オオヤマト古墳群踏破その3 景行天皇陵他
纏向古墳群を後にして、山辺の道を北に向かって歩き、柳本古墳群を目指す。
途中たくさんの古墳を見たのだけれどもキリがないので割愛。歩けば古墳に当たるという感じだったけれども、未調査で不明な古墳も多いため、言及しづらい。

目立った史跡は垂仁天皇の皇居纒向珠城宮跡碑。
オオヤマト古墳群
初期の大和王権の執政場所はオオヤマト古墳群、というか山辺の道沿いを移動したのではないか。

そこから近いところにある珠城山古墳群(たまきやまこふんぐん)を一応見てみる。
オオヤマト古墳群
3つの前方後円墳から成る古墳群で横穴式石室に入れること知られる。
オオヤマト古墳群
古墳群頂上は顔料にできそうなくらいの赤い土で出来ていました。

珠城山古墳群の上からみた景行天皇陵。あちらに向かって歩きます。
オオヤマト古墳群
それにしてもいい景色です。

景行天皇陵、山辺道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)。
オオヤマト古墳群
オオヤマト古墳群の中では最大。大きいですな。しかし、河内の古墳を見たあとだと、意外だったのは東側の山から傾斜しているような緩やかな斜面に作られているというところでしょうか。これは崇神稜でもそうですが、この方が視覚的効果があったかもしれません。

一応、現状で残っている周濠は、わりと狭くてあまり美しくはなかった。
景行天皇陵

排所です。
景行天皇陵

| 史跡・古墳・名所等 | 09:32 PM | comments (0) | trackback (0) |
オオヤマト古墳群踏破その2 ホケノ山古墳
箸墓の他には、いくつかの纏向型前方後円墳が点在するが、そのうちひとつでも見て置こうかと、わりとすぐ近くのホケノ山古墳を目指して歩きます。三輪山が見える。
ホケノ山古墳

ホケノ山古墳
ホケノ山古墳
おそらくは箸墓の直前くらいの時代の古墳ではなかろうか、という感じの古墳。
ちょっと前までは炭素年代測定法などの結果により、箸墓は卑弥呼の墓の最有力候補という感じでしたが、極最近は炭素年代測定法にも誤差があるのでまだわからんなという論調になってきているようなところですが、ホケノ山古墳ではさすがに規模が小さいですかね。
ホケノ山古墳

ホケノ山古墳の上から、箸墓を見たところ。
箸墓古墳
やはりデカい。

すぐ近くには国津神社(桜井市箸中)
ホケノ山古墳

ホケノ山古墳

ちょっと南に足を伸ばして茅原大墓古墳も見る。
茅原大墓古墳
こちらは増築年代はだいぶあとで、時代はすでに大王墓は奈良北部や河内の方に移動していた頃の古墳。

| 史跡・古墳・名所等 | 10:05 PM | comments (0) | trackback (0) |
オオヤマト古墳群踏破その1 纏向古墳群:箸墓古墳
だいぶ時間が経ってしまいましたが、3月某日に古墳歴訪の旅に出た話の続きです。初日に訪れた古市古墳群については既に書きましたが、2日目は纏向古墳群から柳本古墳群、大和古墳群を踏破しました。この3つの古墳群は、奈良盆地の南東にあり、オオヤマト古墳群と総称されることもありますが、最初期の前方後円墳の特に巨大なもの、王墓と思わしきものが並んでおり、初期大和王権、というかたぶん大和王権発祥の地といえるでしょう。

まずは巻向駅で下車、しようと思ったのですが、ワンマン電車だったので、最後尾に居た為降りられず、三輪から引き返してきたが、駅はSuicaには対応してるんですね。
箸墓古墳
巻向駅を出て箸墓古墳に向かう。途中、壬申の乱の戦場跡があったらしいけれども、気付かずに素通りしてしまいました。

纒向古墳群には最初期の前方後円墳が点在しますが、最初の巨大前方後円墳である箸墓古墳です。
箸墓古墳
ずっと前から見たいと思っていたのですが、ようやく訪れることができました。

