1632〜1675 フェルメール [コメントする]

1632〜1675 フェルメール


スレッド作成 : 管理人さん
 (2000/6/8 23:05:45)

1632-1675 フェルメール
ヨハネス・フェルメールのスレッドです。
Johannes Vermeer
生:1632年、デルフト
没:1675年、デルフト

・各画家のスレッドは基本的にその画家の材料と技法、及び伝記的・歴史的事実や作品等の話題を扱うこととします。
・文献の紹介、材料や技法に関する考察、質問等を歓迎しております。
・文献情報は材料と技法という枠に限らず、その画家に関するものを広く収集できればと思います。
・その他、材料や技法に関する気楽な雑談、模写体験談など、どうぞ。


M-O さんのコメント
 (2001/04/15 13:48:14)

角川書店から出ている「洋画を学ぶ 廚縫侫Д襯瓠璽襪望椶靴っ名な画家が、そのまんまの制作方法でやたら詳しく紹介してましたよ。へたな論文や雑誌のスミをつっつくより、こっち読んだ方が手っ取り早かったですよ。実際描いて見せてますからねーかなり説得力ありましたよ。


フェルメールの技法

miyabyo さんのコメント
 (2002/10/03 07:02:07)

フェルメールの技法に関する基本的知識

 以下の内容は、顔料の同定の権威ヘルマン・キューン氏が、1968年にフェルメールの作品とされる作品(A. B. Vries,“Jan Vermeer de Delft”, 1948. で紹介されている35点中30点)を対象とした報告書に基づいていますが、後半は、私の経験的な推察です。

下地について
下地:厚み0.15-0.25mm(数層からなり、同色の層から各層異なる色味の層まで様々)。
下地のパターン:白亜のみ(蛋白質のみ)、
        白亜+オーカー又は鉛白(蛋白質のみ)、
        白亜+鉛白、オーカー、アンバー、微量の植物炭黒(蛋白質−油の混合)
 下地の大半は有色ですが、内4例は結合材が蛋白質のみで、内訳は、白亜のみ2例、白亜にオーカー、鉛白を少量含むものが2例。
 

パレット
白色:ドイツ製法鉛白、塩基性炭酸鉛の2種

黒色:植物炭黒(但し、『スピネットに向かう若い婦人と紳士』バッキンガム宮殿蔵のみ、骨炭黒使用)

青色:ラピス・ラズリ(30点中25点に使用。平均的粒子は約10μだが、30μ以上のものもある)
  スマルト(平均的粒子は25-30μだが、75μ以上のものもある。ほとんどの場合、他の顔料への混ぜものとして、または、濃い絵具層に使用。キューンは「顕著なのは、スマルトの色がかなり淡かったことである。これは、スマルトが時の経過によってその色彩を失ったのか、それともフェルメールがたまたま淡い種類のスマルトを使ったのかの問題を投げかける」といっている)
  インディゴ(但し、『マルタとマリアの家でのキリスト』エジンバラ・ナショナル・ギャラリーの1点のみ)
  アズライト(キューンは、「濃い青色の中で主成分として見つかることは決してなかった。フェルメールの使用した青顔料の中で、それは脇役を演じたのみである。」といっている)

緑色:テル・ヴェルト(数例)、ヴェルデグリ(1例)、ほとんどは、青と黄の混色で、5点から見つかっている。その内訳
   1.インディゴ+黄土
   2.スマルト+鉛−錫−黄
   3.アズライト+鉛−錫−黄
   4.アズライト+黄土
   5.ウルトラマリン+鉛−錫−黄

赤色:ヴァーミリオン、レッド・オーカー、マダー・レーキ
  (キューンは「フェルメールの絵に使われたヴァーミリオンは、多量の鉛白を含んでおり、そのほとんどの部分は、マダーレーキレーキでグレーズされている。」と述べている。また、マダー・レーキには、吸着材として水酸化アルミニウム(アルミナ)が使われていた。

黄色:鉛−錫−黄、黄土、インド黄

褐色:鉄とマンガンを含む褐色土顔料(オーカー〜アンバー)


 私は、昔日の巨匠たちが使用した絵具を考える時、顔料の粒子の大きさや、顔料に含まれる不純物を考慮するようにしています。しかしながら、多くの修復報告書には、顔料粒子の大きさを記したものは非常に少ないのが現状です。

 たとえば、現在私たちが入手できる顔料で、もっとも粒子の大きいのはヴァーミリオン、鉛白、土系顔料などでしょうが、それでも5μは越えない(カドミウムでもせいぜい数μですが、これは古典絵画には縁のない顔料なので考慮しません。また日本画に使う色ガラスの粉末なども除外)。その他は1μを越すものの方が少ないのが現状で、基本的にすべてグレーズに使えるといわれる所以でもあるわけです。

