油絵具の手練り

絵具は基本的に顔料とバインダー(定着材)から成っている。実際には、その他にいろいろな助剤が必要となるが、油絵具に関して言えば、顔料と乾性油を練り合わせるだけで、立派な油絵具となるし、むしろシンプルなものほど優れた面が多かったりする。そういう意味では、油絵具は手製が身近な存在でる。もちろん、市販品のように幅広いユーザーの要求に応えるものを作るとしたら大変だが、自分の為に作るなら、それほど困難な話ではない。油絵具を手製する利点は、体質顔料を使用しない絵具を得られること、諸々の理由で市販品では使用が難しい油や樹脂を自由に使えること、市販の絵具とは粘度、発色、その他の質感で別のものができることが挙げられる。また、市販の絵具を選んだり使用したりするときに、自分で絵具作りをした経験は大いに役立つから、単に学習の意味で行なってもよい。

具体的な方法は、顔料と乾性油を混ぜ合わせるという、それだけに尽きる。その際、パレットナイフやヘラなどで混ぜ合わせてもよいが、適量のオイルで顔料を満遍なく包み込むには、大理石などの固い台の上で、練り棒(すり棒)を使って練り合わせるのが最良の方法である。必要な材料、道具類はそれほど多くなく、最低限、顔料と乾性油、練り板、練り棒、保管用の空チューブ、パテヘラなどがあれば始められる。顔料は大きな画材店にゆくと、洋画材のコーナーで見つかる。はじめは、いつも使っている色で、かつ人体に害のないものを試すとよいかと思う(イエローオーカーやチタニウムホワイト、ウルトラマリン等)。練り板は大理石パレットやガラス板などが、よく利用される。大理石板は大型画材店でも滅多に在庫していないので、カタログを見ながら発注するか、あるいはネット上の画材店で求めるのが手っ取り早い。かなり重いが、手練りの場合はしっかり重く座っている方がいい。ガラス板は磨りガラスのように平滑過ぎない方が適している。絵具作りの為のガラス板も販売されている。練り棒も同じく画材店で購入できる。他の道具類はともかく、練り棒と練り板だけでは良いものを準備して、はじめた方がいい。

練り方

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顔料を大理石パレットに置く。顔料の中央にくぼみを作って、そこに展色材を垂らす。両者が馴染みあるのをしばらく待ってから、パレットナイフ、またはパテヘラで混ぜ合わせる。このときに顔料が飛散し、吸い込む可能性があるので、毒性の色材を使用する際は特に注意する(作業着、ビニル手袋、防塵マスク着用など)。展色材は黄変の影響を受けやすい白や青などにはポピーオイル、それ意外はリンシードオイルを使用する。乾性油に天然樹脂や蝋などを加えることもできる。→後述の「展色材の作り方」を参照。

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ヘラを使ってしっかり練り合わせる。ステンレス製など金属ヘラが弾力性もあって便利だが、大理石板を傷つけることがあるので、それが嫌な場合はプラスチック製を使用。

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展色材は少し足りないと思われるぐらいが適量である。この時点で既にテカテカとした艶があったり、軟らかかったりする場合は、展色材が多過ぎる。必要とされる展色材の量は顔料によって異なる。あるいは同じ種類の顔料でも粒の大きさなどの条件が異なれば、やはり給油量も違ってくる。加減を見つつ加えてゆくとよいが、後日の参考にしたければメモ等を残す。吸油量を記載した専門書もあるが、機械で練る数値かもしれないので注意。

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練り棒を使って練り始める。一度にたくさん練るよりは、できるだけ少なめにした方がずっとよい絵具ができる。たくさん必要な場合は、練り台の隅に絵具を集め、そこから一部を取り出すようにして、少量ずつ順番に練るとよい。

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展色材が顔料を満遍なく包み込むに従い、油絵具らしい艶が出てくる。練り時間は顔料によって異なる。20分程度で終わる顔料もあれば、1時間練ってもまだ足りないものもある。最終的にどの時点で終わりにするかは当人の判断次第である。

