印象派/後期印象派 [コメントする]

印象派/後期印象派


スレッド作成 : 管理人さん
 (2000/7/17 01:37:51)

印象派と後期印象派の材料、技法についてのスレッドです(スレッド名の1832はマネの生まれた年)。


このスレッドについて。

管理人 さんのコメント
 (2000/7/17 01:43:17 -
E-Mail)

印象派の技法の話は、画家ごとにスレッド作ってもそれほど会話が弾むとも思えないし、1ヶ所にまとめた方が、相互関係についても語りやすいと思ったので、ひとまとめにしました。

マネ、モネ、スーラ、ルノワール、ピサロ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、などです。


ミレーの晩鐘がたどった運命

bonapa さんのコメント
 (2000/11/10 09:41:39)

ちわ。
ここに書くにふさわしい技法とかの内容ではないのですけれど、先日TVでミレーの「晩鐘」の話をやっていたのをみていたときに、思い出したレポートがあったので、書いてみることにしました。(前もって謝っておきます長くてすみません)
番組の中でもテーマになっていた晩鐘がはじめ「馬鈴薯の収穫」というタイトルだったとき、その絵はとても稀であった、アメリカ人からの発注で制作を始めた絵だったそうです。
しかし、仕上がるころ、お金持ちはきまぐれにも「あぁいらない」と結局買ってもらえず、大変落胆をしていたミレーに「だいたいこの馬鈴薯の収穫、っていうタイトルがあまりにも陳腐だろう、だったらいっそこの人物のポーズからみて「祈り」をテーマにしたタイトルはどうだ」と兄からの助言で例の背景にぼんやりと見える教会を書き加えた。。というあの話の続きで、この絵が始め1000フランでベルギーの画商にかわれ、4年後またパリへ戻った時に新聞で「晩鐘」のことが話題となり、それからつぎつぎと「全部のデッサンを買う」ミレーの作品だけの展示会をアメリカ人向けに開催する、など話題が話題を呼び1867年にDurand-Ruelに30000フランで買われ、1870年アメリカ人コレクターに38000フランでわたり、次はベルギー人が50000フランで購入、1881年以降も160000フラン300000フランと価格はどんどんあがり、アメリカのロックフェラー氏は500000フランでこの絵を購入しようとしていたそうです。しかしそのときミレー自身はすでに亡くなったっていました。
やがてアメリカの美術教会代表M.Suttonがやってきて553000フランでアメリカへもっていきました。。
そのときはフランス政府が実は買い戻す話があったものの、それだけの金額をだすことができず、結局このころ、ミレーへのオマージュとして「コピー」を描いたPrepiorskiという人が1200フランで晩鐘など代表的作品を売っていたことから、「アメリカへ売ったものは実は贋作だ」などとスキャンダルもおこりました。(結局はそのPrepiorskiという男がルーアンでつかまった)その後ルーヴル美術館で「晩鐘をフランスへ取り戻す」使命がくだされM.Chauchardという男が無事フランスへ買い戻しました。
世界各国で沢山の人がこの「晩鐘」を見たいと、リクエストが絶えないそうです。

一度この絵をナイフで切られた事件がありましたが、7箇所も切られたにもかかわらず、人物の顔の部分などの細部が切り裂かれなかったこともあり無事に修復ができたということでした。

この絵について、サルバトール・ダリが"sensationnelle"という雑誌に寄稿していて「誰もこのミレーの作品の本当のところをみてない、みんなこの農夫の祈りについてしか考えていない、まったくなんて口惜しい間違いだ、この農夫は泣いている、全身全霊で、、何故かって?それは単純に、はじめミレーはここに墓を描いていた、しかしあまりにも悲しすぎる題材をもっとやわらかく表現しようとして墓を塗りこめ下に隠した。ルーヴルの研究所はそれを科学的な方法に確認する方法をもっているのに、、、」


これはフランスのP.Bellemare, J.M.Epinoux,R.Morandという共著で「数々の奇妙な運命」POSSESSION (所有)というレポートの中で紹介されていたものです。
絵も作者をはなれたあとに色々な運命をたどっていくんだな、とおもいますね。
この本の中には数々の絵のこういった話が載っています。(ノンフィクションレポートですが、文学的に読みやすくかかれているものです)興味がある人はLivre de Poche 14485(文庫本でだいたい日本で900円か1200円くらい、またはインターネットで注文できると思います)たのしんでみてください。