 で、フェルメールの顔料の粒子を改めてみてみると、いかに大きかったかが判ると思うのです。私はラピス・ラズリの研究をしたおりに、ファン・アイク、リューベンス、フェルメールのラピス・ラズリの粒子を比較したことがあるのですが、最も粒子が細かくて素晴らしい色を保っていたのは、何とファン・アイクでした。時代が下るにしたがって、同じ色味を出すのに粒子を大きくせざるを得なかった可能性を私は考えてもいます。

 ファン・アイクの粒子は、ある測定法によると、全使用量の5割でも3μですが、1世代あとのD・ボウツの方は、5割ですでに10μを越えています。ファン・アイクが10代の頃南方のイタリアで書かれたチェンニーニの『絵画術の書』には、色味が不足するラピス・ラズリにレーキで着色する方法が記され、また、その30〜50年後に書かれた通称『ボローニャ手稿』の『顔料の秘密』にもブラジル蘇芳を使った着色について触れています。

 私は、自分で作るラピス・ラズリは、グレイド別に6段階に分け、いわゆるウルトラマリン灰は3段階に分けています。以前、日本でラピス・ラズリを自作しているという芸大出身の方の「グレイドの良いもの」というものを見ましたが、私のものと比較すると3〜4グレイドに比定しうる程度でした。また、イタリアでテンペラを模写してこられた某氏の「作り方が判らないままに作った」とされるラピス・ラズリは、グレイド5程度でした。
 ちなみに、グレイド5というのは、原石をそのまま磨り潰して水簸した状態に似ています。つまり、アズライトの作り方に近い方法であることがわかります。

 ここで強調しておきたいのは、ラピス・ラズリ、アズライト、スマルトは、それぞれ色味や粒子の細かさ別に、各工房で用意していたということです。特に、ラピス・ラズリはどこの業者から入手するかによって原石そのものの質が左右し、それを工房で、弟子が顔料にする処方によっても品質が変わりました。
 1300年代のAlmenian Gospel bookを調査した報告(1981年)によると、1冊の書に異なる工房の手による写本彩飾が施されていたというのですが、その決め手のひとつに、このラピス・ラズリの品質の違いがありました。
 同一主題の絵を比較調査した神庭信幸氏の報告(『色彩から歴史を読む』ダイヤモンド社1999年)でも、下地の作り方、顔料の選択、顔料の品質などから、リューベンス作、リューベンス工房作、その他の工房又は画家の作、を示唆しておられます。
 フェルメールのラピス・ラズリは、かなり粒子にムラがあり、それを良しとして使用していることから、彼自身の手で作ったのではないかと、私は考えています。




フェルメールの技法続き質問させてください。

bonapa さんのコメント
 (2002/10/07 22:09:21)

miyabiyoさんこんにちは。
いつもながらたいへん興味深いコメントでした。

基本的な事なのかもしれませんが、私は良く知らなかったのでいくつかさらに解説して戴いてもいいですか?

>私は、昔日の巨匠たちが使用した絵具を考える時、顔料の粒子の大きさや、顔料に含まれる不純物を考慮するようにしています。しかしながら、多くの修復報告書には、顔料粒子の大きさを記したものは非常に少ないのが現状です。

顔料の粒子についてはかつての巨匠の使用したものから現在販売されているものまで気になるところなんですが、顔料にふくまれていた不純物というのは意図的に残されている場合が多かったのか、それともその時代の「絵の具の作り方」では限度があったのか、どちらかといえばどっちでしょうか?私は前者のような気がしていました。

>最も粒子が細かくて素晴らしい色を保っていたのは、何とファン・アイクでした。
そうなんですね、これは「やっぱりそうかぁ」っていう気がしました。ま、それは単純に眼で実物を見てそんな風に感じただけですけど。

>時代が下るにしたがって、同じ色味を出すのに粒子を大きくせざるを得なかった可能性を私は考えてもいます。

このように考えられたのはどうしてですか?

>私は、自分で作るラピス・ラズリは、グレイド別に6段階に分け

私は原石から絵の具を作ったことがないので、具体的な作り方とかがよく解りませんでした。グレードを上げてゆくにはどのような作業を繰り返すのですか?またグレードを上げる工程を繰り返すことによって、色味も変わるものですか?
原石の選び方が一番大きな色味の決め手になるかなぁ、と想像したのですが、どうなのでしょうか?

