セネカの『人生の短さについて他二編』(中澤努訳)読了
ルーベンスの動画の続編を考えているのだけれども、いろいろと確認したいことがあり、いろんな本に目を通しているところですが、本日はセネカの『人生の短さについて他二編』(中澤努訳)を読む。学生の頃に岩波文庫の旧訳を読んだことはあったけれども、内容をほぼ忘却しているので、改めに読んでみました。ルーベンスはセネカを大変尊敬しており、作品にもたびたび登場していることでもありますし。内容に関しては実は微妙にあまり私の好みの説教ではないというところはあるのですが、しかしそれはともかく、ローマ時代の人がギリシアの哲学や文学について言及するところが今は興味深くなってしまって、そういうところに関心がいってしまうというところもありますが。本格的に古代ギリシアのオリジナルの文化への研究が深まるのは新古典主義以降であり、バロックあたりまでは西洋もローマ人経由でギリシアの文明を解釈しているところがあるわけで。そういう意味ではプリニウスとウィトルウィウスも改めて読み直したいところです。

ところで、最近プラトンを読んでいるのですが、なかなか止まらないくらい面白いです。学生時代にも多少は読んだはずなのですが、あまり印象に残っておらないので、それはたぶん素養が足りなかったのでしょう。古代ギリシア史の本をいくつも読んで、叙事詩も悲劇もそれなりに読んでから、改めてふとプラトンを読んでみたら、もう面白いのなんのって、ちょっとその感動はなかなか言い尽くせない。ルネサンス期の文化人が夢中になるようやく理解できるようになってきました。あるいは、比較的最近に訳されたもので読んでいるので、昔風の堅苦しさが抜けて、すんなり理解しやすくなっているというのもあるのかもしれませんが。

材料技法についての本も読まねばと思って、TateのJoyce Townsend (著)Pre-Raphaelite Painting Techniquesも読み始めたのですが、これはなかなかいい本です。買った時はあちこち拾い読みしただけで終わっていましたが、昨年はラファエル前派の展覧会も観たし、アーツアンドクラフツの話を鳥越さんにしているときにも前派はたくさん出てきたので、関心が高まっているところですが、でもこれまでは中世からルネサンス、バロックあたりの技法を追いかけ気味であって、それ以降がおろそかになってしまう、というのは技法を関心のある者の間ではよくあることですが、画材製造業者発展期にあたるこの時代の方がいろいろと面白いことが多いということもあるので、こちらも着々と読み進めてゆきたいところです。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 11:15 PM | comments (0) | trackback (0) |
世界美術大全集西洋編全巻購入
以前から欲しいと思っていた、世界美術大全集 西洋編 全巻を購入。定価では1冊28,000するので、全28巻と索引1冊をそろえると794,000円、仮に販売当時の消費税5%の税込なら83万円強くらいするわけで、なかなかの高額商品であるけれども、現在は中古市場では安ければ3万円ぐらい、送料含めてもたぶん4万円前後あたりが相場の模様でして、結構頻繁に取引されております。私も中古で入手してみましたが、なかなかの備品で、ケースがちょっと黄ばんでたりすることはあっても、中の本は新品同様みたいなものでした。中古なので、アンダーラインを引いたりとか、雑に扱おうと思っていたのですが、立派すぎてちょっともったいない気がしてきました。
いずれにしても、新古典主義とか、ロココ期など、単行本では取り上げられることの少ないジャンルについて読もうと思うと、このような全集を買うがてっとりばやいということにもなりますが、はじめは必要なものを個々に買おうかと思ってたのですが、チマチマ買う手間も面倒が気がして、全巻セットを入手したわけですが、しかし、考えていたより大きくて、わりと大きめの本棚にも縦に収まらなかったし、人生のお荷物が増えた感じがして、届いた瞬間はどうしたものかと考え込みました。

