareaの断章の始まりを示す。この小論は、前の項の終わりにそのまま続いて、De Clareaの語以外何の序もなく、fol.1裏下≪Sciendum est igitur duo esse genera clarearum≫に始まり、現存の最終ページfol.5裏の≪Puris, hoc est non mixtis, coloribus, ut mirabiliter mixto strata inferius, superius umbrata colore, pictura sit variata, cum nimis≫で終わっている。それ以降のテキストは失われている。」pp. 8-9.
○Straub, R. E.,“Der Traktt de Clrea in der Burgerbibliothek Bern: Eine Anleitung für Buchmalerei aus dem Hochmittelalter”, in Jahresbericht des Schweizerisches Institut für Kunstwissenschaft, pp. 89-114(1964)

                   研 究
●Powrie, W., ”Chemistry of Eggs and Egg Products”, Science and Technology(ed. Stadelman / Cotterill, O. J.), AVI Publication, pp.65-87, 1977.
●Phenix, Alan, The composition and chemistry of eggs and egg tempera, Early Italian Paintings Techniques and Analysis, Symposium, Limburg Conservation Institute, Maastricht, 9-10 october, 1996, pp. 11-20.
●箕輪成男『紙と羊皮紙・写本の社会史』出版ニュース2004年


『様々の技能について』(11世紀前後) テオフィルス ドイツ ラテン語
 この書の成立は、9世紀〜12世紀後半とされており、まだ決定を見ない。中世の北方及び中部ヨーロッパで実践された芸術や技能について、職人としての修道士テオフィルスが体系的に述べており、従来の単なる処方の雑然とした収集書とは性格を異にする。内容は以下の通り。
第1の書 写本彩飾、壁画  第2の書 ガラス技術、ガラス絵  第3の書 金属、宝石、象牙。

●Theophilus, “On Divers Arts”, Hawthorne, J / Smith, C. S. , Dover(1979) 図版、訳注多し。原文無し
●Theophilus, “On Various Arts”, Dodwell, C. R., Thomas Nelson, London (1961); reprint : Clarendon Press, Oxford (1986) 図版は一切ない。原文のラテン語に対訳つき
●テオフィルス『さまざまの技能について』前川誠郎・森洋訳(『美術史』第58, 59, 65号1965-67年) 全3巻の中で絵画に関する第1巻のみを試訳
●テオフィルス『さまざまの技能について』森洋訳編 中央公論美術出版 平成8年(1996) 
 前出で未訳の第2、3巻を加え全訳としたもの

                   研 究
●Raft, A., “About Theophilus ‘Blue Colour, ‘Lazur’ ”, Studies in Conservation, vol. 13, pp.1-6, 1968,
 第1巻XIVで述べている ‘Lazur’ は、「天然ウルトラマリン」であることを示唆


『マッパエ・クラヴィクラ(秘訣の鍵)』(最終12世紀頃)
 Mappae Clavicule de efficiendo auro(金を作る秘訣の鍵)原本の成立は、技術史家で“Studies In Ancient Technology”全9巻の著者フォーブスが科学史家デイクステルホイスと書いた『科学と技術の歴史』みすず書房1977年によれば、8世紀としているが、絵画技法史研究家たちの著書を見ると北ヨーロッパで9〜10世紀の成立とし、その後12世紀には何度か追加増補されているという。『ルッカ手稿』と同じ処方が数多く含まれている。

●Roosen-Runge, Heinz,“Farbgebung und Technik frümittelalterlicher Buchmalerei: Studien zu den Traktaten “Mappae Clavicula“ und “Heraclius“”, 2vols, München, 1967.
●Hawthorne, J. G. / Smith, C. S. “Mappae Clavicula - A Little Key to the World of Medieval Techniques”, The American Philosophical Society, Philadelphia, vol. 64, 1974.
 『ルッカ手稿』との比較が綿密。2種類の原典コピー付

研究
●Halleux, R. , “Pigments et Colorants dans la Mappae Clavicula”, Guineau, B. (commissaire général). Pigments & Colorants de l’ Antiquité et du Moyen Age, Centre National de La Recherche Scientifique, 1990, pp. 173-180.