今更ながら人間の目がやはり「μ」の単位の違いを感じ取るものなんだなぁ、と感動。
ヨーロッパの町で外国車をたくさん見ていると車の塗装のぬりの「厚さ」が違うのを感じて車屋サンにそういったら「そりゃもう全然違うから」って説明受けた時にもやはり同じように感じたのを思い出しました。




管理人 さんのコメント
 (2002/10/08 07:48:40)

miyabyoさん、こんにちは。

私も続きの話を楽しみにしております。
せっかくのたくさん書き込んでいただいているのに、なかなか返事ができなくてすみません。
でも、いつも楽しみにしています。
画家スレッドも、まだ無いものは、いつでも作りますので、リクエストしてください。

では。


ラピス・ラズリ一般として

miyabyo さんのコメント
 (2002/10/09 08:34:25 -
E-Mail)

bonapa さんお久しぶりです。管理人さんもお久しぶりです。
 数日前に入手した『「シモネッタ・ヴェスプッチの肖像 − 伝サンドロ・ボッティチェルリ」についての研究報告書』寺田春弌 著 東京芸術大学美術学部(昭和47)を読み終え、1994年に開催されたヴァン・ダイクに関するシンポジウムの報告書Washington National Gallery of Art.刊 他6冊の注文を終えて、これを書いています。

 修復報告書からはいろんなヒントを貰っている私ですが、修復報告書には、大きく分けて2種類あって、日本を例にとると、創形美術学校『修復研究報告』の修復研究報告のように、絵画技法を考える上で役立つものと、黒江光彦氏の『甦る名画 ルーカス・クラナーハ「アダム」と「エヴァ」』のように、もっぱら修復保存技術について参考になるもの(したがって、クラナーハのパレットや結合材の分析など皆無で技法上えるものがない)があるようです。

 日本で下地の問題で興味をひく画家は、藤田嗣治ですが、思うような情報を私はまだ持っていません。ただ、1987年に、生誕百年記念で「レオナール・フジタ展」が開催されたおり、最終日の搬出時に学芸員と一緒に、1時間ほどまじかで観る機会があったことぐらいです。極細のキャンバスに、炭酸カルシウムを使った下地でした。かなり細かい気泡があって、そこに絵具が溜まり、少し離れて見ると、しみに見える作品もあったことが印象的でした。

 そろそろ本題の方へ。

 <顔料にふくまれていた不純物というのは意図的に残されている場合が多かったのか、それともその時代の「絵の具の作り方」では限度があったのか、どちらかといえばどっちでしょうか?私は前者のような気がしていました。>

 ある物質が不純物なのか、それとも添加物なのか、したがって残ったのか、それとも残したのか、ということになるのですが、これを空想するだけの分析報告が稀有だという現実があるものの、技術の限界と考えるのが妥当でしょう。それは以下のような状況証拠で十分ではないかと考えます。

 E. J. ホームヤードの『錬金術の歴史』大沼正則 監訳 朝倉書店1996年 によれば、
 「温度計は18世紀初めになって、やっと発明された(‥‥)。(‥‥)唯一の「定点」は、赤熱、白熱、堆肥などの熱さ(穏やかな加熱にしばしば用いられた)、あるいは卵を抱いた鶏のようなはっきりしない目安にすぎなかった。1622年になって初めて、ドイツの錬金術師J. D. ミュールウスがたった四つの熱の度合いを認めた。すなわち、人体の熱(これはかなり一定である)、6月の太陽の熱、焼の火の熱および融解の熱がそれである。」(p.40) 
 もっとも、17世紀初めにガレリオ・ガリレイ(1564-1642)が真の温度計とは認められなかったものの気体温度計を考案はしていましたが。

 また、中国でも茶に使うお湯を「蟹の目大の泡(65〜75℃)」「魚の目大の泡(80〜90℃)」「羊の目大の泡(95〜100℃)」としてその沸き具合を大雑把に区別していました。

 さらに、絵画材料に用いるアンモニアに、赤子の尿を使ったり、ラピス・ラズリに含まれる黄鉄鉱を金と間違えていたり(『ボローニャ手稿』1425-50年)等々。


 <時代が下るにしたがって、同じ色味を出すのに粒子を大きくせざるを得なかった可能性を私は考えてもいます。

このように考えられたのはどうしてですか?> 

 例えば、テンペラ画が一般的だった頃のラピス・ラズリと、油彩画に移行していく時代のラピス・ラズリの彩色法の変化(変わらないことも含めて)。ディルナーなどで知られている「混合技法」と、修復報告書などから推測できるテンペラと油彩の「併用技法」。政治経済史的な意味での、その画家たちが属した地域の繁栄と衰退によるラピス・ラズリの入手状況。各工房のランク(絵具係りの弟子の、出来不出来も含む)。注文契約の内容。等々から類推。


