葛城氏、まはた古代葛城地域についての本を三冊ほど読む
平林章仁『謎の古代豪族 葛城氏』読了
門脇禎二『葛城と古代国家』読了
河上邦彦『大和葛城の大古墳群 馬見古墳群』読了

オオヤマト古墳群、佐紀盾列古墳群、古市百舌古墳群、明日香村の古墳などを既に見てきたので、次ぎに関西に行ったときは馬見古墳群を訪ねてみたい、と考えておるのですが、馬見古墳群、特に南の方は葛城氏の根拠地であったかと思われるので、葛城氏に関してちょっと読んでおこうかな、と思って読んでみました。
門脇禎二『葛城と古代国家』ですが、こちらはなかなか面白かったものの、河内王朝説への反論と蘇我氏渡来人説にかなりの紙数が割かれており、入門向きとは言い難いところがなきにしもあらず。最後の章が古墳紀行になっており、馬見古墳群を訪れることになったら再読したところです。門脇禎二『葛城と古代国家』は内容は似ていますが、はじめに読むにはこちらの方がいいかと思います。河上邦彦『大和葛城の大古墳群 馬見古墳群』は淡々と各古墳の内容を紹介しており、類推による被葬者の推定とかもとくにないので、読み物としては面白いかどうはわかりませんが、たいへん誠実な感じで、古墳見学にゆくときは携帯したいところです。

さて、簡単に葛城氏についてまとめてみたいと思います。奈良盆地の東側にはオオヤマト古墳群という王墓と目される古墳が多数並び、その反対側、奈良盆地西側の丘陵地帯に馬見古墳群があります。古墳時代、奈良盆地の東がヤマト王族の領域、西が葛城氏であったかと思われます。葛城氏の最盛期は巨大古墳時代(古墳時代中期)にして倭の五王の時代の大豪族であり、後の飛鳥時代の蘇我氏のようにヤマト王権大王家に継続的にキサキを入れるなど婚姻関係を結び、特に大王の後継者は葛城氏の后の子でならなければならぬような時期が続きました。しかしながら蜜月の関係というものではなく、緊張感のあるものであったと推察されます。記紀編纂の時期には既に滅亡してから長く、文献上では神話的な物語の中から、その活動やヤマト王権との関わりを類推するわけだけれども、朝鮮半島との外交や鉄器等の輸入を担当していたようである。安閑帝、雄略帝の頃にヤマト王権の権力集中化を諮るためか、葛城氏は滅亡に追いやられるが、同時にヤマトの王族にも混乱が生じ、武烈帝の後に断絶し、古く遡って応神天皇五世孫の継体帝が近江から連れてこられることにもなるわけです。更に百済の一時滅亡や朝鮮半島での根拠地喪失などの後退も葛城氏滅亡の影響かもしれません。

| 絵画材料 | 11:00 AM | comments (0) | trackback (0) |










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