顔料 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) [コメントする]

顔料 (5)」からの続き。


顔料 (6)


高松塚古墳の青龍等の顔料「ラピスラズリ使用」説のその後 3

miyabyo さんのコメント
 (2008/01/18 04:02:59)

訂正

≪壁の絵は国宝でしかも非破壊的方法は取れないとしても、剥がれ落ちて泥にまみれた残遺は、調べられるはずです。その結果顔料ラピスラズリが同定されれば、「直ちに大方の賛同は得られないかもしれないが、可能性は認められてしかるべきであり」といった、およそ科学的分析の報告にあるまじき表現をせずとも済むはずです。≫

----------------------以上「タイムカプセルとしての絵画」より転載-----------------------

の中の、
≪壁の絵は国宝でしかも非破壊的方法は取れないとしても、≫

≪壁の絵は国宝でしかも破壊的方法は取れないとしても、≫
です。



 さて、前回では、『国宝 高松塚古墳壁画』文化庁監修 中央公論美術出版 2004の中で、顔料ラピスラズリと高松塚古墳壁画の青龍部分の分光曲線写真を併載して、顔料ラピスラズリ使用説を報告された城野誠治氏ご本人のその後の連名論文で、その説について一言も触れていないということから、事実上の撤回らしいという新聞報道につながっていることを書きました。


     では、鉱石ラピスラズリが日本で顔料として使用された可能性はまったくないのか?


●原石ラピスラズリが顔料として使用された可能性について

以前、こちらの他のスレッドで、顔料ラピスラズリが使用された可能性の一つとして1600年前後を一例としてあげました。
その後、「修復家の集い」で、いまひとつの可能性を挙げておきました。

「高松塚古墳壁画損傷問題」への投稿「所感 高松塚古墳壁画損傷問題」(投稿日時: 2006-9-27 3:31 )

そこで、次のように書きました。

≪特に、顔料ラピスラズリの使用は、その原石を板状に加工して装着された紺玉帯が正倉院に残っており、また、「筑後國正税帳」(『正倉院文書』) に、天平10年(738)7月11日に大政官に依り
「紺玉漆伯壹枚、直稲肆拾壹束壹把捌分」
つまり、紺玉七百一枚を、稲四拾一束一把八分の対価で買上げて九州から大和に送ったことがわかる。これは、聖武天皇時代(701-56年 在位724-49年)のことで、高松塚古墳の成立と推定される年代よりのちのことではあるが、701枚ものラピスラズリがどうなったのかということの可能性として、顔料への転用も視野に入れていたために、なぜ、こうした貴重な舶来品が、701枚も、大和ではなく九州にあったのかということも併せて、私としては非常に注目していたことでした。≫



ここで少し整理しておきます。

1.鉱物として日本で採れた事実はあるのか?
  ない。
  昭和20年代?でしたか、記録によると、一度採れたという報告があったようですが、
  後日誤りであることがわかっています。

2.江戸時代以前に顔料として輸入された記録はあるのか?
  現時点では、そうした記録を発見したという報告はない。

3.出所は不明でも、実際に顔料ラピスラズリを使用した美術品は日本にあるのか?
  突然変異のようにして高松塚古墳壁画での使用が示唆されたが、現在はその説が撤回されたため、一点も使用例がない。

4.どのような形であるにせよ、鉱石ラピスラズリを使用した美術工芸品は日本にあるのか?
  ある。正倉院に3点残されており、中倉にある「紺玉帯」、北倉にある「平螺鈿背円鏡」、南倉にある「犀角如意」の3点。
  また、興福寺で数個紺玉(5を参照)が出土している。
  この他にラピスラズリを用いた美術品が断片として残っているかどうかは不詳。

