油彩技法の歴史

15世紀頃、現在のオランダ、ベルギーにあたるネーデルラント地方で、油彩技法が確立する。それ以前にも乾性油を使用する技法はあったが、油彩技法が完成された形で確立されたのは、15世紀、ファン・アイクによってだと言われる。ただし、現在の油絵と当時の油絵は全く違う手順で制作されている。ラングレなど、いくつかの技法書にも書かれているが、油彩技法はそれが登場してからバロック時代に至るまでに、3つの大きな変化があった。ファン・アイクらネーデルラントの画家の技法、ティツィアーノを始めとするヴェネツィア派の技法、そしてルーベンスの技法である。油彩技法の仕組みや保存性について知るにはどうしても避けて通れないので、要点をまとめてここに紹介する。


ファン・アイクの技法

シャルダン模写

白い地塗りは吸収性で、白亜と膠によって地塗りされた。吸収性のある地塗りは、上にのる絵具の食いつきを良くした。基底材は板で、まだキャンバスは使われていなかった。絵はあらかじめ完全に構想が出来ていた。地塗りの上になんらかの形で下絵の線を転写し、彩色が始まると構図が変わることはほとんどなかった。画面上の明るい部分は地塗りの白が活かされた。油絵具の皮膜は時間の経過とともに暗変、黄変する傾向がある。油彩技法で使用することのできる唯一の白である鉛白は、時間の経過とともに透明化する。だが、ファンアイクの時代の絵は、明るい部分や白い部分は、地塗りの色であり、暗くなったり、変色したりすることがない。微妙な色味は、明るい地塗りの上に塗った、薄いグレース層である。そのため、この時代の油絵は、後の時代のどんな画家の絵よりも、色彩の状態が良い。昔のままの色彩と輝きを保っている。グレースは何層にもわたって塗り重ねられているが、トータルした厚さはとても薄い。左の絵は、ファン・アイクの絵の一部である。肌の色、ローブの赤、宝飾類など、どれも見事な輝きを放っている。

ヴェネツィア派の技法

シャルダン模写

油彩技法がヴェネツィアに伝わると、ティツィアーノを初めとするヴェネツィア派によって赤褐色の下地が使用されるようになった。絵の大まかな構想は、途中で変更されることがあった。画家によっては、画面上で構想を練ることもあったと思われる。暗い下地の上に、明るい部分を絵具の白によって描き出すようになる。ファン・アイクの絵とは反対の方法だ。この場合、下書きにとらわれずに自由に色置くことができる。途中の描き直しも可能になった。この方法は、大胆な動きのあるドラマチックな画面を作るのに適していた。おそらく制作の時間もかなり短縮されたはずである。

しかし先にも書いたように、油絵具の皮膜は時間の経過とともに暗変、黄変する傾向があり、油絵具の鉛白は透明化する性質がある。赤褐色の地に塗られた白は徐々に透明化し、絵が全体的に暗くなる。他の色においても、程度の差はあれ似た現象が起こる。鉛白を含ませて描いている部分も多い。結果として、ヴェネツィア派の絵画は画面全体の色調が褐色のモノトーン調になっているものが多い。右の絵は、ヴェネツィア派の一人、ティントレットの作品である。ヴェネツィア派の中でも、褐色化による欠点が顕著な画家である。描かれた当時はこれほど茶色ではなく、緑や水の色が鮮やかだったことだろう。

キャンバスが使用されはじめたのもこの頃である。ヴェネツィアが海運国家であり、帆布となる丈夫な麻布が身近な材料だった。キャンバスならば、大きな絵も丸めて輸出することができた。さらに油絵は、テンペラやフレスコ画にくらべて湿気に強かった。壁画の代わりとなるような巨大な絵も油彩で描くようになったのだろう。

ルーベンスの技法

ティツィアーノより後の時代のルーベンスは、有色地塗りの欠点に気がついていたようだ。ルーベンスはネーデルラントの画家であるが、一時期イタリアでも絵の勉強している。イタリアの油絵の欠点には気付いていただろう。しかし、手間のかかるファン・アイクのやり方に戻るわけにはいかなかった。ネーデルラントに戻ったルーベンスは、ネーデルラントの技法とイタリアの技法の長所を併せ持つ方法を考えた。ルーベンスは灰色の地塗りを行なった。灰色の地塗りでは、赤褐色の地塗で起こるほどの暗変は起きない。灰色の下塗りは、刷毛の目を残すように塗られていた。何の手がかりもない真っ白いキャンバスに描くよりは、何かしら刷毛目を残すなどした方が、作業を進めやすくなる。その色と刷毛の模様から、画家がインスピレーションを得ることがあったかもしれない。ルーベンスは灰色の地塗りの上に、大胆ではあるが、確実な素描を行なった。アンバー色の薄い塗りで形を起こしていった。影の部分はそのアンバー色が活用された。短時間で大量の制作をこなすことと、大胆な動きの画面を作り出すことを可能にし、ヴェネツィア派の絵で起こったような暗変をある程度避けることができた。

基底材には、板とキャンバスの両方を利用している。どちらかというと板に描かれることが多かったが、その板にもキャンバスのような目の粗い麻布が貼られていることがある。


さらに、上記以外の画家の技法についても、簡単に触れる。

レンブラント、ベラスケスは、ルーベンスとほぼ同時代である。彼らはライトレッドなどの赤色地塗りを用いた。しかし、ヴェネツィア派のような極端な色の不都合は見られない。彼らは我々が今見ている絵よりも、ずっと明るい配色で描いていたと思われる。後に暗変化するのを予想して、あらかじめ明るい色で描いていたのである。もっと後の時代のアングルは、さらに明るく、そして青く描いた。明治時代の日本人の模写を見ると、アングルの模写は一様に暗く変色している。これは上に塗ったニスが暗くなったか、暗い部屋に保管したために暗変していたのかもしれないが、おそらくは原物と同じ明るさで描いたのが最大の原因であろう。アングルの頃に、鉛白と乾性油による油性の地塗りが使われるようになった。吸収性の地塗りに比べると、保存状態は良くない。特に油分が濃かったり、地塗りが厚すぎる場合に、亀裂や剥離の原因となる。

極端に黄変を嫌う傾向が出てくる。亜麻仁油ではなくケシ油が使用されるようになる。艶のある画面よりも、つや消しの画面が好まれるようになると、ケシ油さえ使用せず、逆に絵具から油を抜いて使用するようになる。支持体は、鉛白と乾性油による油性地(セリュージュと呼ぶ)が一般的になる。テレピンで溶いたおつゆで描く人も多い。ボナールのように、ボール紙にサイズもせずに直接油絵具をのせるような画家もいた。艶を嫌うために、ニスが塗られることも少なくなった。

現代では、絵具の主流は、油絵具からアクリル絵具に移ろうとしている。格安のキャンバスの場合、顔料とアクリルエマルジョンによる地塗りが施されている。これはアクリル絵具でも、油絵具でも使用できる。多孔質で絵具の食いつきは良いと言われている。もしかしたら、安い油性キャンバスを使うより良いのかもしれない。ただし、結果はまだわからない。

上記のことから要点をまとめる、以下のようなことが言える。

  1. キャンバスより板の方が比較的、保存状態が良い。
  2. 油性の地塗りよりも、吸収性の地塗りの方が、保存状態が良い。
  3. 下地が明るいほど、絵の彩度が保たれる。
  4. 制作途中での無計画な構図の変更は、亀裂、剥離、暗変の原因になる。
  5. 経年で黄変することを予測し、明るく、青く描く。
  6. 絵具やグレースは厚く塗るよりも薄く塗る方が、亀裂や変色を招かない