 「併用技法」の例。油絵具で描いた上に、どうやって膠水でラピス・ラズリを塗ったかのヒントとして、
 <‥‥テンペラ絵具を取ってこれを油性の下塗りの上に結合させることにある。それが確実に結合するように、玉葱の(又はニンニクの)汁を下塗りの上に擦り込む。それが乾燥したならば、水などと混ぜて作った絵具を受け入れ、そして支える。> 『ド・マイエルン手稿』より

 以下、注文契約例(『ルネサンス絵画の社会史』マイケル・バクサンドール 篠塚二三男 他訳 
平凡社1989年より引用)
「絵具の調合はすべて親方ルカ本人が行うこと」(1499年)
「この絵には、ピエロ本人以外いかなる画家も絵筆をとってはならない。」(1445年)
「聖母に使用するウルトラマリンは、1オンスあたり2フローリンのものでなければならならず、絵のほかの部分は1オンス1フローリンのウルトラマリンでよい」(1409年)


 <グレードを上げてゆくにはどのような作業を繰り返すのですか?またグレードを上げる工程を繰り返すことによって、色味も変わるものですか?
原石の選び方が一番大きな色味の決め手になるかなぁ、と想像したのですが、どうなのでしょうか?> 

 結論から先に言えば、bonapaさんの想像された<原石の選び方が一番大きな色味の決め手>です。問題はその入手ルートでした。政治問題との絡みがいつの時代も画家たちを悩ましたのです。残されている手稿にあたると、「最良のラピス・ラズリ」の入手先が時代により変化します。
 
 また、グレードの件ですが、昔日の方法では、上げていくのではなく、下げていくのです。つまり最初に抽出されるものがもっとも色が濃くて粒子も粗い。あとになるに従って粒子は細かくなり、不純物(白色の方解石、その他)もおおくなり、最後はいわゆるウルトラマリン灰になるのです。それぞれの時代、地域、工房によって、いかにして不純物を最後までパテに封じ込めておくかに腐心したのです。
 一番単純な方法は、現在でも日本画の顔料として使用されるアズライトのやり方で、原石を鉄床などで小さくしていき、それをさらに乳鉢で細かくすり潰したら、水簸でより分ける。
 ただし、この方法では、ラピス・ラズリの場合、まずまともな絵具にはならない。ラズライト(天藍石)の粒子より大きい又は同等の方解石の粒が最初からかなり混入しますから。
 そのために工房では、リンシード油、ラード、コロホニウム(松脂のオレオレジンからテレピンを抽出したあとの滓)、マスティック樹脂、蜜蝋、等々の様々な組合せと配合を考えて、極力方解石などの不純物が出てくるのを遅らせる努力をしたわけです(あえて、その配合比には触れません)。
 したがって、入口の原石が良質でなければ、それなりのものしか抽出できないのです。

 先ほど、「グレードは下げていく(正確には<グレードは下がる>というべきですが)」といいましたが、私は上述のようにして抽出したものを、現代的な方法で、グレードをさらに上げていますので、一部の工程は「グレードを上げる」ということになります。

 グレード・アップのために、どのようなの器具と材料を使用するかはsecretです。

 以上、ご質問を、前回分を補足するかたちでお答えするに留めました。


【参考までに】
 私が自分で調合する顔料は、ラピス・ラズリ以外に、土系顔料(いろんな場所から採取した土)、アイボリ黒(本物の象牙)、ヴァイン黒(今や、ブルー・ブラックの葡萄炭黒は、自分で作るしかない。たまに、短くなった木炭デッサン用の木炭で作ることもありますが、やはり、脂肪質の少ない葡萄の若枝の方がよさそうです)。
 また実験用に、若干の鉱物、マシコット(密陀僧)、リサージ(金密陀)、樹脂酸銅、黄河の土(イエローオーカーの代用になるかどうか)、空気に触れた鉄錆、水に浸けた鉄錆、など。では、また。


デルフトにて

ヴェクサン さんのコメント
 (2004/04/04 05:04:17)

デルフトは是非行ってみたくて7年位前にベルギーの
ブルージュとアントワープ等回って来ました。
フェルメールの中では大きい作品のデルフト風景の場所を見つけました。北ヨーロッパは光が繊細で古ガラスの入った窓などを透して見える外の歪んだ風景が好きです.小さい街ですがブルージュみたいに運河があってよかったです。


ジョルジュ・ド・ラ・トゥールについて

ケイ さんのコメント
 (2005/02/07 00:42:32 -
E-Mail)

初めて書き込みさせていただきます。
(最初から質問で、申しわけありません!)
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが使っていた画材について、どなたかご存知の方はいらっしゃいますでしょうか?
謎の画家で、資料が少なく、こちらのサイトを知って、あまりに皆さまが知識豊富なことに驚き、おすがりしたくなってしまいました。
何とぞよろしくお願いいたします!


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