5.鉱石ラピスラズリを示すと認定できる文字を含む古文書は日本に残っているのか?
  残っている。
「紺玉」(かんぎょく)(こんごく)がそれです。

  下に、西暦747年の大安寺の財産目録と、738年の筑後国の収支報告書である「筑後國正税帳」より、該当箇所を転記しておきます。  

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」(だいあんじがらんえんぎ ならびに るきしざいちょう)
撰述日 天平19年(西暦747年)2月11日付
記事
(中略)
合雑物貳拾捌種
 全金玉参丸[重二両]   銀玉玖丸
 銀鎖壹條 [長一尺三寸] 銀爵壹枚
 餝銀壹文         銀髪刺参
 銀烏敏壹         銀墨研壹
 玉旦併恩        金泥杖壹枝
 金泥鐃陸枝        鏡臺肆足
 画亀甲枕壹        浅香礒形壹[在白鑞鳥三重一斤六両]
 牙口脂壷貳拾壹合     牙爵拾枚     
 位冠貳拾捌 [赤]    鏡懸絲壹拾参條
 赤糸組壹條 [長四丈六尺]水精玉壹佰貳拾壹丸
 白玉壹佰参拾伍丸[一如椹實] 白玉水精青王(玉カ)■等玉壹■
 玉貳貫[一全金白玉水精紺玉等 一白玉紺玉等] 青玉玖佰壹拾伍丸[以上佛物」
 紺玉肆佰肆丸[佛物八丸 通物三百九十六丸] 縹玉壹■[重五両二分]
 又縹玉伍佰丸 [以上通物]宍色菩薩天冠銅貳枚
(中略)
出典
『大日本古文書』2(624〜662頁の内645〜646頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)



「筑後國正税帳」(『正倉院文書』)
撰述日 天平10年(西暦738年)
記事
依太政官天平十年七月十一日符、買白玉壹伯壹拾参枚、直稲漆拾壹束壹把壹分、
 紺玉漆伯壹枚、直稲肆拾壹束壹把捌分、
 縹玉玖伯参拾参枚、直稲肆拾漆束漆把捌分、
 緑玉肆拾貳枚、直稲参束壹把漆分、
 赤勾玉漆枚、直稲壹拾陸束捌把、
 丸玉壹枚、直稲壹把貳分、
 竹玉貳枚、直稲参把肆分、
 勾縹玉壹枚、直稲壹束捌把、
出典
『大日本古文書』2(146〜149、149頁)(『正倉院文書』正集43)

(以上 東京文化財研究所HP「彩色関係資料データベース(語彙・史料篇)」より)
※但し、「筑後國正税帳」については、「紺玉」ではヒットしないが、それ以外の「白玉」「縹玉」などで検索するとヒットする。
 


「大政官に依る天平10年7月11日の符(公文書)、白玉113枚を、直稲71束1把1分で、‥‥(紺玉〜勾縹玉)‥‥買。」
で、各玉類は以下の対価で入手している。

白玉113枚  直稲71束1把1分   真珠(真珠の別称「鮑玉」「鮑珠」。「白玉」は時として「水晶」を示す場合もある)
紺玉701枚  直稲41束1把8分   ラピスラズリ
縹玉933枚  直稲47束7把8分 瑠璃(淡い青色ガラス)
緑玉42枚  直稲 3束1把7分  おそらく緑色の瑠璃(ガラス製)
赤勾玉7枚 直稲16束8把     赤瑪瑙?赤珊瑚?
丸玉4枚 直稲 1把2分   球状 ガラス玉?
竹玉2枚 直稲 3把4分   竹管形で竪に孔を開けたもの
勾縹玉1枚 直稲 1束8把     ?上記の縹玉を勾玉にしたものと解すると高すぎる (こうひょうぎょく)
(※もともとの「筑後國正税帳」は、この後も列記されていたものと思われますが、裁ち紙片のため以下がない。当時は紙が貴重品であったために、本来の目的を終えて一定の期間が過ぎたものを再利用するに当たり、適当な大きさに裁断された。その再利用されたものが一時的に正倉院に保管され、その後天皇の命がない限り開倉を許されなかったために、はからずも長く人の目に触れることもなく、断簡として残った。)


二例の古文書からいえることは、顔料として使う気になれば、少なくともその素材が日本にはある程度あったという事実です。

ようはそれが顔料として転用されたのか、という可能性が、今後のひとつの指標になるのではないか。
仏具としての数珠にしたり、身分をあらわす紺玉帯に使われたことは想像に難くないのですが、貴重品であった紺玉が何に化け、そして今そのほとんどがなぜ伝わっていないのか?ということも含め、考古学の今後にも期待したいところです。


