『西洋絵画の画材と技法』 - [材料] - [顔料]

希釈剤・溶剤(精油、揮発油)

溶剤 Solvent 希釈剤、薄め液 Diluent、Thinner

溶剤、または希釈剤は塗料を薄めたり、粘度を緩くしたりして、塗りやすくする。 樹脂など媒材を溶解させたり、 乾性油、その他の展色材、樹脂、ゴム、その他の媒材を溶かし、ニス、画用液を作り、絵具の希釈、筆などの洗浄などに使用される。身近なものでは「水」が、水彩絵具、テンペラ技法、その他、水溶性のさまざまな絵具の希釈剤・溶剤となる。「溶剤」と「希釈剤」は厳密には言葉の意味、あるいは役割が異なるが、油彩画においてはだいたい同じ物を使用するので、以降それほど区別せずに使用する。

植物から蒸留分解によって取り出したテレピン精油、アスピック油(スパイクラベンダー油)などの植物性揮発精油と、石油から精製した鉱物性揮発精油(ペトロールなど)があり、それぞれ溶解力、揮発速度などに差がある。乾性油が絵具の顔料と共に固化し膜となるのに対して、テレピンをはじめとするこれらの揮発性油は、画面上からほぼ完全に揮発する。

油彩画で使用される主な溶剤には、テレピン精油ペトロールアスピック油の3種が挙げられる。これらの揮発油は、油彩技法で薄め液の役割を果たす他、ワニスを作る際に樹脂や乾性油を溶かす溶剤、筆を洗う洗浄液、古い絵画の洗浄などの用途で使われる。揮発速度はテレピンが最も速く、次いでペトロールが速い。アスピック油はそれらと比べると、非常にゆっくり揮発する。溶解力はアスピック油が強く、次いでテレピン、ペトロールの順とされ、以上の性質を踏まえて使い分けされる。ただし、これは一般論であって、揮発速度、溶解力共に、製品によって小さからぬ差があり、順番が逆転することもある。

溶剤は絵具に適量を混ぜると流動性が増し、筆運びが良くなるが、多量に使用すれば顔料を覆う油が少なくなって、固着力、耐久力は悪くなる。通常は下書きの段階で多く使い、仕上げに近づくに従って減らしてゆき、逆に乾性油主体の画用液を増やしていくことを心がける。これをファット・オーバー・リーン(脱脂の上に油脂)という。

テレピン油は毒性の有機溶剤なので、人によっては体調に悪い影響がでる場合もある。臭いそのものが苦手という人も多い。その場合、ペトロールに替えるとよい。ペトロールも石油系の臭気がするので、それも駄目な場合は無臭ペトロールというものが市販されている。商品名としてはH社のオドレス・ペトロール、W&N社のサンソダー微臭溶剤など。無臭ペトロールは溶解力が極端に劣るので樹脂を多用した油彩らしい油彩に向かないかもしれないが、低臭ペイティング・オイルなども販売されているので、それらと組み合わせればどうにかなるかもしれない。それで駄目なら、水で溶いて使用できる油絵具も市販されている。

テレピン精油

別称:ターペンタイン、英語表記:Turpentine。正確には「テレビン」が正しいが、美術家の間では「テレピン」と呼ばれることが多い。松脂から蒸留分解して得られる。バルサムのテレピンと区別するため、テレピン精油精留テレピンと呼んだりする。テレピン精油を採取したあとに残るのがロジン(「樹脂」の頁参照)。テレピンの主成分はα-ピネン、β-ピネン、ベンジン等。

テレピン精油は空気に触れると酸化によって樹脂化する傾向がある。油壺に入れたまま長時間経過したり、瓶の蓋を開けたままにしておくと、この樹脂化が起こる。そうなった溶剤はいつまでも乾かずにべたつき、黄変、亀裂などの原因にもなる。樹脂化はとくに光に当たる場所や温度の高いところでよく進むので、保管の際は密栓して冷暗所置く。ある程度使用して容器の中で空気の部分が多くなってくると、酸化を招きやすくなるので、別の容器に移すなどする。また、油壷に入れたテレピンも定期的に取り替えながら使った方がいい。樹脂化しているかどうかの確認は、白い紙(実験用の濾紙など)に確認したいテレピンを少したらし、それが完全に揮発した後の残留物を見る。樹脂化したテレピンは黄色い跡がつくが、良いテレピンは揮発したあとに何も残らない。

