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顔料 (2)」からの続き。


顔料 (3)


ラピスラズリとウルトラマリン

キテレツ さんのコメント
 (2003/06/20 01:13:20 -
E-Mail)

Miyabyoさん、ご返事ありがとうございます。
当初Miyabyoさんへのご返事は直接メールする予定でしたが、私だけではなく多くの方が興味を持たれているのではないかと思い再度こちらで書かせていただきます。また私のメールアドレスもアップしておきますが、Miyabyoさんがご苦労と時間をかけ作り上げた論文の一部である顔料見本を一方的にみせていただく事に関し恐縮してしまいます。

現在私はフランスに住んでおり活動の拠点はフランスのパリとイタリアのフィレンツェです。ゆえに先に書いた事柄は日本ではなく仏伊での事ですのでご了承願います。 

【ラピスラズリ、天然ウルトラマリン、人工ウルトラマリンの違い】
> ところで、邦訳されたクヌート・ヴェールテの『絵画技術全書』p. 230-231. には、わざわざ「ラピスラズリ」と「天然ウルトラマリン」とを分けて書いてあります。

ご指摘のよう、私が現在所有するものはラピスラズリですね。いつかはパテ処理したいものですが私が持つチェンニーニ本はイタリア語でして恐らく私自身正しく理解していないのでしょう。親切丁寧に書かれた日本語訳は存在するのですか? 簡単で効率のよいパテが作れたら最高なのでしょうが・・・

石の話ですがフランスは人工ラピスラズリにかけては世界一だそうです(宝石商曰く)、その金額も高価です。ご存知でしょうが「ギルソン社」が化学成分も同一で発色も素晴らしい人工ラピスラズリを作ってました(現在は知りません)。もしこの人工石を使用しパテ処理したものは人工ウルトラマリンなのでしょうか。ふと、疑問に思いました。また、一般的に売られる高価な人工ウルトラマリンはパテ処理はしてますか?

【ワインヴィネガーと水】
大変興味深く読ませて頂きました。記憶は定かではないのですが以前天然顔料の制作で「腐った(酸化した)白ワイン」を使うと聞いたことがあります。
水は日本のものと全く違います。こちらの水は石灰成分を多く含んでいるため鍋など空焚きしてしまうと底に石灰の層が溜まるほどです。Miyabyoさんの説明のよう昔は雨水を使用したのは頷けます。

【フェルメールとダ・ヴィンチ】
フェルメールの青はすべて天然ウルトラマリンなのでしょうか。オランダはもちろん2年前のロンドンナショナル・ギャラリーでのフェルメール展へ行って来ましたが人が言うほどの青を感じません。粒子の大きさも関係するのでしょうがハイ・グレードのウルトラマリンというよりウルトラマリン・グレーに近かったように記憶してます。それとも経年年数による変色なのでしょうか。また、まだ未だに観たことはないのですが、メーヘレンによるフェルメールの贋作も観たいものです。

話は顔料から外れますが、今週月曜日にルーブル美術館のダ・ヴィンチ展へ行って来ました。デッサンと習作がほとんどでしたがダ・ヴィンチファンには最高に楽しめます。私がチェンニーニのIL LIBRO DELL'ARTE 購入のきっかけもダ・ヴィンチでしたから必然性を感じます。


Re. ラピスラズリとウルトラマリン

Miyabyo さんのコメント
 (2003/06/21 01:56:06 -
E-Mail)

●≪100gで1,000円ー3,000円位≫
ラピスラズリの加工後の屑の価格からして、多分国外におられるのだろうとは思っておりました。日本では、屑であってももっと高いですから。

●≪フランスは人工ラピスラズリにかけては世界一だそうです(宝石商曰く)、その金額も高価です。ご存知でしょうが「ギルソン社」が化学成分も同一で発色も素晴らしい人工ラピスラズリを作ってました≫

ギルソン社が作っている高度なイミテーションは知っていましたが、個々のアイテムまではりませんで、人工ウルトラマリンではなく人工ラピスラズリですか。宝石商が言うからには、天然で見られる黄鉄鉱の金色までコピーしているのでしょうね?