天然ウルトラマリンの抽出(2)

管理人 さんのコメント
 (2008/03/06 12:28:46)

Webで国会図書館の検索をしていたら、昨年の金沢美術工芸大学紀要に天然ウルトラマリンの抽出(2) が掲載されていたようです。
(1)は、以前国会図書館に行ったときに読みまして、大変勉強になりました。
というわけで、(2)も早速複写の申し込みをしました。
既にご覧になっている方いらっしゃいましたら、ご感想など聞かせてください。


miyabyo さんのコメント
 (2008/03/07 05:58:04)

金沢美術工芸大学紀要 は、以下のところで無料公開されていますよ。
Cinii
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN10065145_jp.html

No.70(2006)天然ウルトラマリンの抽出1(平成十七年度共同研究報告) pp.120-111
No.71(2007) 天然ウルトラマリンの抽出 2 pp. 66-56.




感想

この論文では、チェンニーノの処方(他国の再現論文や実験論文の多くが利用している)に基づいているわけですが、以前にも書いたことがありますように、チェンニーノの使用した「松脂[ragia di pino]」が実際は何であったのかについて疑問を持っているのです。

私は、チェンニーノの処方、ボローニャ手稿にある様々な処方、ド・マイエルン手稿の処方、ノーゲートの処方等、結構たくさんやりましたが、中でもド・マイエルン手稿のMs.68の処方が一番多い。
チェンニーノの処方でやった時の感想は、まず、「松脂」をコロホニーで実施した場合、他の処方と比較してかなり固いパテになり、取扱いが少し面倒だと感じた。何度かやっているうちに、バルサム状態で使用したのではないか、と考えたのです。

ちなみに、この論文でも他の諸国の論文と同様「松脂」はコロホニウム(ロジン)としてあり、なぜそのように断定しうるのかというところがひかかりますね。

疑問の発端は、実際に他の処方と比較して実験したことにあるのですが、仮に、論文で説明してある「テレピン油を除いたのちの樹脂」(p.118)であるとするなら、実はちょっと困ったことになる。
つまり、現時点では、テレピン油がいつごろから使用されていたのか、まだその上限が判っていないのですが、チェンニーノの使用した「松脂」が「テレピン油を除いたのちの」コロホニウムであるなら、いきなり1400年頃にはとっくに使用されていたということになるからです。
ファン・エイクの絵にはテレピンを含まないビヒクルが用いられたようだ、というのが一般論としてあるのですが、ほぼ同じ時期のイタリアではテレピンが抽出されていたことになる。

チェンニーノの処方で「松脂」をコロホニウム(ロジン)として実験するということは、チェンニーノの時代にテレピンが使用されていたことを暗に肯定しているということになりかねない。

はたして、それでいいのか?多分に、誤解の素です。


2006年度に目黒区美術館で実施された講座「ワークショップ「ウルトラマリンブルーをつくる」に参加された方からいただいた情報では、チェンニーニの松脂についての言及はなく、「松脂」は「銅版画用などで入手できる種類」という説明であったということですから、コロホニウム。また、コロホニウムのみのものだけでなく、コロホニーをほぼ同量のテレピン油で溶解した液体も用意されていたということでした。

「例えば、チェンニーノ・チェンニーニの『Il libro dell’arte』のCapitolo LXIIにウルトラマリンの作り方が述べられていますが、そのときに使用するパテの材料に、Ragia di pinoがあります。
トンプソンは、自ら英訳した書『The Craftman’s Handbook』では、pine rosin[p. 37]とし、その後に出版された『The Materials and Techniques of Medieval Painting』では、pine turpentine[p. 147]に変更しています。このpine rosinはcolophonyのことで、テレピン精油を抽出した後の滓です。一方pine turpentineはテレピン精油が採取できるマツ一般を示します。

●Cennino Cennini, Il Libro dell'Arte, Vicenza: Neri Pozza Editore, 2003.

