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ありがとうございました。

初心者 さんのコメント
 (2007/03/14 08:32:02)

とても、参考になりました。
近々、実践してみようと思います。

支持体のパネルにはジェッソか何か塗りますか?


もう一つ疑問がありました。

初心者 さんのコメント
 (2007/03/20 00:49:22)

筆はどうやって洗えばいいのでしょうか?


ご質問について

Miyabyo さんのコメント
 (2007/03/22 06:12:12)

「初心者」 さんへ

≪支持体のパネルにはジェッソか何か塗りますか?≫
必要に応じて使ってください。習作から本作に差し掛かったら、支持体をより確かなものに替えたりなさるといいでしょうし、より堅牢にしたければ、綿又は麻の寒冷紗でパネルを包んでから塗るといいでしょう。

下地には、硫酸カルシウムより炭酸カルシウムの方を私は好みますが‥‥。


≪筆はどうやって洗えばいいのでしょうか?≫
うーん、これは、卓上で考えるとありうる質問ですね。温度計などがあれば、お湯が60〜70℃になると、蝋は筆の穂先から離れ、湯の面に浮くことが確認できるでしょう。顔料は、一部は蝋に残りますが、多くは時間が経過すれば底に沈みます。
筆は、湯が冷めるまで放っておけるように、何かで固定し、穂先が底に着くことのないよう工夫してください。柄の部分に蝋がこびりつくかもしれませんが、気になるほど付着した時点で削ればすみます。
もしも急ぐ場合は、穂先から蝋が浮いた時点で氷をぶち込む。
タイミングは、経験で体得する以外ありません。

描く前に考えるよりも、描きながら出てくる疑問に立ち向かう方が、きっと実りあるものになることでしょう。十分に取り扱い方が判らなくとも、「描きたい」というエネルギーに身を任せると、思わぬ失敗も重要な「個性」のヒントになったりします。
「蝋画で作品を描いてみたい」という気持ちが冷めない前に、描いて見ましょう。おそらく、1枚目を描く前に「蝋画のシェーマ(規範)」が見えてしまうと、描くエネルギーは半減していることでしょう。


画術にまつわる文献 06

miyabyo さんのコメント
 (2007/09/04 04:50:24)

お久しぶりです。
分量が多すぎて、先ほどはじかれました。2回に分けてupします。


「画術にまつわる文献 04」で、画家(特に写本彩飾画師)の社会的環境及び地位について少し触れましたが、その13世紀末頃の状況が、一足飛びに16世紀に入るとどうなっているのか?フランスより北の、したがって第2のルネサンスの息吹がイタリアよりは緩慢であった地域の日曜の光景から。

1520年8月19日
聖母被昇天節の後の日曜日にアントウェルペンの聖母教会の大行列を見た。そこにはあらゆる職種と階級の全市民がみな各自の階級に従ってもっとも華美な盛装をして集まった。各階層と職人組合とは識別できるように記章を付けていた。‥‥中略‥‥ 金細工師、画家、石工、綾織刺繍業者、彫刻家、指物師、大工、水夫、漁夫、肉屋、皮革業者、布地屋、パン焼業者、仕立屋、靴屋、その他あらゆる職人やまた日常生活に奉仕する様々の職工や店員たちが、‥‥中略‥‥ 次々に通りを行列してくるのを見た。その後から鉄砲、弓、弩弓を持った射撃隊、同じく騎兵隊と歩兵隊が続いた。そのあとから役人の大集団が来た。そのあと荘厳かつ華麗に着飾った上流の人々の集団が進んできたが、しかしそれに先立ってすべての教団と信徒会とがそれぞれの区別を立てながら、極めて敬虔に歩を進めた。‥‥中略‥‥ 殿(しんがり)にすべての神父、神学者そして聖器[管理人]らを従えた聖母教会参事会員の一行が進んで来た。そこには二十人の人々が主なる神の栄光を讃えてこの上なく見事に飾りを凝らした聖母子像を担いでいた。‥‥中略‥‥ 最後に聖マルガリータがお供の処女たちとともに綱で曳いている一匹の大きな龍があったが、殊の外見事であった。‥‥中略‥‥ この行列は初めから終わりまで私の宿の前を通り過ぎるのに二時間以上かかった。