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練り終わった絵具をパレットナイフ等を使って空チューブに詰める。空気が入らないように注意しながら、チューブのお尻を折りたたむ。

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チューブには顔料名、展色材のレシピ、作成日時等を記入したラベルを貼る。道具類の洗浄は、まず油で拭き取り、ペトロールで丹念に拭き取り、最後に水と石けんで洗い流す。粗めの顔料の場合は、布で拭うだけでも綺麗になるが、細かい顔料はなかなか落ちない。練り台の色が落ちない場合は、体質顔料を揮発油で練ると綺麗になる(大理石板なら白亜、ガラス板ならシリカ粉など)。あるいは数枚の練り板を所持し、淡色用、濃色用などと使い分けることもある。

しばらくのあいだ保管しておくことにより、顔料と展色材が馴染んでゆく。その際、チューブ内で余分な油分が分離してくることがある。というよりは、たいていはいくらか分離する。いったんチューブから出し、分離した絵具を取り除いて、かるく練り直す人もいる。よく市販の絵具を使っていて、油が分離していると大騒ぎする人が居るが、絵具作りの経験があれば、それぐらいは大目に見たい気分になってくる。どちらかというと蝋など何か添加物を加えた場合より、純粋に油だけで練った方が分離しやすい。手練り油絵具は、市販品ほどには長持ちせず、あまり放置するとチューブ内で固まってしまう。特に鉛白、マンガン等、乾燥を促進させる金属、または展色材にサンシックンドオイル等の加工油、ダンマルなどの天然樹脂等が含まれる場合は早めに使用した方がいい。

練った絵具を馴染ませる熟成期間はとても大切で、ホルベイン工業(編)『絵具の科学』では、ウィスキーを例にその重要性を説明している。画材メーカーによってはかなり長い期間熟成させているとも聞く。ただしメーカー製の場合は、熟成前にしっかり空気が押し出されているが、手練り絵具ではそういうわけにもいかないので、あまり長い熟成期間が置けない。天然樹脂など含めた場合はなおさら早めに使用しなければならない。逆に商品としての保存性を考慮せずに好きなオイルで練れる点もまた自作絵具の利点である。

展色材の作り方

展色材は乾性油のみでも構わないが、樹脂、蝋などの添加物を加えて、 展色材に天然樹脂を入れる場合は、加熱しながら乾性油に樹脂を溶かし込む方法があり、テレピンを使用せずに済む。ビーカーなどに乾性油と樹脂、蝋を入れて90℃ぐらいまで熱すると、樹脂も蝋も油に溶け込む。樹脂も蝋も少量で充分である。樹脂は多くても全体の10%未満、蝋は2〜3%程度を目安に(普段使用している樹脂ワニスなどはテレピンで溶解したものなので、実は樹脂の量は1/3ぐらいである。この場合、ダンマルガムを直接入れるのだから、ずっと少なくていい)。例えば、リンシードオイル5割に、サンシックンドオイル4割、残り1割を樹脂、蝋といった具合である。→[メディウムの作成]を参照。