ちわ。

管理人 さんのコメント
 (2000/11/13 01:24:07)

■bonapa様
こりゃ長文の書込みどうも。やっぱ、これくらいの長さがないと読み応えないですよね。なんかこの掲示板、うちのサイトの中でもメインのはずなのに、書込み自体が少ないんで技法以外の話でもいいや、という感じです。
bonapa殿も最近あんまり来られないんで、どうなったのか心配してたんですが、どっか行かれてたんでしょうか。ヨーロッパ行ってるときでも、日本語入力さえできれば書込めるんで、どっからでも書込んでください。残念ながら利用者が増えてしまって、昔みたいにマメに返信できなかったりですが。
今度は是非ともシャルダンの絵具の話とか期待してるんでお願いします。僕はちょっと仏語は読めないんで。ま、気が向いたときでいいですけどね。


日蝕 さんのコメント
 (2001/08/06 22:41:37)

ひとつ質問させていただきます。先日マネに関する文献を読んでいたところ、奇妙な記述に出くわしました。書き手はマネの弟の妻でもあった女流画家のベルト・モリゾです。それによると、マネはモリゾの姉(エヴァ・ゴンザレスという名前で、この人も画家)の肖像画を描いているとき、頭部を何度も消しては描き直していました。そして、ここが問題なのですが、消すとき、「savon noir」を使っていたというのです。直訳すると「黒石鹸」ということですが、辞書によって、「緑石鹸《タイル洗浄用》」となっていたり、「軟石鹸」となっていたりと、対応する日本語はまちまちです。

インターネットで「savon noir」を検索してみたところ、少なくとも現在では、主に洗顔など美容に使われるドロッとしたペースト状の石鹸のことを言うらしいとわかりました。それにしても、油彩で描いた画面を消すのに、石鹸を使うなどということがありうるのでしょうか? 証言をしているモリゾは本人も画家なわけで、勘違いをするとも思えないのですが……。みなさんはどうお考えでしょうか。ご意見を伺えれば幸いです。


日蝕さんのコメントに推測の意見

bonapa さんのコメント
 (2001/12/28 08:47:28)

ものすごくひさしぶりにこのページをあけたら日蝕さんの面白いコメントがあったので、そのコメントにコメント。(ものすごく遅いレスですみません)
「savon noir」は文字通り「黒い石鹸」だったと思います。 「緑石鹸」とか「軟石鹸」といわれているのは、日本でも今売られている「マルセイユ石鹸」(ブランド名です)のことですね。(できたてはあれはやわらかいんです、いとできりながら使ってるわけです。しかも水についたままだとどろどろになる。フランスのマルセイユ石鹸のHPに歴史や製造工程が書かれています。石鹸が黒かったのは昔は(といっても19世紀だ)石鹸のなかに「煤」が入っていたものもあすたとうことです。品質のカテゴリーがあがるほど「savon blanc」といわれて顔などを洗う用石鹸とされ、主に「黒石鹸」は泥汚れ、などを落とすための物だったそうです。 (現在の洗顔美容用の黒石鹸についてはよくわかりません)

っていう事から推測して、単純に 筆を石鹸であるのと同じように画面を石鹸で洗った、ということではないでしょうか? その部分をきれいにあらい落として描きなおしたかった、っっていうことなのかもしれになぁ。と思いました。(全体の文章とか読まずしてこんな推測するのもなんですが、一応そうおもったので書いて見ました)


「タッチの思考」、、に思ったこと。

bonapa さんのコメント
 (2002/01/01 23:54:59)

「タッチの思考」 −モネの絵画に関する研究と考察−
印象派の絵画に見られる特徴づけとなるタッチとはいかなるものか?
19世紀、美術評論において、「色点」は「タッチ」と同様の用語として使用されていた。
フェネオンは新印象派の点描についてこう記している「筆さばきによって作られるのでは無く、かつ細分化された色点によって作られるタッチ」一方彼は印象派のタッチを「粗雑なタッチ」と批評し、また他方では新印象派のタッチについての考察の中では、印象派と新印象派の比較表現においては絵の具による色点としては同等のものであり、全てのタッチはまさにそれぞれの質感を備え持っている。
フェネオンの論拠はシニャックの主張を継承しており、彼は近代絵画の発展を歴史発達という視点から主に絵の具の進歩の歴史であったと言う一つの記述を示した。
タッチは一つの画面の上における質感として存在する油絵の具同様実体的観念でしかない。タッチによってみられる質感は物を再生しながら「手描き」する行為を示している。