『P・サン・アウデマル手稿―顔料の製法について―』(1300年頃)
●Petrus de Sancto Audemaro Ms −Liber Magistri Petri de Sancto Audemaro de Colorius Faciendis−. メリフィールド『絵画技法原資料集』vol.1, pp. 112 – 165.
 「この手稿は、フランス生まれ又は北部からの居住者であったペトルス・デ・アウデマル(聖オマルのピエール?)の奥付がある。手稿の多くの引用文は、それがフランス語起源であることがわかる。‥‥中略‥‥
 手稿の成立時期は疑わしい。イーストレーク氏は、13世紀末ないし14世紀初頭より以降ということはありえないと言っておられる(Materials for a history of Painting in Oil『油彩画史に関する史料集』p.45)。クラヴィクラにある処方のいくつかは、まぎれもなく12世紀のものと思われるが、その事実をして手稿の年代の立証とはならない。というのも、それらのいくつかは論文の内容を構成しているものの、大部分はまさしく書始めのところに(しかも目次の前に)見出せるからである。それらは原作に書き足されたようである。これらの処方が、まだ発見されていないその当時有名ないくつかのオリジナルから抜粋されたことはありえない、とは言いがたい。
 手稿は、絵具、インク、箔置きに関する一般的な処方が含まれる。」
と、メリフィールドは紹介している。


『アンプロニウス手稿189』(13〜14世紀)
●Thompson, D. V.,“De Coloribus, Naturalia Exscripta et Collecta, from Erfurt, Stadtbücherei, Ms. Amplonius Quarto 189(X - X Century)”, Technical Studies in the Field of the Fine Art, vol.3, 3, pp.133 – 145(1935).
 20の短章から成る小冊子で、人工青顔料、人工ヴァーミリオン、人工緑顔料、染料系顔料などの処方集。アズライト、ラピスラズリ、マラカイト等の鉱物系顔料に関する言及はない。



『ヘルメネイヤHermeneia』18世紀前半完成 フルナのディオニュッソス ギリシャ
原題は「画室の解釈」で、通称「アトス山の画術書」ともいわれる。標高2033mの聖山アトスは、ギリシャ北部のハルキディキ半島から三叉状に分かれている細長い半島の最上部の半島の先端にある。ビザンチン美術の伝統を色濃く残すイコンやフレスコを今も描き続けている。フルナのディオニュッソスは、ここの教会主筆の地位にあってこの画術書を編纂した。本来18世紀の項に載せるべきであろうが、画材に関する処方のほとんどが中世まで遡れるものなので、あえてここにも載せる。内容は以下のとおり。第1巻 絵画技術  第2巻 聖書画の記述  第3巻 聖徒画の記述  第4巻 教会に絵をいかに設置すべきか
●Hetherington, Paul,“The Painter’s Manual of Dionysius of Fourna”,The Sagittarius Press, London, 1974.
●ディオニシオス・トゥ・エク・フルナ(上田恒夫・寺田栄次郎・中澤敦夫・木戸雅子訳)『東方正教会の絵画指南書:ディオニシオスのエルミニア』金沢美術工芸大学美術工芸研究所 1999. 非売品

              参考
●Guillem Ramos-Poqui,“The Technique of Icon Painting”, Search Press, 1977.


第3回は、これで。
又近いうちに。といっても、おそらく3月くらい。

何かありましたらこの下に書き込んでいただければと思います。


画術にまつわる文献 04

Miyabyo さんのコメント
 (2007/02/13 22:50:56)


次回扱う14〜15世紀の原典は、前回以上に「写本彩飾画師」の技術に関するものが中心で、そこに油彩画の技術に触れたものが加わってきます。
その露払いとして、中世の「写本彩飾画」の環境、特に社会的地位はどうであったのかという基本的なところを少しご紹介して、次回に繋ぎたいと思います。

■写本彩飾画師の納税額から見る社会的地位
 前回ご紹介したペトルス・ド・アウデマルの『顔料の製法について』なども含め、今回扱う15世紀までの画術書(その多くは色材処方集)は、写本彩飾画師を念頭においているものが多く残っています。
では、その当時、都市圏に住む写本彩飾画師たち(修道院の画師等を除く)はどのような地位にあったのでしょうか?
それなりの地位を得ていたのだろうと、漠然とながら思えるのですが、実際はどうだったのでしょうか。
たとえば、アウデマルの書の成立前後のころ、まさしくそこに書かれているような画材を用いて、工房(といっても弟子が幾人も居たわけでないことは後に触れます)で制作していたパリの写本彩飾画師を、1292年の記録で見てみると‥‥

