『西洋絵画の画材と技法』 - [支持体]

印象派風キャンバス

概要

日本では、油絵というと、モネやゴッホなど印象派・後期印象派の作品を真っ先に思い浮かべる人は多いと思う。一般の絵画教室で教える油絵も、印象派以降の絵具の使い方に則したものが普通ではなかろうか。しかし、画集で見る分には一見簡単そうに見えるが、実物を目にすると、あのような迫力のある画肌を作るのは容易なことではない。自分でもやってみるが、いくら絵具を重ねても彼らのような立派な画面になってくれない。しかも、実物を間近で良く見ると、たいして絵具を重ねているわけでもないのに、やたらと厚みがあるように見える作品もある。

最大の原因は才能の問題であり、そう簡単に名画の域に近づけるわけはないのだが、それはともかくとして、小さからざる原因のひとつに現代の市販キャンバスの性質が挙げられるのではないかと思う。市販の安いキャンバスを買って、ゴッホのような絵を描いても、あのような迫力は得難い。画布に迫力がなく、地塗りが白すぎる。特にアクリルエマルジョンの地塗りの色は、あまりにも白く明るすぎて、油絵具には相容れない(機能上は問題ないと思われる。また、使用している顔料によってはアクリルエマルジョン地でも、柔らかい色調のものがある)。印象派の絵では、絵具のあいだから部分的に地塗りが見えるような荒描きが多用されるが、油性地、膠地と違って、アクリルエマルジョンの地の場合は、油絵具と異質の白が見えるため、色彩面と融け込まずに未完成の印象を与えてしまう。

本項ではモネ、ゴッホ、ゴーガンなど、印象派風の油絵を制作するのに適したキャンバスを自作してみたいと思う。特にゴッホのような鬼気迫った荒々しさを持つ画面を作りたい、というコンセプトのもとに作業を進める。やや荒目の画布を使い、自分で膠引きをして、市販品の均質な表面処理にない魅力を引き出し、油絵具と違和感なく溶け合う落ち着いた地塗りで実現する。

全ての工程で、あまり細かいことを気にせずに大胆に作業するのが良いと思う。丁寧にやりすぎると、逆に魅力を失いかねない。しかし、表面上は荒々しい様相をしていても、手順は絵画技法として理にかなったものにし、ある程度のレベルの耐久性は維持する。ゴッホがアルル時代に使ったというジュートのキャンバスを参考にしてはいるものの、実際に彼らが使ったキャンバスを再現するという趣旨はなく、現代の日本の環境に適した全く別ものとして再構成している。「印象派"風"」という言葉を使ったのも、特に印象派の画家に限定しているわけではなく、現代の一般的な日曜画家が認識しているような描き方の絵も含めたかった為である。実用性と経済性を重視し、材料は全て画材店などで安く簡単に入手できものを使用、作業手順も面倒なことは行なわないよう配慮した。なお、キャンバス作りの経験があることを前提に手順を紹介しているので、あらかじめ「キャンバス作り」のページ等も一読を。

材料と道具

道具類は、「キャンバス作り」及び「半油性地」で必要とするものと同じ。材料に関しても同様だが、画布と顔料は以下をよく読んで選択する。

画布

画布は、地塗りや膠引きをされていない、生の麻布を用意する。通常より目の荒いものをお薦めするが、15号ぐらいまでの小さなキャンバスなら普通の中目、15号〜30号では中荒目ぐらいが丁度良いと思う。荒目の画布やジュートなどは30号以上の作品でようやく様になる。しかし、個人の好みにもよる。ジュートなど非常に安いものだが、一点だけ作るのは非効率で、いくら画布が安くてもあまり経済的でない。同時に複数作ってこそである。自作キャンバスの画布は、通常は膠引き済の方が手早く仕上がりも綺麗になるが、今回の趣旨では綺麗に膠引きされいると面白みに欠けるから、あえて自分で膠引きする。メーカーで数十メートルの画布を一気に膠引きする場合と違い、木枠に張って個々に膠引きした場合は、かなり上手くないと手作業っぽさが残る。しかし、今回はある意味それも狙いの一つである。麻布は手芸店やホームセンターなどで購入すると安い生麻布が購入できる。画材用でない安い生地は、絵画用の高級品と比べると、瘤や筋だらけで本来キャンバスに相応しくないものも多いが、今回はそれを活かすのもいい。裁縫店やネット通販(楽天やヤフオク)で購入できる。特にジュートなどは非常に安い。麻袋に使うジュートを買ってきてキャンバスにするような巨匠が目標だから、利用できそうなものをどんどん試すのもいいかもしれない。ただし、生の画布を使った経験がない場合は、どのようなものを選んだら良いか見当も付かないだろうから、最初だけはキャンバスメーカーの提供する生画布を求めた方がよいかもしれない。