でも用語解説の部分に≪それは種類の異なるマツから採取された生樹脂であり‥‥≫とある通り、トンプソンが修正した方が正しいわけです。私もラピスラズリの抽出を始めた当初は、トンプソンの『The Craftman’s Handbook』にしたがってコロホニーを使用してみましたが、パテが非常に硬く仕上がりが実際的でなく、これは材料が違うと結論付けていました。(イタリアの画術書で)コロホニーという語が最も早く使用された例としては1425-50年頃とされる『顔料の秘密』(通称『ボローニャ手稿』)においてで、仮にこれがテレピンを抽出した滓であるとするならば、この頃テレピンを使用した可能性が出てくるのですが、まだはっきりしていない。ただし、レオナルド・ダ・ヴィンチは使用したらしいとの意見もあり、絵画史上テレピン精油が使用されたのは1450年を境にしたあたりということになるのかもしれません。
ドイツで行われたチェンニーノ・チェンニーニの処方によるラピスラズリの抽出実験では、Ragia di pinoをヴェネツィアテレピン・バルサムと理解してパテを作っていますが、これは妥当な材料のひとつであると思っています。」
(情報を頂いた方との交信記録より)


「画術にまつわる文献」でもご紹介した
ディオスコリデス『薬物誌(デ・マテリア・メディカ)』(紀元50〜70年)
には、小アジアのイオニアの海辺に近い古都市コロフォンから運ばれてきたことがあったのでその異名があると記しています。

ロジンの作り方は、
フルナのディオニュッソス『ヘルメネイヤHermeneia』(18世紀前半完成)
で簡単に触れていますが、現在でも、テレピン成分を飛ばして作る弦楽器の滑り止めも、同様の方法で煮て型に流し込みます。

つまり、かなり昔から、ロジンは作られていたわけですから、
「テレピン油を除いたのちの樹脂」(p.118)は、
「テレピン成分を太陽や火による加熱で揮発させたのちの樹脂」
と解説しておく方が至らぬ議論に抵触しなくて済むのではないか?


とはいえ、Ragia di pino=コロホニウムという前提でのみの実験は少々片手落ちだろうと思う次第です。
日本では貴重な報告であるだけに、少し残念です。


管理人 さんのコメント
 (2008/03/07 20:19:17)

> 金沢美術工芸大学紀要 は、以下のところで無料公開されていますよ。

そ、そうでしたか。。。



P.118はちょっと長めに引用すると、
「個々の成分について概略を述べると、松脂はマツ科の樹幹から分泌する、樹液のテルペンチンを水蒸気蒸留し、テレビン油を除いたのちの樹脂で、コロホニウムまたはロジンとも言う。・・・」ですが、

チェンニーニの時代の場合は、水蒸気蒸留などの方法で除いたものではなくて、もっと原始的な方法でテレビン油を揮発させたものだろうということでしょうか。


「天然ウルトラマリンの抽出」の問題点

miyabyo さんのコメント
 (2008/03/08 02:08:17)


≪> 金沢美術工芸大学紀要 は、以下のところで無料公開されていますよ。

そ、そうでしたか。。。≫

はい、そうなんです。先に聞いてくれたらお教えしましたのに。
といいますか、実は「画術にまつわる文献」の中でも入手先の一つとして既に挙げておいたのでしたが。
今回は残念でしたね。

Ciniiは有料と無料が混在していますが、日本の大学から出されているものは、ひとまずここをチェックすると、よろしいかと思います。


引用部分は、私もこの論文読んでない人には短すぎてわかりにくいかなと、気になっていましたので、フォローを感謝します。


ご質問の件ですが、前提がちょっと違います。
チェンニーノ・チェンニーニの時代にテレピン精油が使用されていたかどうか自体が、現時点でははっきりしていない。
古代ギリシャのほうでも当時既にテレピン精油の存在には気づいていたがその利用法をよく知らなかった。
又、中世のヨーロッパの錬金術師たちには、蒸留法はアラビアの技術の恩恵で知ってはいたが、それがどの時期に含油樹脂からテレピン成分(テルペンチン)を抽出する技として用いられたのか、はっきり特定できていない。


北方のファン・エイクの画術を考える場合に、単離したテレピン精油を用いたのではなく、含油樹脂に含まれるテレピン成分をそのまま利用したと理解する研究者が多い。
例えば、ローリーによれば、
北方で用いられたシュトラスブルグ松脂は、
「およそ57%の樹脂酸、28%のテルペン類及び13%の樹脂」
また、主にイタリアで用いられたヴェネツィアテレピンバルサムは、
「およそ63%の樹脂酸、20%のテルペン類及び14%の樹脂」
と成分分析をしていますが、
この天然に含まれる「テルペン類」の作用も加わって絵具の延びを助けた。