前方部分の方に回ってみます。
箸墓古墳

拝所です。
箸墓古墳

孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)とあります。
箸墓古墳

池とは反対側に廻ってみました。
箸墓古墳

| 史跡・古墳・名所等 | 11:42 PM | comments (0) | trackback (0) |
古市古墳群を訪れる
3月某日、春休みを利用しつつ古墳歴訪の旅に出ることにしました。初日に古市古墳群、2日目に大和古墳群、3日目に佐紀盾列古墳群をという計画で。踏破した古墳についてコメントしてゆきたいと思いますが、自分用のメモも兼ねるので少々些末なことも書いてあります点をご了承ください。古墳時代から古代史についての本を読むのが好きなのですが、実物を見て置くと理解に役立ちそう、ということで。
ボンバルディアCRJ700
休養も兼ねる感じで疲れないようにしたかったので、お昼頃に仙台空港から出発。IBEXエアラインズのおそらくボンバルディアCRJ700という機種に搭乗。小型の旅客機でいわゆるリージョナルジェットというやつですが、大型旅客機と比べて飛んでる感じが味わえた気がしないでもない。ちなみに仙台から大阪までの旅費は飛行機代宿泊込み3泊4日で¥41.300でありました。伊丹空港に近い場所に宿を取ろうかと思って江坂のビジネスホテルを予約したのですが史跡へのアクセスはいまいちでした。ただまぁ、スーパーも百円ショップも近場にあって、高級すぎなくて便利でしたが。買い物したり、ホテルにチェックインするなどして、それから古市駅に向かいましたが、そこから歩きはじめたのは16時半くらいになっておりました。日没まで2時間弱、あまり時間がないので、さっそくですが、まずは面積では日本第2位の規模、体積では第1位のサイズである、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)に向かう。後円部あたりをうろうろしてみたが、住宅が建ち並んでおり、近づける感じではなかったので、前方部の拝所の方へと歩く。しかし後円部の木々はずっと見えてるっぽい感じで、体積日本一の古墳という感じでありました。
古市古墳群
こちらが拝所への参道。綺麗に整備されています。奥に見えるのが応神陵の前方部正面になります。
古市古墳群
立派なものです。
その北側にある大鳥塚古墳
古市古墳群
さらにそのすぐ北側に古室山古墳。
古市古墳群
宮内庁管理ではないので、登ることもできます。
で、その古室山古墳を登って降りると、仲津山古墳(仲津姫陵)の拝所が見えてきました。
古市古墳群
周辺でもひときわ高い位置にある古墳で、拝所も柵越しにのぞき込むような感じでした。
古市古墳群
古市古墳群では2番目の巨大な古墳らしいが、住宅が多く全貌がよく見えないなと思いつつ、後円部の方まで歩いていったら、道路沿いに深い堀があり、そこから見るとちょっと畏怖を感じるほどの大きさでした。応神天皇皇后仲姫命陵に治定されているけれども、考古学的にはこちらの方が応神天皇陵よりも築造年代は先になるそうである。
そのすぐ北東に鍋塚古墳という小さな方墳が。
古市古墳群
石柱には「史跡 鍋」とだけ掘られてありましたが、それはともかく、登って仲津山古墳(仲津姫陵)を振り返る。やはり大きいといえる。
古市古墳群
反対側には市ノ山古墳(允恭天皇陵)
古市古墳群
下は土師ノ里駅。建物の背後に見える森のようなものが允恭陵。デカいすな。
古市古墳群
前方部も後円部も道路からすぐ第1周壕になっている部分が多くて、前方後円墳の全貌が見渡せます。古市古墳群の中では第4位の大きさということであるが、全体を見渡せる為かひときわ大きく見える。応神陵はこの倍近い墳丘長だというから、それはそれはデカいということが想像できます。というわけで、ここまで来たところで日没なり、宿泊先に帰る。

| 史跡・古墳・名所等 | 11:10 AM | comments (0) | trackback (0) |
東京復活大聖堂(ニコライ堂)
イコン画について、いままで書物などいろいろ読んできましたが、実際に宗教儀礼内でどのように使用されるのか見てみたいと思いまして、東京にある正教会の大聖堂、通称ニコライ堂を訪ねみました。
ニコライ堂