●≪もしこの人工石を使用しパテ処理したものは人工ウルトラマリンなのでしょうか。ふと、疑問に思いました。また、一般的に売られる高価な人工ウルトラマリンはパテ処理はしてますか?≫

これは、天然と人工をどこで見分けるか、という問題に尽きます。
ただ、≪一般的に売られる高価な人工ウルトラマリン≫から作られた顔料?というのがどの商品のことなのか私は存じません。
現在販売されている普通の安価な人工ウルトラマリン(例えばターレンスのRembrandt Pigment Powder 504 Ultramarine)は、パテなど使っていなことはご存知だと思います。では、逆になぜ使用しないのでしょうか?

それは、鉱石ラピスラズリがいかなるものかを考えると、判ってきます。この鉱石は青の元であるラズライト以外に、黄鉄鉱、方解石、長石、等々が一体となった複合鉱石です。一般の人工顔料は、それらの中のラズライトのみのコピーです。そのために、人工ウルトラマリンを顕微鏡で観測すると、黄鉄鉱、方解石、珪酸塩、が存在しません(確かチリ産のラピスラズリには黄鉄鉱は含んでいなかったと思います。私が所持しているチリ産の鉱石はすべて含んでいません)。したがって、パテを使って分ける必然性も生じないのです。
また、結晶体そのものの形状が異なりますし、人工ものは数μしかなく、しかもその粒状度がほぼ一定であのウルトラマリン色ですから、容易に判別がつきます。

以上が一般論です。
これ以上は、実際に「ギルソン社」製を砕いて顕微鏡で見て見ないとなんともいえません。とはいえ、ラピスラズリは半貴石でさほど高価な石でもありませんから、開発のコストなどからして、粉砕した状態でも天然ものと同じような物質として見えるかどうかまで再現はできないのではないでしょうか?
この推測に従う限りでは、人工ウルトラマリンの域を出ないということになります。はたしていかに。

●≪親切丁寧に書かれた日本語訳は存在するのですか?≫
この顔料スレッドの4/16のレスで挙げてあります。この書が丁寧かどうかはわかりませんが、少なくとも中村彝の仏版からの重訳よりは格段良いように感じます。わたしは、トンプソンの英訳で読みました。今お持ちなのは染料科学史に造詣の深い化学者フランコ・ブルネッロが注釈したものでしょうか(1971年刊)? 邦訳に当たっては、ブルネッロの注釈が、次にトンプソンの書が、もっとも有益であったと、辻氏は書いておられます。

ブルネッロの『人類史における染色術』伊語1968年(英訳1973年)は、まだあまり読み進んではいませんが、実に素晴らしい本です。

●フェルメールの青
≪フェルメールの青はすべて天然ウルトラマリンなのでしょうか。≫

以下はヘルマン・キューンがミュンヘンのディルナー協会で、A. B. de Vries,“Jan Vermeer de Delft”, 1948. に挙げられている絵画35点中30点に対して行った研究(1968)に基づいています。

天然ウルトラマリン、アズライト、スマルト、インディゴが同定されています。

ただし、インディゴは作品≪マルタとマリアの家でのキリスト≫1点にのみ使用。
また、スマルトは、ほとんどが他の顔料との混色用として、又は濃い絵具層で見つかっている。
さらに、アズライトは天然ウルトラマリンの下層、又は鉛-錫黄などとの混色で緑色を作るのに使用されている場合が多い。

一方天然ウルトラマリンは、30点中25点で見つかっている。
薄暗い又は濃い青には天然ウルトラマリンのみで描かれていることがしばしば見受けられる。
そして多くの場合鉛白と混ぜて使用されている。

以上が、キューンの論文でわかることです。


≪人が言うほどの青を感じません。粒子の大きさも関係するのでしょうがハイ・グレードのウルトラマリンというよりウルトラマリン・グレーに近かったように記憶してます。それとも経年年数による変色なのでしょうか。≫

確かに、全体としてあまり濃いウルトラマリン色を感じません。それは、前回申し上げた粒径からも、顔料本来の色があまり濃くないことがはっきり判りますし、油での発色を極力良くするために鉛白を混ぜていますからなおさらであろうと思います。

ちなみに、キテレツさんがお持ちの顔料ラピスラズリは、≪粒状度: 試行錯誤の上、比較的粗い粒子に落ち着きました。指でつまんで擦った時にザラザラ感がない程度です。≫とのことで、おそらく15〜20μ辺りではないかと察しますので、多分油彩画用には十分な青さを引き出すだろうと思います。

大雑把に技法別の粒径を示しますと、油彩画≦写本彩飾画<テンペラ画<フレスコ画 というように順に大きいのだろうと推測しています。これは、イタリアの10〜14世紀の修復保存報告書を持っておりませんので、今のところ昔日の処方書から推測するのみです。


Re. ラピスラズリとウルトラマリン(訂正)

Miyabyo さんのコメント
 (2003/06/21 02:04:42)

どうもいけません。最近は訂正ばかりしています。

訂正
× 油彩画≦写本彩飾画<テンペラ画<フレスコ画

○ 油彩画≦写本彩飾画<テンペラ画<壁画(非フレスコ画)

です。


ラピスをフレスコ画に使用しない、はアイロニー?