以上のような経緯があり、非常に微妙な時代の処方であるわけです。
従って、安易に「松脂」だから固形の「コロホニー」と理解して処方を再現するのは、ちょっと問題あり、なのです。
単に、ラピスラズリの原石をパテを用いて顔料化するだけの実験なら看過できるのですが、チェンニーノの処方を全文にわたって解説しながら実験しているわけですから、時代背景も考慮に入れる気配りもしてほしかった。


一般論としての「松脂」の解説としては

「松脂はマツ科の樹幹から分泌する、樹液のテルペンチンを水蒸気蒸留し、テレビン油を除いたのちの樹脂で、コロホニウムまたはロジンとも言う。」

で問題はないのです。ただ、チェンニーノが処方で用いた「松脂」の解説をしているのですから、それをいきなり、あたかも蒸留器を用いてテレピン成分を単離した残り(コロホニー)を用いたのだ、となれば、じゃあチェンニーノは希釈剤のテレピン精油を用いて描いたのか、ということになる。

そのようなことを誰も証明していませんし、それを示唆する論文のない今は、それはあまりに大胆な珍説になってしまう。

さらに、この1.2の論文には、パテについて、「硬い」という言葉が何度か出てきます。
「硬かったため、灰汁の温度を高めにし‥‥」(No.51,p.62)
そして、灰汁の温度を53〜50度の範囲で実施されています。

これは、設定温度が高すぎます。
というより、含油樹脂、又はテレピン精油2:コロホニー8で溶解させたものを使っていれば、少なくとも10度ほど灰汁の水温を下げて実施できたはずです。

この温度設定には、特に『ボローニャ手稿』が参考になります。
基本は常温の水で実施すること。それでは抽出し難い場合は徐々に水温を上げていく。
どこまで水温を上げるかの上限は、
「手を入れて我慢できる程度に温かい灰汁」
(この処方は、実際にはアズライトについての処方にあるのですが)

具体的には45度あたりで、これは実際に水温計を入れてやるとわかります。
少なくとも昔の人は、50度以上では実施していない。我慢比べをしながら実施したわけではないのですから。
これが私の根拠です。


ひとまず導入部ということで、問題点を数点挙げました。
それはそれとして、この「天然ウルトラマリンの抽出」論文は、顔料ラピスラズリに興味のある方には、是非読んでいただきたいと思います。



【番外コメント】

私はこの論文の中で、一箇所にんまり笑ってしまいました。

「チェンニーニをはじめ、多くの記述者たちは、最初の青がもっとも色が良いと述べているが、六回にわたり、10個のパテで抽出を実施した限り,二度目から四、五度目の抽出物の色がもっともよく、最初の青は、もとのラピスラズリ粉末の色より、やや良いていどであった。」(No.50,p.115)

まさしく、そうなのです!
必ずしも最初の抽出物が最も良いとは限らない。私も典型的なサンプルをつくるのに苦労したことがあります。
特に、同じラピスラズリ粉末を繰り返し実験に晒すとそうした現象になることが多かった。

管理人さんさえよろしければ、もう少しこの顔料ラピスラズリの件話しませんか?


管理人 さんのコメント
 (2008/03/09 15:46:11)

> といいますか、実は「画術にまつわる文献」の中でも入手先の一つとして既に挙げておいたのでしたが。

そういえば、そうでしたね。
もったいなかったです。


さて、先ほど、天然ウルトラマリンの抽出(2)の方を先ほど読んだところです。(1)はかなり衝撃を受けましたが、(2)は手揉みと棒搗きでの抽出で違いなどが中心ということで、ウルトラマリンの抽出とは縁のない身には、前回ほどの感動はありませんでしたが、でも素晴らしい研究ですね。

個人的には、チェンニーニ以外の抽出方法についても、このようなまとまったテキストを読んでみたいです。


> 管理人さんさえよろしければ、もう少しこの顔料ラピスラズリの件話しませんか?