思い立ってすぐに出発しましたが、正教会の教会に足を踏み入れるのは初めてであり、1人で入るのは少し勇気が要りそうだったので、直前に誰か一緒に来てくれないものかと誘ってみたものの、直前過ぎて結局どなたも都合付かず。しかし結果的には1人で行ってむしろよかったです。その日行なわれていたのは「グレゴリイ・パラマの主日聖体礼儀」という聖体礼儀で、3時間ほど続き、3時間ひたすら聖体礼儀の様子を見守っていたため、他の人がいたら退屈してないかと気を使ってしまったところです。
なお、聖堂に入ったところで、見学ですと告げれば、見学の案内と注意事項などを親切に説明してくださいましたので、そんなに恐がることでもなかったんですが。。
通常13:00~17:00(冬季は15:00)の間、聖堂を見学できることになっていますが、後述するイコノスタスの機能を見る意味でも、礼拝に参加して目の当たりにした方がよいかと思います。

見学について注意事項等は下記を参照ください。
■聖堂拝観・伝道会のご案内
http://www.geocities.jp/ynicojp2/seido-haikan.html

カトリックの教会にもイコン画はあり、日本の美術家にとってはイタリア系の黄金背景のテンペラ画を思いだされるかもしれませんが、イコンといえば、まずは正教会(英語でオーソドックス)のイコンを差し置くわけにはいかないでしょう。ギレム・ラモスポーキ(著)『イコンの描き方 ビザンティン式伝統画法』という図書が概要や技法に関して最も参考になるかと思われます。私自身もチェンニーニの書などで、イタリアのテンペラ画のことばかり意識していましたが、イギリスに滞在したときに原書を発見し、ギリシア正教会のイコン画に注目するようになりました。イコン画をはじめ、中世の宗教絵画について、現代の肖像画と同じ感覚で語られている例が見かけられますが、機能も価値観も全く別物である点を体験するのだ大事かと思います。ちょっとした感想であっても、現代の価値観でさらりと述べるわけにはいかないわけです。美術史としても、中世絵画の終わり頃にチマブーエ、ジョット、マサッチョなどと進化して現代に到達するという価値観もあるでしょうが、正教会のイコン画の様式をみれば、そういう価値観もあるな、という具合で、それが絶対というわけではないではない、と言いたいところです。でも、画集など見ているだけでは、ヨーロッパの絵画と比較して取り残された感想を持ってしまうものです。実際に聖体礼儀役割を果たしているところを見ると、印象派だいぶ変わるのではないでしょうか。

とくに注目すべきは、イコノスタスと呼ばれる「至聖所」と「聖所」と呼ばれる木製の祭壇のような壁です。大きなイコン画が連なっていて、3つのドアがついているのですが、この3つ扉がどのように機能するのか実際に見られたということは、たいへん勉強になりました。
正教の聖堂の構造は以下を参照ください。
http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/katachi02.html
聖所に入れるのは信者だけすので、啓蒙所というところで見学します。
聖所と啓蒙所を隔てる四本の柱にイコン画がかかっており、イコン画の前に燭台があります。イコンのすぐ前でたくさんの蝋燭が立てられているため、金箔を貼ったイコンが蝋燭の火の揺らめきでキラキラ光る効果があったわけですが、綺麗なイコン画はガラス付きの額縁に入れられており、炎の光はむしろガラスに反射していました。聖所にあるイコン画では、ガラス付き額縁ではなくて、昔風のイコンの前に蝋燭が点っていましたが、古いと思われるイコンは黒ずんでいました。もともと黒いのか、積年の汚れによるものか、蝋燭の火がとても近いために煤で黒くなるのか。そんなに近いのかというくらい絵のすぐ手前で蝋燭が灯されるので煤が付かないわけはないでしょう。黒くなると、砂で洗ったりすることがあって、地の色が見えてきたり、または丸っきり上書きされて書き直されてしまったりということもあるそうです。

という具合で書いてきましたが、私も正教会やイコン画に詳しいわけではないので、せっかく実際の機能を見ることができましたので、改めて何か読みつつ勉強してみたいと思います。

| 史跡・古墳・名所等 | 10:14 PM | comments (0) | trackback (0) |

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