最近お気に入りの古代ギリシアが2冊に渡っているという構成が気に入っております。第3巻「エーゲ海とギリシア・アルカイック」そして第4巻「ギリシア・クラシックとヘレニズム」というような分け方ですが、読むのが楽しみです。ゴシックも2冊で構成されています。ゴシック建築に1冊、ゴシック期の絵画に1冊という感じです。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 11:53 PM | comments (0) | trackback (0) |
ウェルギリウス『アエネイス』(小野塚友吉訳)他読了
どうしても読んでおきたいと思う古典が多々あるのだけれども、何も手に付かないような時は淡々と読み続けています。とりあえず、何はともあれ読んでおかねばと思っておった、ウェルギリウス『アエネイス』は、小野塚友吉訳で読み終えました。まず話題にあがることない翻訳といえますが、特徴としては叙事詩的な古い言い回しをばっさり切り捨てて、読みやすい現代口語訳になってり、註も無いのにだいたいわかるように訳されているから流れるように読めるので、かえって語りを聞いているようで、その点である意味リアルさがあるのではないかと思います。何よりも、たいへん面白かったです。小野塚友吉訳はオデュッセイアの方も存在してくれたらなぁと思います。なお、ちゃんと他の翻訳や解説書類も入手しているの順次目を通してゆきたいと思います。古典古代の文学ではイリアス、オデュッセイアが最高峰ではありますが、やはり古代ラテン語文学と言えば最高傑作はアエネイスであり、ルネサンスからバロックにかけては、アエネイスをはじめとするラテン文学を一通り読んでなければ内容についてほとんど理解できないというというところはやはりあろうかと思うんですが、しかし量が多いですな。ところでギリシア悲劇の代表作アイスキュロス『アガメムノーン』は、実はかつて呉訳を読んで途中で挫折してしまったので、このたび久保正彰訳・岩波文庫版を購入して読みました。文庫一冊を使っているだけあって、適切な改行と共に、註が非常に多く、コロスの意味不明な部分がたいへんよく解りまして、というか、解らない理由がわかったと言った方がいいのかもしれませんが、ギリシア古典では久保正彰訳が私の中で急上昇中です。解説では訳者の見解もたいへん勉強になりました。しかし私の苦手な呉訳も収録されている文学全集などによって読みやすかったりするので、いろいろ集めていると、註や解説その他の不運によってそうなっているケースもあるそうで、ともかくも収集が大事みたいですな。歴史書系はトゥキディデスとヘロドトスも着々と読み進めているのですが、その後もクセノポンとか控えていて忙しいですな。それから文学、歴史の他に膨大な哲学系の古典があるのですが、いずれの分野の古典も古書店で二束三文で売られているという点が、ルネサンス期の古典収集家が書物を探し回っていた頃のコストとは雲泥の差であり、金の掛からない趣味ではありますな。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 12:54 AM | comments (0) | trackback (0) |
西田雅嗣(編)『ヨーロッパ建築史』他読了
西田雅嗣(編)『ヨーロッパ建築史』読了
ヨーロッパの建築史に関する本はいくつも読んだつもりではありますが、いくつ読んでも読むたびに知らなかったことがたくさんあって、勉強というのはキリがないものだな、と思ったりするわけですが、しかし本書は他の類書と比較してもなかなか良かったです。図や写真は少ない、といいますか、よく見たら決して少なくもないのですが、どれも非常に小さく、そして白黒写真であり、メインが文字の本文であるというところがかえって良いのだろうと思います。大判の写真で誤魔化されて薄まってない感じがあるというか。近代建築はばっさりカットして古代ギリシアから新古典主義に範囲を限定しているのもいいっすね。とはいえ、それでも文章量は限定されているので、これを手がかりにもっと読んでゆけということなのでしょう。