まったくかまいません、私が聞き手になれるかどうかは自信ありませんが。
論文に関する続きでもよいですが、リクエストとしては、そうですね、ノーゲートのお話でもどうでしょうか。

Jeffrey Muller and Jim Murrellの本では、本文がP.97〜 解説がP.190〜 ですか?


「天然ウルトラマリンの抽出」から鉱物の和名について

miyabyo さんのコメント
 (2008/03/10 11:38:29)

管理人さんのリクエストされたノーゲートのP.97〜 98.
An Excellent Receipt for the making of Ultramarine

The Pastill
の項についてですが、

この処方を述べる上でも(どの処方でもいいのですが)、処方に用いている材料について検証しておかねばならないことがあります。

絵画材料・技法史的観点から単に知識として知っておくというのではなく、実際に顔料として使ってみようという現場から過日の処方を捉える時、避けて通れない問題がいくつか出てきます。

結果として良い顔料になりさえすればよいというのであれば、私はもっと良い現代的な処方も知っていますし、過日の処方に近い形をとりつつ現実的にアレンジした処方も知っています。いずれも私固有の処方ですが。
この後者の方法は、既にこちらのサイトで結論だけ紹介したことがあります。
顔料ラピスラズリに関する具体的な処方(文献)としては、一般的に入手しやすいところではチェンニーノから1600年代のド・マイエルンやノーゲートまでの処方があり、比較的稀観本としての1700年代半ばのロバート・ドッシーの処方があります。
つまり、上で私のいう「現代的な処方」や「アレンジした処方」とは、歴史的処方を人工ウルトラマリンが登場するまでものと規定して(歴史的役割の終焉)、それまでに用いられてこなかった材料で実施することを示すわけですが、それをここで縷々話すつもりはありませんので、この件は悪しからず。

で、先に進めますが、今回話題のきっかけとなっている「天然ウルトラマリンの抽出」の報告書も、過日の処方を検討しつつ実践に使用できる処方を探ろうとなさっていると思うわけです。

その姿勢は、
「天然ウルトラマリンの抽出2」(No.51,2007)の報告の冒頭にも示されています。
私も挙げた目黒区美術館のワークショップ「ウルトラマリンブルーをつくる」も例に挙げ、チェンニーノの処方を拠り所としているにも拘らず、「とりわけ二つの点を変えて実施していることが多い」として、「ひとつ目は、その量である。‥‥さらに、少量のテレピンを加えてパテ作りを実施していることである。」と書かれているわけです。
少量のテレピンを加えるというのは、チェンニーノの処方にない、にも拘らず処方を変えて実施している、ということを指摘されています。
(そして、当座の話題には挙げませんが、二点目として、チェンニーノの処方にある棒を使わずに手を使っていること)

「少量のテレピンを加える」ことは確かにチェンニーノの処方には明示されていないのですが、「松脂[Ragia di pino]」が固形でなく、流動性のある含油樹脂(オレオレジン)であるという解釈で実施するとなれば、簡易的な手段として固形の松脂にテレピン精油を加えるということは、費用的観点からも首肯できるし、その投入量が適正範囲であるならまったく問題はない。

うーん、こうやって書き出すと
‥‥やはり、ノーゲートの前に、「論文に関する続きでもよいですが」の方を先にしておきましょうかね。

≪チェンニーニの時代の場合は、水蒸気蒸留などの方法で除いたものではなくて、もっと原始的な方法でテレビン油を揮発させたものだろうということでしょうか。≫

このご発言の前提には、チェンニーノの時代にテレピン精油は既に使用されていたのだろう、ということがあろうかと思いますが、私は、それを前提にするには判っていないことがまだ多いので、その考えから出発する議論には慎重でありたいということをお伝えした上で、私なりの解釈を前回述べました。



チェンニーノが生きていた時代に限らず、固形のコロホニーという商品は古代からあったし今も染料染色材料店にいけば簡単に入手できるわけですが、それは、「樹液のテルペンチンを水蒸気蒸留し、テレピン油を除いたのちの樹脂」ではなく、樹脂のみを利用するために、不必要なテルベンチンを天日干し若しくは加熱除去し乾燥させた樹脂でした。
ただし、ある時期以降は、そのようなもったいない作り方はしませんが。