Miyabyo さんのコメント
 (2003/07/13 00:48:34 -
E-Mail)

ラピスラズリをフレスコ画に使用しない、はアイロニー?


2003/06/18 のレスの中から
1.≪本来希酸にさえ弱いラピスラズリです(そのためにご存知のようにフレスコ画には使用しません)から、本当は使用しない方がせっかくの青みを脱色せずに済むはずなのです。≫

( )内の部分は、アイロニーか? というのが知人からのメールでした。

そして、フレスコ画に不向きなのはむしろアズライトの方ではないのか?というのです。

確かに、耐アルカリということでいえば、ラピスラズリは安定しているし、過去のフレスコ画(厳密に言うならブオン・フレスコ画)は、修復報告書でも「ウルトラマリン病」という問題はあるものの、その耐久性は証明されています。

つまり、フレスコ画に使用しない方が良いとされたのは、アズライト、それにマラカイトなどの銅系の鉱物顔料などの方で、ラピスラズリではありません。システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロの天井画は、その経験に則ってラピスラズリは使ってもアズライトは使用していない。一方、同時代のダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は漆喰の上に鉛白の下地層を置いてテンペラ画法を用いているために、アズライトもラピスラズリも使用しています(ただし、この方法は、あまりに実験的に過ぎ、更にその後の不幸も手伝って、見る影もなくぼろぼろですが)。

ただ、該当の箇所は、アルカリではなく、酸に関する話の部分であり、しかも現在形で書いています。過去どうであったかではなく、大気汚染が非常に問題となっている昨今、組成上ラピスラズリと同等の人工ウルトラマリンはフレスコ画に使用しないのです(少なくともその因果関係を知っている作家は)。

したがって、この( )内の情報は、アイロニーではありません。

より判りやすく書き直すとすれば、以下のようになります。

≪本来希酸にさえ弱いラピスラズリです(そのためにご存知のように、大気汚染が問題化している昨今、組成的に同じの人工ウルトラマリンは、フレスコ画には使用しません)から、本当は使用しない方がせっかくの青みを脱色せずに済むはずなのです。≫



2.≪ところで、邦訳されたクヌート・ヴェールテの『絵画技術全書』p. 230-231. には、わざわざ「ラピスラズリ」と「天然ウルトラマリン」とを分けて書いてあります。≫

これは、クルト・ヴェールテです。クヌートはクヌート・ニコラウスですね。この程度のミスは他にもありますが、ここは論文発表の場ではありませんので、免責願います。


ブルー・ヴァーディタ

管理人 さんのコメント
 (2004/09/18 19:48:25)

miyabyoさん、

オークの話ばかりでは何なので話題を変えたいと思います。質問なのですが、

2003/06/15
http://hpcgi1.nifty.com/cad-red/mie_bbs2/mie-bbs.cgi?s=80#4 にて、

> 8世紀頃の処方書『ルッカ手稿』や12世紀頃の『マッパエ・クラヴィクラ』には、人工青顔料の作り方が載っていて、
> その材料に使用されたのが銅を使ったものと銀を使ったものがありました

> (16世紀になって政治的事情からアズライトの供給がうまくいかずにいろんな銅鉱山を探すのですが、その一方で、人工青顔料の実験が盛んに行われました。
> やがてブルー・ヴァーディターやスマルトがパレットに現れることになります‥‥)

2003/06/15
http://hpcgi1.nifty.com/cad-red/mie_bbs2/mie-bbs.cgi?s=82#3 にて、

> 16世紀にはいると、オスマン・トルコの征服によってルーマニアのアズライト供給がうまくいかず、
> その人工顔料であるブルー・ヴァーディタや色ガラスの粉であるスマルトが開発されます。