備考

市販絵具と手練り絵具の違い
単に購入して使っているだけでは、絵具は画材店で買える「色のペースト」というぐらいの認識しか持たないが、自ら絵具を練り合わせてみれば、いったい絵具とはなんであるかということを知り、また、顔料がいかに個性豊かで、それぞれの長所と欠点を備えていることを実感できる。市販製品は着色力や隠蔽力、乾燥速度など、様々な助剤によりその差を埋める製品化がなされており、ユーザーは個々の違いをあまり意識せずに、色のペーストとして使用することが可能である。それに比べると、手練り絵具は顔料の特徴が露骨に現われることが多く、それが扱いづらい要素となったりする。機械式の練り機の導入や、折りたたみ式チューブというのは19世紀中頃に現われたもので、それ以前の絵具と、現在我々が使用している絵具は大きく異なる可能性があるから、印象派より前の、例えばバロック以前のフランドル絵画のような画肌に興味があるとしたら、手練り絵具を試みたいと思って当然である。ただし、自分で絵具を練ればさぞかし素晴らしい絵具ができて、古い絵画のような作品が描けると思ってしまいがちだが、市販の絵具は長年の研究開発によって完成されたもので、使いやすさや保存性において、あのような製品が手製で簡単に作れるということはない。市販絵具の特徴はいわゆるキレの良さであり、それに比べると手練り絵具はずっと緩くて、ベタっとした粘りがある。手練り絵具は、市販絵具のような可塑性がない。「絵具が立たない」と言ったりもする。悪く言えば「切れがない」という表現にもなるが。画面にしっとりと融け込むような感じで、印象派以降の極端なマチエール作りにはあまり向いていない。レンブラントのような例外を除いて、昔の油絵は基本的に薄塗りである。現代人が持つ油絵のイメージは印象派以降に見られる、立ち上がるような厚い絵具の塗り重ねである場合が多く、市販の絵具もそのような要求に応えるよう作られているのではないかと思う。あるいは逆にチューブ入り市販絵具が印象派以降の画風を作り上げたのかもしれない。もっとも、印象派のような画風だとしても、手練り絵具は大いに活用できるものである。そもそも現代と違って顔料の種類が限られたおり、発色もずっと控えめであった。全般的に顔料が粗く、特にアズライトやスマルトのように粗くなければ発色が悪くなる顔料もあった。顔料が粗いと展性、言い換えれば筆運びが悪くなる。色も薄く、筆運びがよくない絵具であれほどの美しい発色をした作品を制作したのだから、過去の画家は顔料の発色を最大限に発揮させる技術を持っていたのだろう。

しかしなんと言っても西洋絵画用途ではヨーロッパやアメリカの専門家画材店で販売されている顔料、各国の土製顔料、オランダ方による昔ながらの鉛白、その他、現在ではほとんど使用されなくなった顔料を使用することに醍醐味があるので、慣れてきたらチャレンジしてみるとよい。

道具類
練り棒は、材質、形状ともに様々なものが使われている。大きい方が楽に練れるかと思いきや、油絵具はけっこう粘りがあるので、練り棒の底面積が大きいと、かえって疲れてしまうことになりかねない。私が使用した中で、特に気に入っているのが、俵屋工房が開発した乳棒状の練り棒で、一見、効率の悪そうな形をしているが、使ってみるとこれほど使いやすい練り棒はない。大理石はそれほど硬い素材ではないので、粗い顔料を練ると摩耗してくる。粗い顔料を使用する際は、練り合わせの際に、それを自分の好むサイズへと細かくする役割もあるが、そういう用途では大理石板は頼りない(油は潤滑油のような役割も果たしてしまうので、単に細かくしたいだけなら水で練った方がいいかもしれないが)。現在、画材店で市販されている顔料は充分過ぎるほどきめ細かいので、まず気にしなくてもいいが、昔の顔料を再現した製品などを専門家画材店から購入したときは、大理石では荷が重いことがある。市販の練り板と練り棒は、価格が高いと思うかもしれない。実際に大した構造の製品ではないが、手練り人口が非常に限られており、市場がとても狭いから、販売しようとするとどうしても割高な値段になってしまう。特に初心者は道具類を節約しようと試みるが、最初は割高でも絵画向けの大理石板を求めるのがよい。例えば、平滑な石板などは簡単に手にはいるが、当然のことながら絵具作りに向いているものとそうでないものがる。一見平滑に見えても多孔質な石材は多く、練っているうちにどんどん絵具の油を吸い取ってしまうような事態が起こることもある(これではいくら頑張っても練り上がらない)。初めは画材メーカーの提供する物を使用し、後に必要に合わせて独自のルートを探っていく方が手順としては賢いであろう。

参考書籍

ホルベイン工業「ホルベイン専門家用顔料とその素材」

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最終更新日 2009年5月28日

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