それにしても古典の知識は重要ですな、と前から思っているけれども、最近ますます思っているので、古典古代ギリシア・ローマの古典で読んでないものを読んではいるのですが、最近読んだの以下のギリシア悲劇。
ソポクレス『アンティゴネ』(呉茂一訳)読了
同『オイディプス王』(高津春繁訳)読了
同『コロノスのオイディプス』(高津春繁訳)読了
同『ピロクテテス』(久保正彰訳)読了
久保正彰訳のソポクレスは複雑な語順を廃し自然な口語に訳しているとあったけれども、確かに読みやすかった。格調高い翻訳もよろしいですが、古典劇系になるとコロスの部分が、語り調になりすぎて日本語なのに全く理解できないことが多くて難儀してます。慣れなのかもしれませんが。それとヘシオドス(廣川洋一訳)『神統記』を読了。現在はヴェルギリウスのアイネイスを読んでいるところです。

あけましておめでとうございます。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 01:28 AM | comments (0) | trackback (0) |
イリアスをどの訳で読むか
ギリシア文明の文学や美術を軸とした古典主義は、1900年前後まではまさにヨーロッパの価値観そのものであり、同時にアカデミズムの特徴のひとつでもあって、それを克服するのが20世紀の美術だったようにも見える。しかしそれくらいの影響を与えるくらいだから、古典にはやはり圧倒的な魅力があったとも言えましょう。特にルネサンス期、バロック期など、古典への熱い情熱みたいなものに溢れており、それを抜きに技術だけ見ては一面的な物の見方となってしまうと思われるのですが。昨今の石膏デッサン論争の件もあることですし、ちょっと古典古代の魅力を再検討してみたいところです。さて、古典古代の魅力を共有するにはなんといってもイリアスを読む、に尽きるのではなかろうか。古代ギリシア人なら誰もが読み、生き方の規範としたという叙事詩であり、その後もギリシア神話系の文学では最も重要な作品であり続け、19世紀にも幾多の考古学者を駆り立てた物語である。中世からルネサンス当初にかけては、ラテン語の叙事詩であるアエネイスがやはり重要度が高かったのか、ダンテの神曲の案内役はヴェルギリウスであるけれども、それ以外はやはり一貫してイリアスが最重要であったろう。ホメロス作「イリアス」は、ミケーネ文明崩壊後のいわゆるギリシアの暗黒時代が空ける頃、紀元前8世紀に成立したとされる作品で、古代ギリシア文学の中でも最古期のものである。当時は吟遊詩人が活躍し、様々の叙事詩を謳って歩いていたと思われるが、一個の作品としてまとまって出現した世に残った最初の作品であるけれども、1万6千行に及ぶ長大な叙事詩で、古代ギリシアを通しても最大の文学作品である。ようやくポリスが出現し、総大理石のギリシア神殿もまだなく、幾何学紋様のギリシア陶器を作っていた時代、ホメロス自身が実在の人物なのかもわからないが、ちょっと特異な特徴があり、完成度もすこぶる高いことから、大枠は一人の詩人が作ったという説に賛成である。トロイア戦争を描いた作品だけれども、ちょっと変わった特徴がある。まず、トロイア戦争全体ではなくて、10年間の戦いの中の50日間だけを描いている。ふつうこれほど長大な作品ならトロイア戦争の発端となったパリスの審判から始まり、クライマックスはトロイの木馬によるトロイア陥落になりそうなところである、というのが現代からみたら一般的な感覚かと思う。別の詩人によりそれらの部分の叙事詩も作られているが、イリアスよりも成立は後で、作品の質も劣っていたとされ、現存していない。トロイア陥落語の物語オデュッセイアもイリアスに劣らず長大な叙事詩であり、こちらもホメロス作とされるが、年代はイリアスより半世紀後くらいになるということなので、同一人物によるのか微妙である。オデュッセイアの方は、起伏に富んだ冒険談であり、一つ目の巨人など神話的な怪物も登場するなど、我々が神話というものに抱くイメージに近い。現代人にとってはオデュッセイアの方が面白いと思う意見が多いであろう。それと比べると、イリアスの方はやはり特異な作品のような気がする。10年も続いた戦争の末期であり、終始殺伐とした雰囲気の戦闘シーンが続き、それも解剖学的な丁寧さで殺戮を描くのが特徴である。