●A・マーティンデイル『中世の芸術家たち』中森義宗・安部素子 共訳 思索社1979年
 Martindale, Andrew, The Rise of the Artist – In the Middele Ages and Early Rennaissance - , Thames & Hudson LTD, London, 1972. の邦訳
によれば、
その年の納税者数は、約15200名で、「画師」を称するもの33名、「図像師」24名、「写本彩飾師」13名。
これは、生活必需品を供給する職に従事する靴職人や被服製造業者などが350名以上、毛皮職人が214名、菓子職人が104名などと比較しても結構少ない。著者によれば、中世の課税は、一人ひとりの査定税額が記入されており、個人動産評価に基づくという。
どのくらいの税金を納めていたのかというと、最も裕福であった銀行家や金融業者で、最高額は114リーブル10スー。
商人や職人のほうで高納税者は、
陶工2名が、19リーブルと7リーブル10スー(ちなみに1リーブルは20スーです。以降リーブルはL、スーはSと略)
宝石商2名、10Lと7L10S
絹織物商2名、16Lと8L
で、この6名を除けば、その多くは5L〜10Lを納税している。
「画師」はといえば、ダントツなニコラスなる画師で6L。その次が「画師」2名と「図像師」1名の1Lと、がくんと下がる。
では、「写本彩飾師」のほうはといえば、当時のパリ随一とされ、現在でも宮廷のために製作された写本が残っているメートル・オノレで、たったの10Sであったという。

ところで、この当時の「画師」は具体的にはどのようなものを作る職人を示すのか。2グループあった。
「鞍とおそらくは馬飾り一般の彩飾を第一とするもののグループ、もう一つは、図像を描くことを第一の仕事をするもののグループ」という。しかし明確ではなかったらしい。
つまり、今日「画師」という場合イメージするそれとは随分かけ離れている。
「図像師」は、「画師である場合もあったがより普通には、ある特別な職種の石工であった」という。但し、圧倒的多数の、納税額5Sにも満たない石切り工(建築に携わっていた)とは区別された。つまり「今日で言う彫刻家にもっとも近く‥‥≪略≫‥‥これらの図像師はさらに、大理石細工師や墓石工に区別されることが多かった」のだという。
この大理石細工師グループの「図像師」のトップが、石工頭で、大聖堂や公共建築業の総監督者というわけです。その中でも特に優れた技能と采配を有するものが「石匠」と言われた。
つまり、パリ随一の「写本彩飾師」の税金は、この石工頭の下で働く末端の「石切り工」の2倍程度でしかなかった。

マーティンデイルは、
「石工は社会的名声を得ていたが、画師はそうではなかった。ジョットは、画師として名声を博し世に認められた最初の芸術家の一人であるが、フィレンツェ市当局が彼の栄誉を讃えるために『市の建築師』という称号を与えた一事は、画師の地位がいかなるものであったかを物語る好例である。」(邦訳25頁)
と、述べている。いわんや、写本彩飾師をや、である。


■主に中世とルネサンスの画工房及びその環境に関する参考文献(雑誌類の論文は割愛)
●Constable, W. G.,“The Painter’s Workshop”, (1954) Dover, 1979
 W. G.コンスターブル『画家のアトリエ』は、トンプソンの影響で、「3章絵画の物理的構造」で「a thick ground of old gesso (plaster of Paris and size)」p.28. としているが、すでに、他のサイト「修復家の集い」で述べましたように、ここ50年の研究の結果、フィレンツェを除けば、主に無水石膏が使われたことがわかってきている。

●Egbert, Virginia Wylie, The Mediaeval Artist at Work , Princeton University Press. 1967.
 『中世職人の工房』図版が白黒なのが残念。

●Cole, Bruce,“The Renaissance Artist at Work from Pisano to Titian”, Harper & Row, 1983 
 著者の言うルネサンスは、1250-1550年間
●ブルース・コール『ルネサンスの芸術家工房』越川倫明他訳ぺりかん社1994年

●Binski, Paul, ”Medieval Craftsmen Painters”, British Museum Press, 1991.
ポール・ビンスキー『中世の職人 画家』小冊子ながら、要領よくまとめてある。

●Alexander, Jonathan J. G., Medieval Illuminators and their Methods of Work, Yale University Press New Haven and London, 1992.
 彩飾写本に造詣の深いアレクサンダーのこの書は、中世初期〜15世紀の写本彩飾画師の工房作業について、豊富な図版を例示しながら述べており、この当時の画師の環境を知りたい方には有益でしょう。

●Lukehart, Peter M. (ed.), The Artist's Workshop, Washington, DC, 1993
 西洋のみでなく、イランや日本の工房についても述べている。


