青木健(著)『アーリア人』(講談社選書メチエ)
青木健(著)『アーリア人』(講談社選書メチエ)

白人優位主義のアーリガン学説ではなくて、歴史上実在したアーリア人、特にイラン系アーリア人が中央アジアから出発して、各方面に分岐していった各集団をを定住民、遊牧民含めて網羅的に解説した本です。我々は世界史、特に古代史について読むときは、古代ギリシャ・ローマ視点で追ってしまいがちですが、あるいは同じユーラシア大陸でも真逆側の中国文明視点から見るような感じになってしまうかどちらかと思いますが、それはたぶん歴史を記述するという文字資料が両者に豊富だからなのでしょうけれども、まぁ、中近東でも今のイラクあたりまでは粘土板の文字資料が多いわけではありますが、イランあたりから中国にかけてはやはり少ないんでしょうか。世界を勉強するときに、中央に謎の地帯があるような感じはしていたものです。知ったような気分になっていただけで、まだまだ知らないことが多々あるものだと、改めて思い知りました。読後感としては、あまりにも多数の固有名詞が出てきて、ほとんどは覚えられないか、間もなく忘れてしまいそうですが、なんとなくの流れなどはわかたような気がします。あと、世界美術全集のグレコ・バクトアの巻とか、あんまり気にしてなかったのですが、そういうことだったのかと知ってみると、なかなか興味深いものに思えてきて関心が深まりました。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 10:23 PM | comments (0) | trackback (0) |
ハイデガーについていろいろ読む
古東哲明(著)『ハイデガー=存在神秘の哲学』、冒頭のプロローグを読んでたいへん感動しました。存在論的に何か考えれば、不安や気持ち悪さ、嘔吐などの不快感で表現されるもの、と思い込んでいたものですが、存在は至高の味、極上のワインの百兆倍と言われてしまうと、確かに言われてみれば全くもってその通りである。これはなんというか目が覚めた思いであり、このプロローグだけでも、本書に出会った価値があったと言えるでしょう。第1章、第2章と夢中で読んだところで、しかしながら第3章あたりから徐々に関心が薄れ、その後は本を閉じてしまいましたが、哲学書ではよくあることなので気にしないことに。いつか読むかもしれません。是非とも手に取って欲しい本ではありますが、しかし、ハイデガー、あるいは『存在と時間』の入門書としては、ちょっと他と毛色の違うような本に感じるような気もするので、もう一冊必要なところもあるように思います。
そして、もう一冊ハイデガーの入門書、竹田青嗣(著)『ハイデガー入門』も読みましたが、こちらは前掲の書よりも正当的な入門書と言えます。たいへん勉強になりました。いろいろとコメントしたいことはありますが、なんというかいまいち頭が整理さてないのと、今更自分が何か言っても仕方ないとも思うので語らず。その後、ネットを検索するなどして、概要をよくまとめているものを探してみましたが、下記のコメントがお気に入りです。
「存在と時間」by マルティン・ハイデガー
http://aholicdays.blog118.fc2.com/blog-entry-793.html

ハイデガーに限ったことではないのですが、各哲学者はそれぞれ独特の哲学用語、あるいはハイデガーならハイデガー用語みたいなのもを多用した文章になっているのですが、↑の文章のように、逐一ドイツ語を書き加えられてあると途端に解りやすくなる気がします。あるいは上記の文章は、『存在と時間』にだけ焦点を当てているからすっきりしているのかもしれません。多くのハイデガーの入門書は、『存在と時間』以降のハイデガーの考えも含めて論じているので、分けがわらからなくなっているのかもしれません。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 08:47 PM | comments (0) | trackback (0) |
竹田青嗣(著)『自分を知るための哲学入門』(ちくま学芸文庫)
読みました。
竹田青嗣(著)『自分を知るための哲学入門』(ちくま学芸文庫)