伝統行事であることを差し引いても、16世紀に入ってさえ、画家の地位というのは中世と似たり寄ったりで、世間一般的にはほとんど変化していないといっていいようです。

これを手帳に書き残した「私」とは、アルブレヒト・デューラーでした。
●『アルブレヒト・デューラー ネーデルラント旅日記1520-1521』
 前川誠郎 訳・注 朝日新聞社1996.(p. 36-38)

とはいえ、この手帳が書かれた16世紀の前に、つまり第1のルネサンスである1200年代の文芸復興(ほとんどはギリシャ古典の翻訳)と1400年代の大いなる古典復興の間で、どのようにして画家は職人から芸術家への道を歩んでいたのか。それを伺い知れる書として、

●Ames-Lewis, Francis , The Intellectual Life of the Early Renaissance Artist,(2000) Yale U.P., 2002.
フランシス・エイムズ-ルイス『初期ルネサンス芸術家の知的生活』
があります。この書は、15世紀の芸術家たちがパトロンからの様々な要求に対してどのように個性(芸術的自立性)を維持しながら制作をなし得たのかについて、マンテーニャ、ダ・ヴィンチ、ラファエロ、デューラー、etc. を例に、その当時の彼らの努力の源を比較的丁寧に教えてくれる書と言えるでしょう。職人から芸術家への道。

ところで、前回扱った14・15世紀について、リオネロ・ヴェントゥーリはフィレンツェを例にとって次のように言っています。
「14世紀フィレンツェの、芸術についての著述家たちは、中世に終止符をうち、そして、早くも来るべき時代の主調に言及している。ルネサンスにおいて自然研究は、芸術家の目指す基本的な目的となり、芸術家は外的世界の発見に活発に貢献するのである。15世紀の芸術論は、もはや処方箋を作ることをやめ、特に現実の解釈に多くを費やし、現実再現のための基準を示唆している。」
リオネロ・ヴェントゥーリの『美術批評史』辻茂 訳 みすず書房1990年(初版1963年)84頁

美学や批評の目覚めに関心のある学者には、そのように見えるのかもしれませんし、なるほど美学、あるいは美術批評史の流れとしては妥当な認識なのかもしれませんが、「15世紀の芸術論は、もはや処方箋を作ることをやめ」たというのは、事実とは程遠い言説で、視点の違いというしかないように感じるわけです(16世紀ならある程度そのような認識はできるでしょうが)。
つまり、彼が「美術批評史」を語る上で援用した「芸術論」に与すると考えた15世紀までの諸書が、では本当に芸術論なのかといえば、明らかに諸芸の技術を書き記したものの方が圧倒的に多く、その流れを汲む、彼が言うところの「処方箋」は、15世紀以降でも書き綴られているのです。彼はそれらを当たるべきテキストとしては切り捨てただけに過ぎないように、私には思えるのです。

「図像学の研究」の項で、ヴェントゥーリは、「図像学的方法は、技法のそれよりもはるかに、芸術作品の理解にとっての妨げとなる。」(同218頁)とも云っていますから、例えば、テンペラ画、油彩画、テンペラ・油彩併用画のそれぞれの画材(表現手段)による描きうる世界の違いなどには一切言及も考察もしていません。たしかに、「芸術作品」を鑑賞するのに、図像学や技法は、作品とのストレートな出会いを阻害する場合がありますが、描く側からすれば、少なくとも「技法」は誘掖の宝庫と言っていいはずです。

