最近読んだ本
饗庭孝男(編)『フランスの中心 ブルゴーニュ 歴史と文化』読了。ブルゴーニュ、というか、ブルゴーニュ公国といえば、なんと言っても、ヤン・ファン・アイクが仕えていたフィリップ善良公が美術愛好家では重要な登場人物かと思われますが、ネーデルラントとブルゴーニュとごっちゃになってしまったりいろいろ難しいところがあるわけですが、本書はかなり優しく書かれており、お薦めの本と言えます。マルク・ボーネ(著)『中世ヨーロッパの都市と国家―ブルゴーニュ公国時代のネーデルラント』も読んでみましたが、こちらは講演録であり中級以上向けというところはなきにしもあらず。

続けて佐藤賢一(著)『ヴァロワ朝 フランス王朝史2』読了。ブルゴーニュ公もヴァロワ系ですので、それと関連して話が進むわけで、同時に読むとより理解が深まるかと思います。こちらも、たいへん分かりやすく書かれているのですが、登場人物の名前が、ほとんどシャルル、ルイ、アンリの3パターンくらいで締められているので、記憶を整理するのは基本的に大変です。フランソワ1世は個性的で分かりやすいです。中世フランスの王族ベリー公ジャン1世も美術史的には大変重要な人物ですが、こちらに関しても

さらに続けて江村洋(著)『カール五世 ハプスブルク栄光の日々』も読みました。これはずっと前から読んでおかねばと思ってたのですが、文章も構成も非常に読みやすくて、もうこれを読まないというのは損という他ありません。ちなみに、神聖ローマ皇帝に関する本は中世の頃からのものをいろいろ読んではみましたが、他国の統治者に比べるとわりと真剣にヨーロッパの統治者としての自意識がある場合が多いのですが、それに比べてローマ教皇の方があまりにもあれすぎて本当にどうしようもない感じなんですが、まぁ、それはともかく、本書は歴史に関係あろうとなかろうとけっこう感動的な本なのでお薦めです。しかし、できれば、ティツィアーノやクラナハなどの記述がもうちょっとあればよかったです。クラナハは全く言及がなかったかもしれません。もっとも、余計なところをそぎ落としているから、わかりやすくなっているとも言えますが。


| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 12:46 AM | comments (0) | trackback (0) |
アントニオ・ネリ著『ラルテ・ヴェトラリア 17世紀初頭のガラス製造術』
アントニオ・ネリ著『ラルテ・ヴェトラリア 17世紀初頭のガラス製造術』を読みました。

17世紀イタリアで出版されたガラス製法の技術書ですが、最後の方で絵画用顔料にも触れられており、ウルトラマリン精製と赤のレーキ顔料の作り方が書かれています。レーキ顔料については、現在いろいろ調べているところなので、たいへんタイムリーな内容であるのだけれども、読み解くのは大変である。一応、ガラス製法についても一通り読んでみようとはしたが、何を言っているのかほとんどわからない。顔料についてはなんとなくわかる部分もあるし、さっぱり分からないところもあり。通読はしたけれども、理解するには時間がかかりそうである。



| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 02:01 AM | comments (0) | trackback (0) |
最近読んだ本:倉本一宏『壬申の乱』他
最近、なんだかやる気が出ないというか、無気力でどうしようもない感じなのですが、せめて本でも読んでおこうと思っていろいろ読んでます。

倉本一宏(著)『戦争の日本史2 壬申の乱』
私は日本史の中では、古墳時代から古代全般にかけてが好きです。応仁の乱について読んでるときより、壬申の乱について読んでるときの方がよっぽど楽しい。しかし、どの記述で読んでも、壬申の乱における大海人の吉野脱出から進軍経緯は奇跡のような連鎖なのだけれども、そもそも大海人が近江から吉野に出て行く時点で、一般的な史書の理由では説明が付かない的なところはあります。本書は本当の首謀者を鸕野讚良としており、草壁皇子を大王位に即かせる為とされている。しかし、本書を読んでいると、壬申の乱は大海人陣営の奇跡のような連携で勝利しているけれども、けっこう綱渡り的なところもあって、ただチャンスを待つのと、あのようなリスクを犯して行動に出るのと、どっちがいいのだろうか。私としては対外政策など、その他諸々の面で近江朝廷を刷新せねばならず、それには戦争しかなかったのではないか、というふうに思えるような気がする。事実、日本が大きく変わる転換点であったわけだし。
いずれにしても夢中になって読めて、現世の煩わしさを一時忘れることができました。