私が読んだ西洋哲学の入門書の中でもダントツでいい入門書です。この本に、学生時代に出会っていればどれほど有益だったことだろうと思うこと頻りです。今更理解したところで如何ほどの自分の人生に役立つのだろう、という気もしますが。しかし、そもそも哲学が何か役に立つのか、あるいは困難を救ってくれるのか、それすらもわかりませんが。でもまぁ、読んでいて非常に面白いことは確かであり、他のことを忘れられるだけでもいいかと思います。

大変お薦めな本ではありますが、多少はそれまでに何かしら読んだ、あるいは読もうとした経験があってこそ、本書に感心しているのかもしれません。しかし、哲学の歴史を学ぶのにあまり時間をかけるのは、確かにそれはおかしい、みんながやったらおかしい、というのも確かなことですし、手短に済ませるなら、やたら何か読むよりもをこれを2、3回くり返して読む方がいいかもしれないというふうにも思います。概要だけでも知っているのと知らないのでは大きな違いがあるような。しかし、そんなことを考えずに生きていければ、それば一番であるような気もしますが。わかりません。

ここ数ヶ月本を買いすぎたような気がしていたのですが、先月分のクレジットカードの請求額は4万円だったので、そんなに使ってもいなかったのかもしれません。Amazonのマーケットプレイなどで古書を買うせいかもしれません。価格がそれほど変わらない場合は、新品を買うべきだろうなと思います。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 12:10 AM | comments (0) | trackback (0) |
深井智朗(著)『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』
最近、バロック美術の本を買い込んで読んでおります。我々になじみのあるような静物画や風景画などのジャンルが登場するのはバロック時代からであり、ほとんどの洋画家にとっても参考となるのはバロック以降の絵画だと思いますし、私もルネサンス絵画と比較するとバロック絵画の方がいいかな、と思うわけですが、バロック美術について実はそんなにしっかり知っているわけではなかったと思い・・・。バロック音楽の本はなぜかいっぱい読んでるんですけどね。
というわけで、バロック美術について勉強中なのですが、手始めに宗教改革の本を読みました。
深井智朗(著)『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』
バロック美術について考える上で、宗教改革という歴史的出来事は、切っても切れない深い縁がありますから、まずはそちらからということで。
本書を読んでみて大変勉強になりましたが、個人的にまとめてみますと、たいていの本では”免罪符”と言っているけれども、正確には”贖宥状(しょくゆうじょう)”の方が正しいとか。何か罪を犯したならば、教会で「告白」し、その罪に見合った償いをすること(償い)が必要であり、カトリック教会では、その償いに相当する修行をさせてストックしておいて贖宥状として販売していたと。ある程度は商品生産みたいな感じだったのかもしれません。現代では考えられませんが、宗教が支配する世界だったら、そういう製造業も有りかもしれないという気がしないでもないです。
しかしながら当時の神聖ローマ帝国に含まれる所領からローマ教会が贖宥状などで莫大な利益を吸い上げてゆく構図を、市民や職人階級が好ましく思っていなかった面もあったようです。ルーカス・クラナハのような大工房を運営する画家が、なぜ宗教改革側に荷担したのか、という点が気になってはいたのですが、画家という立場なら、カトリック側に居た方が、華々しい祭壇画などの仕事があって、画家としては利益と名誉の両方を得られたのではないか、と思われるのですが。出版という最先端の技術の方が儲かるというクラナハの先見性があったから、というふうに考えられなくもないですが、でも、贖宥状みたいな形で現金がどんどんローマ教会に吸い取られていくという構図があったら、そっちに流れてしまう金が回ったらそっちの方がいいでしょう。
宗教改革はルターがヴィッテンベルク市の教会に95ヶ条の論題を打ちつけて始まったとされていますが、実際にはそれは後に付けたされた伝承かもしれず、はっきりしているのは書簡として何人かに送っただけったとか。それがやがて、後にプロテスタントという宗派を産むようなことは考えておらず、既存のカトリックを改善するというぐらいのものだったらしいのですが、その後のカトリック側との対立などで、結果的に宗教改革という大事件になったと。プロテスタントといっても、数多くの活動があって、それぞれの流派で改革の度合いも異なる。ルターはそもそもが先のような意図だったので、カルヴァン派などと比べるとカトリックとそれほど大きな差は出てこないわけですが、カルヴァン派が主流となったオランダでは教会から、装飾や絵画が消え、風俗画や静物画などが隆盛する状況が生まれたという具合に、プロテスタント諸国でもその宗派によって、美術史的にも違う流れが出来ていったのだなぁと思います。各地の違いについて、ちょっと確認していきたい気もします。
なお、本書の後半は、現代までに続く保守主義とレベラリズムにも宗教改革が影響しているという話になっており、これもなかなか興味深いと言えるでしょう。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 09:37 PM | comments (0) | trackback (0) |
アルベルトゥス・マグヌスの鉱物論
沓掛俊夫(翻訳),アルベルトゥス・マグヌス(著)『鉱物論』を読みました。