画術の歴史を辿る上で、実は16世紀という時代は、特筆すべき変遷があったことに注目しておきたいのです。

つまり、いわゆる「12世紀のルネサンス」では、ヨーロッパの知識階層で、経験ではなく、文書(ラテン語への翻訳)を通じて遠いギリシャの哲学や科学が再発見されるわけですが、15世紀半ばのグーテンベルクの活字印刷技術以前の文芸復興であったために、情報としてはすこぶる効率の悪いものでした。それが、インキュナブラ(グーテンベルグの聖書の出版以降1500年以前までに出された書)以降がらりと様相が変わる。

批評の目覚め。秘技の公開。‥‥

15〜16世紀にまたがって、非常に優秀な芸術家を多く輩出したことと同時に、特に16世紀半ば頃から彼らを援護する「芸術論」に類する書が多く書かれたわけですが、その中でも輝いているのがヴァザーリの書ということになるでしょうか。

「彫刻家」と「画家」のどちらが上か、といった議論、ミケランジェロかラファエロか、はたまたティツィアーノか。あるいは、トスカーナとヴェネツィアの芸術家のどちらが優れているか。画家は自然をいかに模倣するかが一義的である云々‥‥
古代ギリシャの智から書き起こす芸術の形而上学的雑談。等々。

その熱気は、イタリアの出版事情を見ると顕著です。
 1548年 パオロ・ピーノの『絵画問答』、
 1550年 ヴァザーリの『美術家列伝』
 1557年 ヴァザーリに物申すという形で出されたロドヴィーコ・ドルチェの『絵画問答』
 1567年 ヴァザーリの『美術家列伝』(一部改訂第2版)ミケランジェロに対する若干の評価修正など
 1584年 ヴァザーリの影響下に著されたラファエッロ・ボルギーニの『休暇荘』
 1584年 ロマッツォの『絵画芸術論』
 1587年 アルメニーニの『絵画真範』
‥‥と、掻い摘んでみても感じるわけです。
しかもキワモノは「見境なく」あれやこれやに首を突っ込んで出しに出した売文家のロドヴィーコ・ドルチェ。生涯に出した書籍は358点(編纂に加わっただけのものも含む)に上り、次点のフランチェスコ・サンソヴィーノの176点をはるかに引き離している。
このあたりは、美術史(美学)専攻の方々にとってはよだれの出るところでしょうが、画術に関する情報としては、実のところあまり唾液が出てこない。
つまり、レオナルド・ダ・ヴィンチあたりまで確実にあった画術に関する関心(レオナルドは芸術論にもまたがっていますが)が、すっかり「芸術論」にすり替わっていく時代でもありました。なるほど一見画術のことを書いている部分もありますが、具体的な顔料名やその処方・技術は稀で、抽象的な「色彩論」「画術論」「透視図学」等にすり替わり、智の造形としての「絵画論」が展開される。

そこで、そうした華々しくも喧騒とした美術史の大通りを抜けて、ひとつふたつ奥の路地裏に入ってみることとします。いや、路地裏だと思って抜けた先には、実はもっと大きな通りがあったりするのが16世紀だろうと思っているわけですが‥‥。

と、ここまで書いたところで、夏の小旅行に出かけたのですが、その時に携帯したのが、今年の4月に出た

●山本義隆『一六世紀文化革命』全2巻 みすず書房2007年

でした。なんだ、この書を挙げておけば、さっさと先に進めるじゃないか、と思いました。
いくつもの大通りがあることを教えてくれますし、視野が広くて深く、特に第1巻はお勧めです。

ということで、画術にまつわる文献の紹介に入ります。


画術にまつわる文献 07

miyabyo さんのコメント
 (2007/09/04 04:55:27)