竹中亨(著)『ヴィルヘルム2世 ドイツ帝国と命運を共にした「国民皇帝」』
ヴィルヘルム2世の評伝であるが、これは第一次大戦発生の原因について考えるにもいい本かもしれません。第一次大戦がどうして発生したのか、というのは少々難しいわけですが。

アラン・エルランド=ブランダンブルグ(著)『大聖堂ものがたり:聖なる建築物をつくった人々 (「知の再発見」双書)』
大聖堂建築に関する本は山ほど読みましたが、どちらかというと建築の構造的な面(例えばロマネスクとゴシックの違いなど)とか、ステンドグラスの意匠、その他芸術的な側面に関するものが多かったのですが、本書はそういうのはほとんど語らず、発注者や建築家、材料の運搬や契約書といった面について書かれてありまして、これはこれで大変勉強になりました。

本郷和人(著)『壬申の乱と関ヶ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか』
古代最大の内乱である壬申の乱の重要ポイントと、後の関ヶ原の戦いの決戦場がある位置が被っているわけですが、そこが日本の東西を分ける重要なポイントであり、実はふたつの日本がある、というようなダイナミックな序章があるのですが、けっこう期待して読み始めたところが、後半に行くにしたがって、普通に関ヶ原の戦いについて述べているような感じになってしまったのが残念です。

山本芳久(著)『トマス・アクィナス 理性と神秘』
中世美術についての動画を撮ったりなどしていましたが(https://youtu.be/ryiUc89Dikg?list=PLlnnJ9YY7hQj8hqLutRXy4sKgld5urCGJ)、テオフィルスをはじめとする技術的な本ばかり読んでいて、それ以外については勉強が足らなかったと思い、中世関連を乱読しているところです。なかなか進みませんが。
本書によれば「日本語訳で全四十五巻にも及ぶ『神学大全』は、彼の著作の七分の一程度にすぎない・・・とりわけ晩年のトマスは、現代の研究者が読む速度よりも速い速度で書いていた計算せざるをえないほどのアウトプットを残している。トマスの著作群は、西洋の偉大な哲学者たちのなかでも群を抜いて膨大であり、専門の研究者であっても、そのごく一部しか読んだことがないというの実情だ」とのことですが、これはすごい。なんというか目眩がするというか。しかし、アウトプット量よりも気になるのは、年代的にみておそらくは羊皮紙に書いたのであろうと思われるが、羊皮紙の値段も凄かったであろう。それだけの羊皮紙、手に入ったのは、フリードリヒⅡ世時代のイタリアだったからか。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 04:23 PM | comments (0) | trackback (0) |
荒木慎也(著)『石膏デッサンの100年 石膏像から学ぶ美術教育史』読了
荒木慎也(著)『石膏デッサンの100年 石膏像から学ぶ美術教育史』読了

昨年アトリエラポルトさんにお邪魔したときに、大変面白いとお薦めされた本ですが、ようやく読みました。確かにこれは面白いです。特にちょっと前の世代で美大受験を経験していると、漠然といろいろ疑問に思っていた事柄が明らかになったり、あるいはそうならないまでも、それなりに明文化されてすこし気分がよくなります。ちょっと内容についてコメントしてみます。

かつて各国の美術館で、石膏像を展示するスペースがあったということ、というよりむしろ石膏像展示がメインともいえるものだったというのは非常に興味深いところです。英国のヴィクトリア&アルバート博物館(これは大英博物館に匹敵するぐらいの大きな博物館ですが)に古代ローマやイタリアルネサンス期、その他いろいろな時代の石膏像が展示されているスペースが今でも残っていますが、これは職人の教育などを重視した特殊な例かと思っていたのですが、実はこのような石膏展示室がヨーロッパとアメリカの大美術館にあったそうで、というよりまさに石膏展示をメインとしてはじまったようなところもあったとか。今のように気軽に海外旅行したり、映像で見たりすることができない頃には、そして古典古代が重んじられていた頃にはかなり有用だったことかと思います。ちなみに個人的に現在、新古典派についての本を読みあさっておりまして、その点でも語りたいことは山ほどあるのですが、それは置いておくとして・・・