■制作に当たっての契約書類、及びパトロンとの関係を知るのに有益な書
○Gaye, G.,“Carteggio inedito d’artisti dei secoli, XIV, XV, XVI”, Firenze, 1839-40.
 『14,15,16世紀の芸術家の未刊書簡集』パトロンとの制作契約内容や制作状況をを知るうえで最重要な原史料集。全3巻 第1巻 622p. 第2巻 556p. 第3巻 638p 合計1816p. (いつでも入手可能だが‥‥価格がねえ)
 
○Wackernagel, M. ,“Der Lebensraum des Künstlers in der florentinischen Renaissance”, Leipzig, 1938.
 『ルネサンス期フィレンツェの芸術家たちの環境』
(●Luchs, A. による英訳版“The World of the Florentine Renaissance Artist”, Princeton, 1981)


●Glasser, Hannelore, Artists’ Contracts of the Early Renaissance, PHD. , Columbia University, 1965.
 ハンネローア・グレイサー『初期ルネサンス画家の契約書』417pp. コロンビア大学哲学学部博士号取得論文
 執筆者の要請によりすべての図版がマイクロフィルム化から除外されている。
この論文を一般向けに公刊されたものとして
 ○Glasser, H.,“Artists’ Contracts of the Early Renaissance”, New York, 1977.
 がある。こちらはその削除された図版が載せてあるだろうか?
 原史料の翻刻がメインの『14,15,16世紀の芸術家の未刊書簡集』や『トスカーナ美術史に関する新史料』などを用いた考察であり、非常に有益。


●Chambers, David. S. ,“Patron and Artists in the Italian Renaissance”, University of South Calrolina Press, 1971.
 デーヴィット・チェンバース『イタリア・ルネサンスのパトロンと芸術家』
 パトロンとの制作契約書多数引用。収録されているのは、1418年8月19-20日〜1521年3月13日。こちらの書の方がグレイサーの書より親しみやすいかもしれない。

●Milanesi, Gaetano, “Nuovi Documenti per la Storia dell’ Arte Toscana”, Roma (1893), Florence (1901), Davaco publishers - Soest (1973)
『トスカーナ美術史に関する新資料』画家と依頼者又はパトロンとの間に交わされた契約書の注釈付原史料集。1893年版は12〜14世紀までであったが、追補版では15世紀迄が追加されている。ガイ(Gaye)の史料集を補うものとして重要。

●Haskell, Francis,“Patrons and Painters −A study in the Relations between Italian Art and Society in the Age of the Baroque−”, (1st ed.,1963), revised & enlarged, Yale Uni. Press New Haven and London, 1980
 『パトロンと画家 −バロック時代のイタリア芸術と社会との関わりの研究−』

●Baxandall, Michael,“Painting and Experience in Fifteenth-Century Italy”, Oxford Uni. Press, Oxford, 1972 (2nd ed. 1988)
 上記の邦訳●マイケル・バクサンドール『ルネサンス絵画の社会史』篠塚二三男他訳 平凡社1989年
 私と同様にこの書からいくつかの刺激を受けられた方も多いことでしょう。
とはいえ、美術史家などからの反応は賛否両論というところでしょうか。例えばフランスの紋章学者ミシェル・パストゥローは、
  ●「青から黒へ 中世末期の色彩倫理と染料」『中世衣生活誌』徳井淑子 訳p. 123-142.勁草書房2000 の注釈(p.140)で、
 「フランス語訳の(滑稽な)タイトルは、L’œil du Quattrocento《15世紀の眼差し》, Paris, 1985.  バクサンドールのこの著作は、絵画の財政的問題(pp. 9-46 邦訳の第1章に相当)に関しては優れているが、ほかの点では質が劣るように思われる。色彩の象徴体系と、そのために絵画制作に不可欠な色彩コードに関する箇所(pp. 126-134 邦訳第2章の8「色彩の価値」)はあまりに場違いで、中世末期の象徴世界についてはまるで無知であることを露呈してしまっている。『色彩のシンボリズムは、絵画においては重要な役割を果たしていない』(p.130)とは、挑戦的な発言である。」と手厳しく指摘している。
 とはいえ、私がここに挙げている契約書など当時の生の情報を含む文献は、マーティンデイルの書とバクサンドールのこの書を通じてであり、非常に刺激に満ちた書でした。

○Burke, Peter,“The Italian Renaissance: Culture and Society in Italy”, 2nd. Ed., Polity Press, oxford, 1999 初版1972年、全面改訂1987年、その改訂増補版が邦訳書
 ●ピーター・バーク『新版 イタリア・ルネサンスの文化と社会』森田義之・柴野均訳 岩波書店2000年


それでは次回まで。


.昔の技法書/手記 全般 (2)」へ続く。


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