顔料

顔料はホルベインの下地用ムードンを使用する(理由は後述)。都心の大きな画材店(世界堂等)、またはネットの画材店(ゆめ画材等)で購入できる。たくさん使うので大きな容器のものを求めるとよい。

制作手順

キャンバス張り

まずは、木枠にキャンバスを張るのだが、膠引きしていない画布を張るのは、慣れないと少々難しい。特に目の粗い画布の場合は、布目が曲がった状態で張ってしまうとひどく目立つので、「キャンバス作り」を参考に慎重に張る。しかし、慣れてくれば、カンで適当に張って差し支えない。

膠引き

布を張ったら、膠引きを行なう。地塗りをラフに行なう予定なので、膠引きはしっかりやる。荒目の画布は膠水を大量に吸い込むので、普段より多めに用意。30号以上の場合は、膠液を塗布した際に布の伸縮により木枠が折れることがあるので、念のため四隅に重石を置いておくのを忘れずに。

手順画像

荒目のキャンバスの場合は、最初に塗った膠液が乾いたら、ゼリー状の膠を手にとって布にこすりつけ、大きな隙間を埋めておく(これを怠ると地塗りのときに布目の隙間に塗料が入らなくて苦労する)。こすりつけた後は、ヘラなどで余分な膠をかき取り、乾いてから軽く紙ヤスリをかける。荒目の画布は毛羽だっていることが多い。これを隈無く丁寧に処理する必要はないと思うが、目立って飛び出しているものは取り除いておく。

地塗り

地塗りの顔料には白を加えずに、炭酸カルシウム等の体質顔料のみを使用する。印象派の画家はつや消しの画面を好む傾向があったので、本来は吸収性の地塗りが相応しいと言える。しかし、印象派風の描き方では、インプリマトゥーラなどで吸収性を事前に調節するような手間をかけないことが多く、地塗りが絵具の油を吸いすぎて、丈夫な塗膜を作ることができない。そこで、地塗りに少量の油を加えて半油性地にしてみた。この方が市販のキャンバスに描き味が似るので初心者でも戸惑わずに描ける。また、夏に湿度が高くなる日本では、カビの発生が抑制してくれる可能性がある。ただし、通常の半油性地よりは油の量をかなり減らしている。

地塗り塗料をつくるにあたっては「半油性地」の通りに行なうので、手順はそちらを参考に。ただし、材料は下表に従う。

材料名
膠液 1.5 150g
体質顔料:下地用ムードン 2 200g
油分:サンシックンドリンシード油 0.2〜0.3 20〜30g
手順画像

体質顔料と膠液、乾性油、黄卵などを混ぜて半油性地を作ると、上の写真のような色合いの塗料ができる。テンペラの石膏地を作った人ならわかると思うが、濡れている間は暗い色をしていても、乾燥後には明るい白色に戻る。しかし、顔料によっては乾いてもある程度の透明度を保ったまま乾燥する場合もあり、象牙のようなやわらかい色合いの地塗りができる。この自己主張しない地塗りの色が、市販のキャンバスと大きく異なる。下地用ムードンは仕上げ用と比べて、白さが控えめであり、その点が今回の主旨には適している。絵具を塗った際、油が染み出した箇所が暗くなり、地塗りと色彩の間の色の移行が自然になる。画材店ではホルベイン工業とマツダ絵具のものが購入できる。