ブルー・ヴァーディタが16世紀に開発されたとありますが、中世の人工の銅の青と、16世紀に開発されたブルー・ヴァーディタは違うものなのでしょうか。


補足

管理人 さんのコメント
 (2004/09/19 06:58:38)

よく読むと、16世紀に開発とは書いてませんね。
ブルー・ヴァーディターとは、銅から作った人工の青だと思いますが、トルコのハンガリー占領の後に画家のパレットに現れたというブルー・ヴァーディターと、中世の写本に出てくる銅から作る青とは、どれぐらい違うのだろうかという質問です。


Re.ブルー・ヴァーディタ

miyabyo さんのコメント
 (2004/09/21 02:04:29)

 その1.16世紀か17世紀か、それとも16世紀と17世紀か

> (16世紀になって政治的事情からアズライトの供給がうまくいかずにいろんな銅鉱山を探すのですが、
その一方で、人工青顔料の実験が盛んに行われました。

> 16世紀にはいると、オスマン・トルコの征服によってルーマニアのアズライト供給がうまくいかず、


16世紀当時アズライトの供給はルーマニアではなくハンガリーです、訂正しておきます。まったく単純なミスです。
何箇所かで訂正しておきたいところがあるが放ってある旨書いたことがありますが、その一つがこの産地でした。
ただ、以下書きますように、「16世紀」か/と「17世紀」かの問題も書かねばならず、それが面倒で放ったままでした。
放っておくのも掲示板ならではの良さと思っていた次第ですが‥‥

本題に入る前に、この件について書いておくべき時期に来たと思いましたので、しばらくお付き合い願います。

ハンガリーがオスマン・トルコに国を侵され、アズライトのヨーロッパへの供給が不安定になっていくのは、特に1526年のモハーチの戦いによる大敗北、そして1541年のハンガリーの属州化が深く関わっています(このことは後で少し触れています)。

この件に関わる比較的身近な文献『絵画材料事典』の90頁にはローリーの著書を例にとって、
「16世紀にはハンガリーが主産地であったが、17世紀の中頃ハンガリーがトルコに占領されるとこの絵具は画家のパレットから消えてしまった例がある。」(『事典』の原文でも17世紀中頃とある。但し、ローリーの原文は未確認)
と書かれていますが、アズライト&ブルー・ヴァーディタとラピスラズリの使用頻度を時間軸で見ていくと、大雑把に書きますと、

1500年頃〜1600年は、アズライト&ブルー・ヴァーディタの使用量がそれまでの消費量より減るのに対してラピスラズリが増える。
1600年頃〜1650年は、アズライト&ブルー・ヴァーディタの消費量が元に戻り、ラピスラズリは1500年以前の使用量よりやや減る。
1650年頃からは前者の消費量は激減し、後者のそれはしばらく激増する。
1700年頃には、前者の消費量は非常に少ないのに対し、後者のそれは激増状態を維持している。
1750年頃には、前者は状況変わらずで、後者は漸減していく。
一方、1700年頃発明されたプルーシャンブルーは1775年頃までには、青絵具の筆頭になっている。
(S.フレミング『美術品の真贋 その科学的鑑定』共立出版1980年37頁の図、及び、クヌート・ニコラウス『絵画鑑識事典』美術出版1988年110頁の図参照。但し、後者の図では、アズライトの項目にブルー・ヴァーディタも含むのか不明)

上記で、特に注意する必要があるのは、1500年頃〜1600年のアズライト&ブルー・ヴァーディタの使用量が減るその内訳です。
これはアズライトのみのことではなく、人工顔料のブルー・ヴァーディタを含んでさえも使用量が減っていること、しかもこの期間、ローリーの紹介によれば、ブルー・ヴァーディタを盛んに生産していたわけです(後述のハーリーの書でも述べている)。そうした開発があったにもかかわらず、昔日の処方の焼き増しなどが17世紀前半の『ド・マイエルン手稿』にも継がれています。

『絵画材料事典』の著者の一人ゲッテンスは、
●Gettens, Rutherford J / FitzHugh, Elisabeth West,“Azurite and Blue Verditer”, Studies in Conservation, vol. 11, No.2, IIC London, 1966, p.54.
(現在多少書き直してAshok Roy, Editor, “Artists’ Pigments – A Handbook of Their History and Characteristics”, vol. 2, Oxford University Press, 1993 に収められている)
でも、『絵画材料事典』とほぼ同様のことを言っている。