有機溶剤なので、、例えば毒性のある絵具を使用したとしても、実際には普通の使い方で人体に取込まれることは考え難いが、テレピンの場合は、揮発した臭気を吸うので、人によっては体調不良を感じることもある。大きなアトリエで作業する場合は別だが、換気の悪い個室などでは気を付けた方がよいかもしれない。テレピンで気分が悪くなるという場合は、鉱物油のペトロールを使用する。また、手に付いた油絵具を落とすのに、恒常的にテレピンを用いるのもよくないという。専用のハンドクリーナーがいくつか販売されているので、自分に合うものを選ぶ。

蒸留する際の温度などによって、溶解力などの性質が異なるという。「」。個人的に、国内外のテレピン油を集めて、軟質樹脂(ダンマル)の溶解を観察してみたことがあるが、実用上の問題になるような差はなかった。

テレピン油の主成分であるα-ピネンのみを取り出したものが、α-ピネンの名称で販売されている。性質はテレピンとほぼ同じだが、テレピンよりも少し溶解力が強く、少し速く揮発するという話である。ダンマル樹脂の溶解をテレピンと比較してみたことがあるが、実用上の違いが出るほど差はなかった。どこのメーカーの説明を読んでも、テレピンとの実用上の差はないとされている。ホルベイン工業ホームページのQ&Aには、「寺田春弌著「油彩画の科学」の「テレビン油」の使用箇所に「α-ピネン」と表記されていたことから一般ユーザーに知れ渡り、要望が急増したので製品化したものです。」という微笑ましい話が載っている。

ペトロール Petrol

石油から精製する鉱物性の揮発性油。一般的にテレピンと比較して溶解力が低く、樹脂を溶解するのに向かないとされる。調合された画用液も、ペトロールで希釈すると白濁したり、樹脂が沈殿することがある。ただし製品によって成分が異なるようであり、実際には溶解力や揮発速度なども様々である。個人的に試したところでは、テレピンの半分の時間でダンマル樹脂を溶かすものもあれば、溶剤が白濁するだけでなかなか溶かせないものもあった。ちなみに、無臭あるいは低臭、微臭等を唱った製品は溶解力が非常に弱く、ダンマルなどの樹脂を溶解することができない。樹脂の溶解に使用しないとしても、樹脂の含まれた市販の画用液に混ぜた場合に濁りを発生させる可能性もある。空気に長時間触れても、テレピン精油等の植物性精油と比べて変性が起こり難い。やや古めの技法書、例えば寺田春弌(著)『油彩画の科学』には、ペトロールには僅かに硫黄分が含まれ、固着力の悪化、鉛系絵具の変色、チョーキング等を起こすというようなことが書かれているが、現在は精製技術が向上しており、そのような不都合が起こるほどの硫黄は残っていない。

スパイクラベンダー油 Oil of Spike Lavender

スパイクラベンダーより得られる精油。スパイク油、アスピック油(Aspic oil)とも呼ばれる。スパイクラベンダーは、一般によく知られるラベンダーとは異なる品種であり、葉が大き為に「大きな葉のラベンダー」、あるいはメイルラベンダー(雄ラベンダー)などとも呼ぶこともある。カンファー(樟脳)を多く含み、コモン・ラベンダーの芳香とは違う刺激がある。ラベンダーオイルは鎮静、精神安定といった作用があるが、スパイク油の方は逆に精神活性の作用があるそうで、その他、消毒・殺菌や頭痛・神経痛などの緩和、炎症を鎮める効果があるという。絵画材料事典には「香油に用いるラベンダー油とは別物である。」とあり、ラングレもラベンダーオイルとの違いをしつこく語っている。デルナーにはもっとはっきりと違いが書かれてある。ラングレ、及び寺田春弌は別項目で両方の精油を記載している。会話や文章上では、単に「ラベンダー油」とせずに、「スパイク・ラベンダー油」または「スパイク油」「アスピック油」とした方が誤解がないて望ましいと思われるが、絵画用途でラベンダーオイルと言えば、普通はまずスパイクラベンダーオイルを指す。