まだ多すぎたようです。
更に2回に分けてupします。

『透視画法』1480年頃 ピエロ・デッラ・フランチェスカ(c.1420-1492)
Piero, Della Francesca, DE PROSPE(C)TIVA PINGENDI, FACSIMILE OF PARMA, BIBLIOTECA PALATINA, MS 1576.
●Nicco Fasola G., Piero, Della Francesca, De Prospetiva Pingendi, Facsimile of Parma, Biblioteca Palatina, MS 1576, Broude Brothers, Ltd., 1994.
 この書は、Nicco Fasola Giustaがフィレンツェで1942年に出版した書のファクシミリ及び英語による解説抄。
 イタリアで2005年にNicco Fasola Giustaの原本が再版されている。全220頁。
                参考           
●Lavin, Marilyn Aronberg(edited)“Piero della Francesca and His Legacy”, Studies in the History of Art, vol. 48, National Gallery of Art, Washington, 1995.
 1992年12月4〜5日のシンポジウムで発表された論文集。特に、透視画法関連論文として以下を参照。
 Field, J. V., A Mathematician’s Art, pp. 177-198.
 Kemp, Martin, Pietro and the Idiots: The Early Fortuna of His Theories of Perspective, pp. 199-211.

○マリリン・アロンバーグ ・レーヴィン『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』諸川春樹 訳 岩波書店 2004年 Marilyn Aronberg Lavin 
 上載1995年刊の編者レーヴィンの書で、この謎の多い、画家であり数学者でもあったピエロの生涯を、近年発見された新資料や修復の成果を盛り込んで書かれてあるらしい。
     参考書籍
 ■透視法・陰影法
●Merrifield, M. P.,‘Light and Shade, A Classic Approach to Three-Demensional Drawing’, (c. 1854), Dover, 2005.
●White, J. ,“The Birth and Rebirth of Pictorial Space”, (1957), Faber & Faber, 1987
 J. ホワイト『絵画空間の誕生と再生』
●黒田正巳『透視画−歴史と科学と芸術』美術出版社1965年
●Cole, Rex Vicat.,“Perstective for Artists”, (1921) Dover, 1976 
R. V. コール『芸術家のための遠近法』
●小山清男『絵画空間の図学』新技法シリーズ118 美術出版社1980年
●Kemp, M.,“The Science of Art − Optical Themes in Western Art from Brunelleschi to Seurat”, Yale University Press, 1990
 『芸術の科学−ブルネレスキからスーラまでの西洋美術における光学的主題』
●黒田正巳『空間を描く遠近法』(『透視画−歴史と科学と芸術』の改訂新版)彰国社1992年
 ユニークな視点による遠近法
●井村俊一『図学教育へのパーソナルコンピュータの利用について(1)〜(9)』金沢美術工芸大学紀要No. 36, 37, 39, 40, 41, 42, 44, 45, 47, 1992, 1993, 1995, 1996, 1997, 1998, 2000, 2001, 2003.
●奈尾信英「ルネサンス初期の前遠近法的作画法 −マリアーノ・タッコラの『技術論』における図的表現− 」, 図学研究 第30巻2号2002, pp. 3-8.
●井村俊一『逆遠近法の理論的考察試論』金沢美術工芸大学紀要No. 46, 2002, pp. 49-56.
●井村俊一『アブラハム・ボッスによる透視図法と不規則平面に描く方法』金沢美術工芸大学紀要No. 48, 2004, pp. 23-35.
●井村俊一『アブラハム・ボッスの透視図法と絵画』金沢美術工芸大学紀要No. 49, 2005, pp. 105-113.
●井村俊一『円筒鏡アナモルフォーズの作図法−歴史的見地から種々の作図法についての検証を主として−』金沢美術工芸大学紀要No. 50, 2006, pp. 29-44.