「impression印象」という単語は「im-pression圧するものが無い」から来ている。つまり、それは感性で感じた表現を描き感性の跡を残す。 画家は描く手を持つ身体と同様である。このような理由から印象派はタッチを活かしながら作家の感性を描くことを試みた。とは言え、もしタッチは油絵の具同様実体的観念であると考察するのであれば、印象派達は油絵の具同様質感を持って彼らの感覚を画面に実体化させたかったと言うべきであろう。 印象派の価値と持ちうる概念はこの結果に見ることがきる価値の中に内在する。



と、おおせられておるのはフランスのモネ研究家だそうですが、私がこの難解なレポートをよみ思ったのは、ここのHPに来る人たちはほとんどの方が自分で絵を描く人達なので、当然自分が「どんなマティエールにしたい、」とか「こういうタッチ」で表現がしたいな、という目的があって、画材のことを研究されているのだと思う。
しかしながら、「研究対象」にされた絵はこうも色んな風に一つの「タッチ」について言われるのか、と思って、自分があまり意識していなかった事を「意味をもたせて説明される」って言うことがあるんだなぁ。
と思って改めて「あぁ、そうなのか」と思ったりしました。

日本語では今は「タッチ」とか「マティエール」とかって絵をかかれる人のあいだでは市民権を得たような日本語だと思っていたけれど、実はまだ、日本人の感覚の中には「そのタッチから、思考を解説される」ような細かく見分けられたマティエールを持ってはいないかもしれないとも思いました。

以上、技法とかのこととちょっと離れているかもしれないけど、一応書き込みしておきます。

「シャルダンの技法」についても「タッチ」についての記述があったので、別のページに書き込みしておきます。


「サージェント」作品

窓の鳥 さんのコメント
 (2002/02/28 13:04:28)

横浜美術館で「チャルトルスキィコレクション展」を観てきました。
帰りに常設展示に寄ってみたら、珍しい「サージェント」の小品が1展ありました。(「ナポリの少年」だったと思う)
本物の「サージェント」を見るのは初めてです。
作品的にはそれ程良いものとは言えませんが、(小さいし)彼の技法をある程度観察はできる物だと思います。


仁美 さんのコメント
 (2003/01/27 13:40:45)

印象派と後期印象派はどのように違うのですか?
よかったら教えて下さい。


ミレーの晩鐘

ヴェクサン さんのコメント
 (2004/04/04 04:52:53)

描かれた場所に看板がたってます。
確かバルビゾンの村はずれっだたような。
シスレーのモレ シュル ロワンとか浅井の住んだ
グレに行くときに偶然見つけました。
ミレーはとりたてて好きでもないけど、やっぱり感慨深いものがありました。


管理人さんへのお願い。

K・H さんのコメント
 (2010/03/22 01:24:59)

 この19世紀以降のコーナーに、エコールド・パリのコーナーを作ってもらえませんか。
 ここが古典絵画(油彩とテンペラの併用)が中心、っていうかそれが全てと言い切ってもいいサイトなのは重々承知しているつもりですが、このサイトの利用者が油彩技法に自覚的だという意味において、エコールド・パリも扱っていいんじゃないかと思いまして。
 あまり言われないんですけど、エコールド・パリのメンバーは、かなり技法にこだわっているじゃないですか、セザンヌの画法を応用したモディリアーニとか、独特の下地で一世を風靡したフジタとか、ナクレ技法のパスキンとか、結構技法的に面白いんです。
 それと個人的なこともあって、たまたま美術館でキスリングの絵を見たことがあるんですが、あれがすごく印象的で、どうやったらああなるのか不思議で仕方なくて、誰か知っている人がいたら教えてほしいと思っているので(何か知っている人がいたら教えて下さい!)
 この印象派/後期印象派のコーナーと同様、個別に画家を扱う必要はないと思いますので(かくいう私も古典絵画が興味の中心の人間です)、ぜひともお願いします。


なまえメール
ホムペ
タイトル
コメント
※注意:スパム(迷惑)投稿が行なわれた場合は、即刻プロバイダ等に連絡し、厳正な対処を依頼します。


[HOME] [TOP] [HELP] [FIND]

Mie-BBS v2.13 by Saiey