例えば、槍が延髄に刺さって舌を貫いて前歯に当たって止まった、等々の生々しい描写が続き、そしてその者の出身地、生い立ち、両親などが言及され、大切に育てられたが親孝行する前に死にました、などという文言で締められる。それらの名前や地名は実在のものだったかもしれないけれども、ほとんどは特定されていない。そのような描写が延々と続き、夜になれば、死者を火葬し、牛を解体して焼いて神々に捧げ、肉とワインを飲んで眠る。日々それを繰り返しているのだけれども、実際に物語を精査すると50日間で行なわれた戦闘の数はそれほど多くない。でもひたすら戦っているだけに感じられるのである。トロイ戦争は、ギリシア勢とトロイア勢の戦争であるが、オリュンポスの神々は(ゼウス主神の目を盗みながら)各々肩入れする陣営に味方する。基本的に姿は現さず他の人間の形になって介入する。不思議な怪獣なども過去の回想を除いて出てこない。トロイの木馬のような現実味のなさそうなエピソードもない。神々の物語でもあるのに、圧倒的な現実感がある。話の筋としては冒頭まず、ギリシア側の英雄アキレウスが総大将アガメムノンとの確執により戦線を離れ、以降、ギリシア側が劣勢に立たされるところからはじまる。血なまぐさい戦闘が延々続いたのち、親友パトロクロスの死をきっかけにアキレウスが戦線に復帰するが、同時にゼウス主神はオリュンポスの神々に対し、今後は自由に介入してよろしいと許可を与え、人間と神々が入り乱れての大戦闘が開始されるのがまさにクライマックスシーンであろう。アキレウスはトロイア側の英雄ヘクトルを倒すが、親友を失った悲しみは癒えず、戦車にヘクトルの遺体を括り付けて延々と引き釣り回して日々が過ぎる。ある夜、父親のトロイア王プリアモスが単身アキレウスの元にゆき、息子の遺体を返してくれと願い、アキレウスは遺体を引渡し、葬儀の間、休戦の約束をする。トロイア勢がヘクトルの葬儀を盛大に挙げたところで物語が終わる。常に人が死んでき、自分も明日は死ぬ身であることをひたすら感じ続ける。これほど悲壮感の漂う作品はないはずだけれども、実は何故かちょっと心地良いところもある。不安や悩みを抱えるとき、この叙事詩が慰めになり、この中に身を置きたくなることがきっとあろうかと思われる。そしてそこにオリュンポスの神々が介入し続けるのであるから、長大な詩を読み終える頃にはきっとギリシア神話の神々が他人事ではなくなっていることであろう。人々がこの作品を読み続ける限り、オリュンポスの神々も人々の中に生き続け、美術作品にもなるのも当然であろう。これは要約したダイジェスト版、ギリシア神話の解説書、トロイ戦争の映画等では絶対に体験できない。50日間を1万6千行で共有してこそである。さて、イリアスは叙事詩であるから、韻文であり、そして当時としても古い言い回しが使われていたという。日本語訳はいろいろあり、私などが批評できるものではないのだけれども、韻文風の訳だと、やはり日本語には違和感があるような気はする。もちろん韻文訳も素晴らしいが、しかし初めて読むにはハードルが高い。あまり話題になっていないけれども、個人的には小野塚友吉訳『完訳イリアス』がお薦めな気がする。まさかのですます調散文訳であり、読みやすさでは一番である。散文訳というだけはなく、この叙事詩は倒置法的な言い回しが多くて、その辺が日本語に馴染まないところがあるのだけれども、それを読みやすいように配置換えしているようである。なお、読みやすいけれども殺伐とした雰囲気には一切妥協がない。読みやすいのがいいか、叙事詩風の雰囲気を堪能するのがいいのか、ちょっと意見はわかれそうだけれども、まるで人気講師が講演をしているようなふうに自然に聞こえるので、ある意味、現代日本の語り部として考えればこれもありかと。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 10:14 AM | comments (0) | trackback (0) |

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