スパイク油はテレピンやペトロールよりも揮発速度がずっと遅く、塗布してから長時間、画面が濡れたままになる。テレピンと比べて、色と色の境界線をやわらかくしたりボカしたりしやすく、仕上げの段階で、この性質が生きる。長い時間、画面を湿めらせた状態で作業ができるので、じっくりと制作したい場合に好まれる。しかし、下の層がよく乾いていなかったり、弱い媒材で描かれていると、下の層を掻き回してしまうこともある。逆に上の絵具を弾くくらいに乾いてしまった画面は、スパイク・ラベンダー油を薄く塗布することで描きやすくなる(ルツーセ的用法)。スパイク油は殺菌効果があり、テンペラ絵具の保存剤の役割も担えるということである。溶解力は確かに高いようで、個人的に試したところでは、テレピンで溶かすことのできないマニラ・コーパル(軟質のコーパル樹脂)も溶かしてしまった。ただし、全般的に樹脂を溶かすのに時間がかかり、ダンマル樹脂の溶解もテレピンより時間がかかるようである。先のマニラコーパルも大方が溶解したのが数週間後だった。値段はテレピン精油の4〜5倍もするが、松から得るものと、それよりずっと小振りな植物から採るものでは、値段が異なるのも当然であろう。

スパイク油が絵画に適したオイルかどうかは、技法書によって異なる見解が書かれている。スパイク油はもともと樹脂分を含んでおり、さらに揮発するのが遅く、樹脂化によってねばっこくなり、揮発後にも残留物を残す、という話もある(ラングレ)。デルナーによれば、上で紹介したようなリタッチングワニスとしての利用は後に暗変を招くという。コモン・ラベンダーの精油は鎮静効果、不眠症治療、その他万能薬として知られているが、スパイク油は樟脳を多く含むため、吸い過ぎはよくないから、換気に注意する。特に妊婦に好くないという。ちなみに、コモン・ラベンダーの精油は、個人的に軽く試したところでは、ダンマルを溶かすことができず、また、希釈剤として油絵具を溶いて塗布しても、乾燥性が悪かった(何日経っても指触乾燥に至らない)。

アルコール

絵画技法では、エタノール(エチルアルコール)、メタノール(メチルアルコール)、燃料用アルコールなどが使用される。技法書などでアルコールを使用する指示がある場合、いったい何を使用すればよいのかと聞かれることがあるが、薬局でエタノールを購入するのがよいかと思う。無水エタノールは純度の高いエタノールで、通常のエタノールより溶解力があるという話である。無水エタノールも普通のエタノールもドラッグストア等に在庫してある。

メタノールには強い毒性があり、失明や死亡に至ることもあるので、取扱いには十分に注意する。揮発性、引火性共に高いので火気にも注意。燃料用アルコールはメタノールを含む変性アルコールで、酒税がかからない等の点で安価である。実際には少量のエタノールが含まれているだけで、大部分がメタノールである。ホームセンター等で購入できる。

その他の溶剤

水も重要な溶剤のひとつであり、天然ゴム類(アラビアゴムなど)や膠を溶かす。その他、絵画技法書に登場する溶剤としては、アセトンなどがあり、薬局などで試薬として購入できる(届くまで時間がかかるが)。非常に強力な溶剤で油脂などもよく溶かすため、素材の表面を脱脂する(油分をぬぐい去る)のに適している。揮発性、引火性が高いので火気に注意することと、プラスチックを簡単に溶かしてしまうので、取扱いには注意する。


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