ひとまず、今回話題にしている研究報告書にあるいくつかのトピックスを挙げますと、
1.パテ成分中の「松脂」を「樹液のテルペンチンを水蒸気蒸留し、テレピン油を除いたのちの樹脂で、コロホニウムまたはロジンとも言う。」としている。

2.パテの効能として「パテに含まれている樹脂や蠟は、灰汁(炭酸カリウム)によって鹸化され、それが界面活性剤として作用し、かつラピス・ラズリのなかの青色成分(ラズライト)が、白色あるいは灰色部分に比べ、樹脂−蠟の混合物との接着性が悪いため、青色成分が先に抽出されるものと考えられる。」(No. 50, p. 116)と説明している。

3.灰汁の温度は「このパテを適度の柔らかさにするには、およそ三十五〜四十五度くらいが良い ‥‥中略‥‥ 高めでも、40〜47度くらいが適当のように思われる。」(No. 50, p. 116)

4.抽出にはその灰汁の濃度が重要だとして、「きわめて良い青を抽出するには、おそらく0.15〜0.25%くらいが適当ではないかと推測される。 ‥‥中略‥‥ とりわけ良い品質のものにこだわらなければ、0.25〜0.35%の灰汁でもよいと思われる」(No. 50, p. 116)と述べている。

5.抽出された顔料ラピスラズリのグレードについては、
「チェンニーニをはじめ、多くの記述者たちは、最初の青がもっとも色が良いと述べているが、六回にわたり、10個のパテで抽出を実施した限り,二度目から四、五度目の抽出物の色がもっともよく、最初の青は、もとのラピスラズリ粉末の色より、やや良いていどであった。」(No.50,p.115)


これらの情報は、これからやってみようとする方には非常に貴重な実験データとなることと思います。
私が2回のレスで採り上げたのは、その中の1,3,5でした。
中でも、3では「およそ三十五〜四十五度くらいが良い ‥‥中略‥‥ 高めでも、40〜47度くらいが適当のように思われる」としながらも、「パテE」の実験のように灰汁を50〜53度、「パテF」では53〜57度まで上げるという、異例の水温にすることになっているわけですが、実際にパテを使った抽出の経験のない方にとっては、「異例」とは気付かないでしょう。

変な例えですが、食器洗い乾燥機の水温は60度です。
「殺菌」というと100度での煮沸、と思いがちですが、60度で数分以上洗浄すると大方の菌は死滅するという実験結果と共に、水温が高ければ更に効率よく死滅するものの、60度以上になると、洗浄液を用いていても皿にこびりついている油分がとれなくなって、かえって皿に油分がコーティングされてしまうという実験結果もあることが、60度に設定した理由なのだそうです。
そのような温度に迫る「53〜57度」で昔の人がパテを手揉みしたのかどうか考えてみてください。まさかの、高温水でやるために棒を使った、とすれば本末転倒でしょう。「50〜53度」「53〜57度」は実験のための実験であって、昔日の想定しうる範囲での実験ではありえない。

異例といえる灰汁の水温の根本の原因は何なのか?
それは、パテが「硬い」状態なので、パテを軟化させ抽出しようとした結果であるという相関関係があり、その主たる原因は、「松脂」を固形のほうを選んだ結果である、と私は考えているのです。

これは、私の1987年当時の実験結果(といっても45度以上は切り捨てましたが)でもありました。


ところで、この研究報告書の「天然ウルトラマリンの抽出1」の「はじめに」で

≪ラピスラズリは、‥‥中略‥‥和名は瑠璃である。青色の主体は青金石または藍方石(ラズライト)である‥‥≫

と書かれてあり、管理人さんも顔料解説の方で和名について書かれていますが、率直にどのように認識されていますか?

鉱物・宝飾、美術一般、修復保存・考古学、等もろもろの専門家の著書から日本、中国、韓国の様々な素人HPまで、まず挙げられているのが「瑠璃」「青金石」の二語なのですが。

これをお読みの皆さんも和名について思うところを書いていただくと嬉しいのですが。

このあたり次回話が広がればと思います。
それと、ノーゲートの何について話題にしましょうか?


顔料 (7)」へ続く。


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