手順画像

地塗りは多くても2層ぐらいで充分だと思う。支持体が板ではなく、キャンバスの場合は、地塗りは厚く塗らない方がよい。かすれるように一層だけ塗るのも良いかもしれない。塗りムラがあっても、あまりに気にせずに、むしろそこからインスピレーションを得るような気持ちでいるのがよい。

完成

写真は完成したキャンバス(※モニタの設定によって、実物とは違った色に見えることがあります)。左は一般的な白亜を、右は下地用ムードンのみを使用したもの。通常の白亜を使用した左の例の場合でも、市販キャンバスよりは色が落ち着いている。この微妙な差が作品全体の統一感に大きく貢献する。特に油絵具を塗ったあとに目に柔らかい色調になり、地を残した部分も自然に見える。

手順画像

地塗り塗料を作る際に、油を少なめにしておくと、地塗りの吸収性が強くなる。この場合は、画面に置いた絵具から油が染み出して、輪郭に沿って油の染みができる。地塗りを残した部分と、絵具を置いた部分が見た目に自然な繋がりとなって、後期印象派の画家の表現に近いものになる。

まとめ

このようなキャンバスを市場に出すのは難しいから、自作によってのみ得られるものだと思う。しかし、このキャンバスに描いた絵の耐久性はというと、格安のアクリルエマルジョン・キャンバスに描いた場合と比較して、明らかな問題点がある。まず、吸収性が強いので、絵具層の油分が少なくなり、画面の堅牢さを損なう可能性がある。ただし、これは印象派以降の油彩作品で頻繁に見られる欠点であり、そもそも艶消しの画面を求めすぎるのが問題とも言える。描画の際は、黄変を恐れることなくリンシードオイルを充分に加えて使べきである。粘度の高い加工油、サンシックンドオイル、ブラックオイル、コーパルワニスなどが良いと思う。黄変・暗変は油絵なら当然起こるものだと思って、若干青く明るく描画しておくことである程度避けられる。模写をする際は、現物の色彩を忠実に再現するだけでなく、ニスの黄変や、絵具そのものの変色や、地塗り、画布の老化も考慮に入れて、描かれた当初の色を予想することも大事である。

もうひとつの重大な欠点として、地塗りを体質顔料のみで行なっているので、経年で暗変する度合いが大きくなる問題がある。地塗りに白い顔料が入っておらず、乾性油中では半透明になってしまう体質顔料で出来ているのだから当然あり得る。板絵の場合はさほどの問題でもないが、キャンバス画の場合は裏側からの影響もうけやすい。例えば、キャンバスの保護の目的などで蜜蝋その他で、裏打ちなどの処理をされると、その影響で布や地塗りが暗変するというのは、古い絵画にはよくみられることだという。経年により、地塗りがさらに透明に、ひどいときには褐色の地にもなりかねない点も、覚悟しなければならない。しかし、経年により起こるであろう変化は、うまく取り入れることができれば、絵の魅力を増すものではないかと思う。

下の写真は、本項で紹介したキャンバスにゴッホのひまわりを模写したもの。経年によって地塗りや絵具層、場合によっては画布も変色することを考慮に入れ、やや明るく描いている。これで完成ではなく、時間と共に様々な影響を被ることによって、人の手業を超えた色合いを獲得する(かどうかはまだわからない)。

手順画像

このキャンバスを作成する上で参考にしたのは、NHK新日曜美術館「後期印象派の巨人たち(1)アルルのゴッホ」(2003年01月19日放送)内で紹介されていた、シカゴ美術館によるゴッホのキャンバスの再現である。番組では硫酸バリウムと膠のみので再現していたが、残念ながら細かいところまでは記憶にない。印象派以降の絵画全般にみられる技術上の欠点の改善と、現代の画材事情を考慮しつつ、印象派風の制作方法全般に利用できるように改変したのが本項の「印象派風キャンバス」である。


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最終更新日 2007年5月21日

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