16世紀
『人工遠近法』1505年 ジャン・ペルラン・ヴィアトール(1445頃-1524) 仏国 
●Brion-Guerry, L. ,'Jean Pèlerin Viator, Sa place dans l'histoire de la perspective', Paris, 1962.
 この『ジャン・ペルラン・ヴィアトール 遠近術史におけるその位置』と題された書の中に、ヴィアトールの『De Artificiali Perspectiva』の全文が載っている。
○『ヴィアトールの透視図法』アール・ヴィヴァン叢書 空間の発見(1) 横山正 訳 リブロート1981年
 ヴィアトールの書の邦訳と挿入図版の解説をしているらしいが未見。


『絵画論』1500年頃(1489-1518)レオナルド・ダ・ヴィンチ[1452-1519] 
○Ludwing, H. / Leonardo da Vinci,“Das Buch von der Malerei, nach dem Codex Vaticanus (Urbinas) 1270”, Quell. f. Kunstgesch. u. Kunsttech., XV, XVI, XVII, XVIII, Wien, 1882 (rp. 1970) 全4巻中第4巻は注釈
○Riichter, J. P.,“The Literary Works of Leonardo da Vinci”, 2vols, London, 1883 (rp. 1939, 1970).
●da Vinci, Leonardo. McMahon, A. Philip (translation and annotation). Heydenreich, Ludwig H. (introduction). Treatise on Painting [Codex Urbinas Latinus 1270]. 2 volumes, Princeton University Press 1956. 
Volume 1: Translation. Volume 2: Facsimile.  ウルビーノ手稿の復刻とその英訳
●『レオナルド・ダ・ヴィンチ解剖図集』松井喜三 編 みすず書房1971年(新装版2001年)
○『レオナルド・ダ・ヴィンチ マドリッド手稿』全5巻(ラディスラオ・レティ翻刻)裾分一弘他訳 岩波書店1975年
 “I Codici di Madrid, a cura di Ladislao Reti”, 5 voll., Giunti Barbèra, Firenze, 1974. の邦訳
●『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』上下2巻 杉浦明平 訳 岩波文庫1977年
 公刊されているダ・ヴィンチの手記関連からの抜粋。絵画関連は上巻。
●Leonardo da Vinci,“A Treatise on Painting”, Prometheus Books, 1892 (rp. 2002).
 ダ・ヴィンチの書き残した絵画論(本来の「絵画論」は既に伝わっていない)及び絵画技術に関する手記の集成
                    画術研究
●Matteini, M. / Moles, A.,A Preliminary Investigation of the Unusual Technique of Leonardo’s Mural‘The Last Supper’, Studies in Conservation, vol. 24, pp. 125-133, 1973
○Brachert, Thomas, Die beiden Felsgrottenmadonnen von Leonardo da Vinci, Maltechnik/Restauro, (1977) Pp.9-24. (The two Virgins of the Rocks by Leonardo da Vinci)
●カルロ・ベルテッリ『レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」』森田義之訳 季刊「みずゑ」No. 925, pp. 38-42, 1982年
○Kühn, Hermann, Naturwissenschaftliche Untersuchung von Leonardos Abendmahl in Santa Maria della Grazie in Mailand, Maltechnik-Restauro, Vol.91 No.4 (1985) Pp.24-51.
 (A scientific examination of Leonardo's Last Supper in Santa Maria delle Grazie, Milano)
●Harding, E. / Braham, A. / Wyld, M. / Burnstock, A.,“The Restoration of the Leonardo Cartoon”, National Gallery Technical Bulletin, vol. 13, pp. 5-28, 1989
●Harding, E. / Oddy, A.,“Leonardo da Vinci’s Cartoon −The Virgin and Child with St Anne and St Jhonthe Baptist−”, The Art of the Conservator, British Museum Press, pp. 28-41, 1992
●Keith., Larry / Roy, Asok,“Giampietrino, Boltraffio, and the Influence of Leonardo”, National Gallery Technical Bulletin, vol. 17, pp. 4-19, 1996.
●Pinin Brambilla Barcilon, Pietro C. Marani, Pinin Brambilla Barcilon, “Leonardo: The Last Supper”, Univ of Chicago Pr., 2001
 イタリア政府から委託された女性修復士ピニン・ブランビッラ・バルチロンも加わっており、もっとも信頼できる報告書。全400頁中参考図版が200頁、バルチロン女史の報告は100頁余。