日本の美術教育ということになると、工部美術学校で行われた石膏デッサンは、今日の洋画系でよく使う木炭ではなく、擦筆によるデッサンだったとか、そして作例の写真が掲載されていましたが、これは現代の写実画家養成向けとして復活できそうな要素かもしれません。模写→石膏デッサン→静物や人物デッサン、の流れは理にかなってますよね。使われる用紙の大きさに統一性がないというのもいいのかもしれません。予備校生みたいに職人芸みたいに石膏デッサンできるようになるくらいやってしまうと明らかにおかしいけれども、頭像、胸像、全身像みたいな流れで5~6枚くらいやるならとてもいいんじゃないかと。ま、それは余談ですが。その後、東京美術学校の洋画科では、黒田清輝指導の元、木炭が道具として使われますが、今日見る木炭デッサンとは真逆の性向である、線を重視したデッサンであり、やはり作例が載っていましたが、スカスカに見えて、今の目で見るとこれになんの意味が、思ってしまわないでもないのですが。なお、昔から美術学校の入試向けの美術研究所はあったようですが、東京美術学校の先生が指導していたそうなので、連続した感じの指導になっていたかと思うと、なかなか魅力的なところはなきにしもあらずです。ところで、我々は予備校のことを研究所って呼んだりしてますが、研究というたいそうなものじゃなくて受験準備がメインなのに、なんて研究所って呼ぶのでしょうかね。

それからだいぶ後になりますが、安井曾太郎が東京美術学校で教鞭を執ることになり、安井曾太郎のデッサンは非常に有名ですが、あのような暗い背景に人物が浮かび上がるような迫力あるデッサンがブームとなったと。構図も紙に目一杯石膏像を描くという、現在見る構図の石膏デッサンになってゆく。私はある程度木炭になれてからは背景を塗りつぶして、白い石膏像が浮かび上がるかのような感じで描いていましたが、それは予備校の先輩でそういうふうに描く人がたまに居て、それがたまたま非常に上手かったということもあって、感化されてそうしていたというものだったのだけれども、これはもしかしたら安井曾太郎の指導が、巡り巡って東北の高校生にまで影響した結果だったのかもしれません。今思うとそうだったのだろうと。安井曾太郎のデッサンを知るのは大学生になってからでしたが。

石膏デッサンの是非はともかくとして、私は胸像だけではなくて、全身像の石膏デッサンをやらないと修業として片手落ちなのでは、というのは昔から思ってました。同じような考えはやはりあったらしく、大学や予備校で全身像の石膏を用意する試みは一応行われたことを本書で知りました。ただ、結局それらは活用できずに終わった模様です。なんとしても必要だと思って集めてみたものの、実際には使わずに終わるというのは石膏に限らずよくあることですが、油画1年のカリキュラムにあっても良さそうなのですが。予備校で胸像やってたのをまたくり返すよりは。

さて、もうひとつ外せない話としては、東京芸大の受験改革で、油彩を一次にしてデッサンを二次にするという配置を行なったところ、予備校が受験対策の為の油彩技法、乾燥剤を多量に入れたり等、短時間で描き上げる技法を競って開発し、むしろ美術教育上大きな害をもたらす結果になったという件ですが、むしろこちらの方がよく分析されるべきかと思われます。今更ですが。個人的には石膏デッサンになにか恨みとか弊害みたいなものはそんなに感じず、自分だけでなく、同じ油彩系に進んだ同級生の間でも、石膏デッサンのせいで個性が抑圧されたとか、そんな話は私は聞かなかったというか、我々の世代の頃はそういう論争は終わって、とりあえず割り切ってる感じはあったと思うのですが、それと違って、油彩画を制作するときに予備校時代の変な癖が抜けないというのは散々聞きました。脱するのに10年かかったとか。ただ、いずれにしても、倍率が40倍超えとかになってしまったら、どのような受験方法を採用してもいろいろ矛盾が出てくるのは仕方ないような気も。倍率5倍くらいなら、ちょうどよかったんでしょうけれども。

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映画「天使と悪魔」から見るバロック芸術 #1
バロック様式とは建築物にその特徴が顕著に表れており、さらに建築物に留まらずに、広場や道路などの構想も含めて、その辺がジャンルとしては本流ではなかろうか。というか、別にバロックに限らず、ほとんどにおいて西洋美術史は建築史みたいなものではなかろうか。日本の教育では、とくに義務教育の美術の授業が、あるいは美術の先生の関心が絵画偏重気味な傾向がある為に、その辺が理解されていないのではなかろうか。

という疑問を元に、以下バロックについて語る動画の続編が始まります。

[Medici] 映画「天使と悪魔」から見るバロック芸術 #1


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