薔薇の名前に関する動画を収録しているうちになんとなく気になって買ってみた次第です。映画とはあまり関係ありませんが。アルベルトゥス・マグヌスは中世神学の頂上トマス・アクィナスの師であり、西洋へのアリストテレス学問の導入に積極的だった人物で、後の影響は多大と言えるでしょう。「・・・ロジャー・ベーコンとともに実験科学の創始者の一人ともみなされている・・・」とありますが、ある程度、観察や実験に取り組んだようです。観察と実験の精神はいまいち後世に引き継がれなかったようですが、いかほどのものか気になるところです。というわけで、読んでみましたが、石や宝石について説明はかなり斜めに飛ばしながら読んでしまいました。述べられている説が現代の常識からはかけ離れているので、付き合っていくのが大変なのですが、古代からアラビアの自然学などを踏まえた内容なので、そういう意味ではしっかり読むべきなのかもしれませんが、今はいいかなと。医学的な関心が高いようで、宝石のパワーについて延々と述べられており、やはりこれが中世の医学かという感じです。それもまた重要ではあると思いますが、大半は飛ばしてしまいました。というわけで、絵画材料的に注目すべきは金属について述べられた章だと思います。鉛を強い酢の上記にあてて鉛白ができることや、それを焼くと赤くなったり、黄色くなったりなど、そういう具体的なこともさらっと書かれてあります。要注目と言えましょう。大半はたぶん古代の書からの引用で、実際どこまで追試したかはわかりません。ウィトルウィスやテオフィルスの場合は技能書なので、手順が克明に書かれていますが、こちらは事典的な記述ではあります。そして、そのあとに、その変化が起こる原因を理論的に、科学的に説明するわけですが、そこがなかなか難物です。この本の説明では、金属は基本的に硫黄と水銀からなっており、その比率によって鉛とか鉄とか銅、金などの金属になるという理論です。現代ではそれぞれの元素だというのを知ってますが、そういう知識がなければ意外とそうかもなという感じに妙に説得力があります。そのような説明が続くので、やはりどうしても違和感を感じずにはいられないのですが、そのように本気で考えていたのだという点は重要かと思います。テオフィルスなどの技法書は変化の理由まで書かれておらず、ただ使用方法を述べているから、その違和感がないだけかもしれません。テオフィルスの技能書の方はこれより百年くらい前に書かれたかと思いますが、あちらは材料をかなり正確に把握しており、記述の通りに試すとだいたい上手くいこともあって、かなり科学的に正確な書だという印象があるのですが、それはただの錯覚かもしれません。私はテオフィルスやチェンニーニ、あるいはずっと昔のウィトルウィウスの書を非常に信頼しており、具体的で実践的だと常々感心しておりますが、その具体的な記述の後に、古代~中世に常識だったその原理の説明があったら、やはりちょっとした不信感は感じずにおれなかったでしょう。ちなみに、宝石の章でも、ラピスラズリの解説もあったりして(インドから来るってありましたが、フランスでも採れるとか。たぶん、アズライト等との混同もあるでしょう)、よく読んだら、金属の章以外もきっと(絵画材料的に)重要なところがいろいろあると思います。いずれにしても、このような本の日本語訳があるというのがすごいですね。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 11:30 PM | comments (0) | trackback (0) |

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