 『マルチャーナ手稿 − 様々の秘密−』(16世紀初/中期)
ヴェネツィアの聖マルコ図書館蔵。
邦訳に残るディルナーの数少ないオリジナルの章「昔の画匠から現代までの絵画技術について」の中には、既にその後の保存修復の予備調査などにより反証されている部分も多いが(例えばファン・エイク、ルーベンス、レンブラントの技術の項)、明らかな誤解による仮設もある。それが「ティツィアーノの技術とヴェネツィア派の技術」の項で、その技術の仮設の根拠としたのが、この『マルチャーナ手稿』だった。邦訳では、「聖マルコ図書館の手稿本」(p. 484)と書かれている。ディルナーの言う「テンペラのうえに樹脂油絵具」を置くという技術は、実はこの手稿のどこにも書いていないからだ。原典に当たった上でなのかどうかは判らないが、彼がエルンスト・ベルガーの“Beiträge zur Entwicklungsgeshichte der Maltechnik”に目を通していたことを考えると、ベルガーの説に同調してしまったからなのかもしれない。つまり、ベルガーの事実誤認をそのまま引きずっている可能性がある。
●Marciana Ms – Secreti Diversi - . メリーフィールド『絵画技法原資料集』vol.2, pp. 601-640.


デューラー (1471-1528)の著作
 彼の画術に関する著作はなく、現在残っているのは、造形に関する理論的考察。
 デューラー『画家必携Underweysung der Mussung』1525
○Strauss, W. L. / Dürer,“The Painter’s Manual”, New York, 1977.
●『「絵画論」注釈』下村耕史 訳 中央公論美術出版社2002

 デューラー『人体比例論Vier Bucher von menschlicher Proportion』1528
○Vaiss, P.,“Lettres et écrits théoriques : Traité des proportions”, Paris, 1964.
●『人体均衡論四書』前川誠郎 監修 下村耕史 訳・注 中央公論美術出版社1995
               参考
●『アルブレヒト・デューラー ネーデルラント旅日記1520-1521』前川誠郎 訳・注 朝日新聞社1996.
 1年ほどの旅の記録であるが、ほとんどは金品に関することで、かなり金銭にうるさかったことが伺える。この旅の途中で何度か絵具を購入しており、一度だけラピスラズリを購入している。「私は彼(ヤーコプ・ティーリック)に一オンスの良質のウルトラマリーンの代として十二ドゥカート相当の作品を渡した。」(p. 95)
 クルト・ヴェールテの“Werkstoffe und Techniken der Malerei”, Otto Maier Verlag 1967の英訳版(1975)によると、デューラーは時折安価なドイツウルトラマリン(アズライト)を売りつけられて騙されたことがあると言っている(このことは、最新版からの邦訳の『絵画技術全書』には載っていません)。
○『デューラーの手紙 付 家譜・覚書』前川誠郎 訳・注 中央公論美術出版社1999
               研究
●Andreas Burmester / Christoph Krekel, “The Relationship between Albrecht Dürer's Palette and Fifteenth/Sixteenth-Century Pharmacy Price Lists: The Use of Azurite and Ultramarine”, PAINTING TECHNIQUES: HISTORY, MATERIALS AND STUDIO TECHNIQUES, Abstracts of the 17th International Congress - Dublin - 7-11 September 1998, pp. 101-105.
○Katherie Crawford Luber, Albrecht Durer and the Venetian Renaissance, Cambridge U.P., Cambridge, 2005.


『色について』Telesio, Antonio [1482-1533]. 1528. アントニオ・テレシオ 伊国ラテン語
●Telesio, Antonio, Libellus de coloribus, 1528.
 http://www.bivionline.it/en/LibellusDeColoribusTOC_sections.html 
にて入手可
○De iride et coloribus. Latin (Venice, Italy: Opera). New ed. (Paris, 1548).
○Telesio, Antonio, On colours, (trans. Don Pavey), London: Color Academy, Micro Academy, 2002
English translation by Don Pavey, On colours, accompanied by the Latin text, with introduction, annotations and indexes by Roy Osborne (London: Color Academy, Micro Academy, 2002).


『The Allerley Matkel』(1532) Peter Jordanim ドイツ 染色関連 
 繊維の洗浄や染料について記されている。
●Peter Jordanim, Allerley Matkel, Mainz, 1532.
 http://www.elizabethancostume.net/dyes/index.html より入手
○S. M. Edelstein, ed., The Allerley Matkel (1532) Facsimile text, translation and critical study of the earliest printed book on spot removing and dyeing, Journal of Technology and Culture, 1964, pp. 297-321.


『人体構造に関する七つの書』(1543)アンドレア・ヴェザリウス(ベルギー)
 出版当時は、イタリアのパドヴァ大学の解剖学外科学教授。図版はティツィアーノの弟子カルカール(Giovanni da Calcar 1499-1546/50)が描き、出版費用もカルカールが出したとの説もある。印刷は当時最も印刷技術が高かったスイスのバーゼルのオポリヌス(Johannes Oporinus 1507-68)が行った。原題はDe corporis humani fabrica で、通称「ファブリカ」。当時正統とされたガレノス解剖学を大幅に訂正する内容であったために、正統派(特にその最右翼のパリ大学は彼が3年間学んだ母校でもあった)からは異端者扱いをされた。
●Vesalius,“The Illustrations from the Works of Andreas Vesalius of Brussels”, Dover , 1950.


『絵画問答』(1548)パオロ・ピーノPaolo Pino 伊国
○Camesasca, E., / P. Pino,“Dialogo di pittura”, Milano. 1954
●「パオロ・ピーノ『絵画問答』翻訳と注解」森田義之・細野喜代 訳『五浦論叢』八号pp.1-39、九号pp.1-17、十一号pp.29-45、十二号pp.1-20(2001〜2005年)邦訳進行中
 『五浦論叢』:茨城大学五浦美術文化研究所紀要
 九号〜十二号までは以下のところで入手可能
 http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN10406304_jp.html 国立情報学研究所 


『ジョヴァンヴェントゥーラ・ロゼッティのプリクト』(1548)ジョヴァンヴェントゥーラ・ロゼッティ 伊国 染色技術
 伊藤亜紀の書では『染色職人及び造形を教示する染色師のための羊毛、亜麻、木綿、絹の染色法の技のプリクト』というタイトルで紹介されているこの書は、当時の染色技術を知る貴重な記録です。
赤の処方が全体の3割以上を占め、青の処方は全222項目中わずかに5項目。伊藤亜紀『色彩の回廊』によれば、《著者ロゼッティはヴェネツィア生まれ。一五三〇年には同地の海軍工廠に勤めていたことが知られており、本来は染色工ではなかった。しかしナポリ、ローマ、フィレンツェ、ジェノヴァなど、イタリア各地の染色法を独自に取材して得た知識を総動員して「祖国ヴェネツィアの人びとのために」十六年の歳月をかけて書き上げたのがこのマニュアルである。‥‥“Plicho”という奇妙なタイトルについては、長い間不明とされてきたが、現代では、plico(重要な書類や指示を入れておく袋)のことであると考えられている》217頁註より 

○“Plictho de larte de tentori che insegna tenger pani telle e bambasi et sede si per larthe maglore come per la comune”, in Icillio Guareschi, Sui colori degli antichi, Parte Seconda, Unicone Tipografico – Editrice, Trino, 1907.
●Rosetti, Gioan Ventura,“The Plictho of Gioanventura Rosetti. Instructions in the Art of the Dyers which Teaches the Dyeing of Woolen Cloths, Linens, Cottons, and Silk by the Great Art as Well as the Common.”, Translation of the First Edition of 1548 by Sidney M. Edelstein and Hector C. Borghetty, M. I. T. Press, Cambridge, Massachusetts, London, 1969.
   参考
●Brunello, Franco. ,“The Art of Dyeing in the History of Mankind”, Neri Pozza Editore, Vicenza, 1973 
 原題は‘L’arte della tintura nella storia dell umanità’, Neri Pozza Editore, Vicenza, 1968.
 俯瞰的視野で染料に関する歴史を説いた貴重な書。
●Brunello, Franco,“Arti e mestieri a Venezia nel Medioevo e nel Rinascimento”, Neri Pozza Editore, 1981.
 『中世〜ルネサンス期のヴェネツィアの芸術と交易』
●“Trattati scientifici nel veneto fra il XV e XVI secolo”, Neri Pozza Editore, 1985.
●村上道太郎『藍がきた道』新潮選書 新潮社1989年
○村上道太郎『染料の道 ― シルクロードの赤を追う』日本放送出版協会1989年
●伊藤亜紀『色彩の回廊―ルネサンス文芸における服飾表象について―』ありな書房2002年
 特に染料にまつわる記述は非常に参考になる。
○Cardon, Dominique, Natural Dyes – sources, tradition, technology, science, Belin, Paris, 2003.
 第一部 染色の技術
 第二部 染料植物
 第三部 軟体動物から得る紫及びカイガラムシの赤染料
の3部構成で、全800頁。2007年9月にArchetype Booksから増補改訂版が出る。
                その他参考
ミシェル・パストゥローの著書
●“La couleur et l’hostorien”, Pigments & Colorants De l’Antiquité et du Moyen Age, 1990, pp. 21-40.
●『悪魔の布 縞模様の歴史』松村剛・恵理 訳 白水社1993年
●『ヨーロッパの色彩』石井直志・野崎三郎 訳 パピルス1995年
●『紋章の歴史 ヨーロッパの色とかたち』松村剛 監修 創元社1997年
●「青から黒へ 中世末期の色彩倫理と染料」『中世衣生活誌』徳井淑子 訳p. 123-142.勁草書房2000
 マイケル・バクサンドール『ルネサンス絵画の社会史』篠塚二三男他訳 平凡社1989年に対して、
「フランス語訳の(滑稽な)タイトルは、L’œil du Quattrocento, Paris, 1985.  バクサンドールのこの著作は、絵画の財政的問題(pp. 9-46)に関しては優れているが、ほかの点では質が劣るように思われる。色彩の象徴体系と、そのために絵画制作に不可欠な色彩コードに関する箇所(pp. 126-134)はあまりに場違いで、中世末期の象徴世界についてはまるで無知であることを露呈してしまっている。『色彩のシンボリズムは、絵画においては重要な役割を果たしていない』(p.130)とは、挑戦的な発言である。」と手厳しく注釈で指摘している。『L’œil du Quattrocento(15世紀の眼差し)』
●Pastoureau , Michel,“Bleu. Historie d’une Couleur”, (2000), Éditions du Seuil, 2002.
●Michel Pastoureau, Blue: The History of a Color , Princeton Univ Pr., 2001. 上記の英訳版 
  仏文のペーパーバック版(単行本は2000年に出版)には、図版は皆無。英訳のハード版は図版が豊富で理解を大いに助ける。「青から黒へ 中世末期の色彩倫理と染料」では参照していなかったブルネッロの‘L’arte della tintura nella storia dell umanità’, Neri Pozza Editore, Vicenza, 1968. を踏まえて書かれている。
○ミシェル・パストゥロー『青の歴史』松村恵理・剛 共訳 筑摩書房2005年


.昔の技法書/手記 全般 (4)」へ続く。


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