ところが一方で、

歴史的顔料に関する名著R. D. Harley, “Artists’ Pigments c. 1600-1835”,(2nd ed.) Butterworths Scientific, London, 1982.では「ハンガリーからの供給は、16世紀のトルコ侵入のため中断された、そして、それは決してすっかり回復することはなかった。」(p.47)とある。

また、当時の証言者として、『デ・レ・メタリカ』(1556)を著したゲオルグ・アグリコラ(1494-1555)がいる。
●Hoover, H. C. / Agricola, Georgius.“De Re Metallica”, Dover(1950) 638頁の大書です
これは、最近邦訳があることを知りました。
●『近世技術の集大成 デ・レ・メタリカ 全訳とその研究』三枝博音・山崎俊雄訳 岩崎学術出版社1968
私のメモから引用しますと、
「原本はラテン語、全12巻。ドイツ、ザクセン生まれ。ライプツィヒ大学卒業後(ギリシャ語を学ぶ)にイタリアに留学(医学・哲学)し、医者としてボヘミアの有名な鉱山町ヨアヒムシュタールに滞在して(1527-31年)、町医者をしながらこの採鉱・冶金技術を体系化した書を書く。1546年刊の『石の性質について』の書もある。ケムニッツに移っても研究を続けた。没後出版。彼は、オスマン・トルコ制圧により、ハンガリーの銅鉱山からアズライト供給が途絶えたことを伝えている。1526年のモハーチの戦いや1541年のオスマントルコによるハンガリーの属州化との関連」


以上の経緯を踏まえ、「16世紀になって政治的事情からアズライトの供給がうまくいかずにいろんな銅鉱山を探すのですが、」とやや脚色して書いたのでした。
したがって、「アズライトの供給がうまくいかずに」を、例えば「この絵具が画家のパレットから消えたしまった」という二度目の方を示すローリーの脚色しすぎた言葉(の要約)と同一視されたのであれば、一度目の事実は消えうせてしまう。

16世紀にハンガリーからの供給が一時期うまくいかなくなり(一度目)、途中で回復するものの最終的に17世紀中葉にその供給が絶たれた(二度目)というのが、ハンガリー産のアズライトの歴史的推移と私は理解しています。二度目の後は、結局ブルーシャンブルーの台頭に押され、西洋の画家のパレットに再来することはなかったとされている。

その16世紀という時代に、ラピスラズリ、アズライト、スマルト、そしてアズライトとおおよそ同等の組成のブルーヴァーディタなどの青顔料に翻弄されだす画家たちをイメージしたのです。それはちょうど、環境破壊という大義名分のもとに多くの顔料が打ち捨てられる現代の画家たちとダブったりもするわけです。


その2.ブルー・ヴァーディタと16世紀について

> その人工顔料であるブルー・ヴァーディタや色ガラスの粉であるスマルトが開発されます。
《よく読むと、16世紀に開発とは書いてませんね。》

私はこの意味が良くわかりません。管理人さんが、《よく読むと》とおっしゃるそ(れら)の書とはいかなるものでしょうか? 

「ブルー・ヴァーディタは16世紀末には工業的に生産されていた。(‥‥)その他の銅青の製造は衰退し、17世紀のはじめには既に廃れていた。」

これは、人工青顔料に関するまとまった内容として重要な英語論文の前半の結論に記された一文です。
「開発」は当然ながら、この論文や既述の英国のことなどの16世紀の動きを踏まえた大いなる「実用化」を意味するのでして、察するに管理人さんが思い込まれたかもしれない「発見」「発明」「史上初使用」等の意味ではありえません。そもそも「開発」には、そのような意味はありませんから。

> やがてブルー・ヴァーディターやスマルトがパレットに現れることになります‥‥)

ただし、ブルー・ヴァーディターとスマルトを同列にして「パレットに現れることになります」としたのはまずかったようです。
というのも、スマルトは、西洋では16世紀に使用されだしたとされるのが慣例ですから、ブルー・ヴァーディターもまったく同じレヴェルで使用されだしたという解釈になりかねない。
 例えば、『絵画材料事典』では、スマルトは「16世紀末には用いられ始めていたらしい。」(p.155)

 しかし、私の認識は異なるのです。
●Thissen, J. / Mühlethaler, B.,“Smalt”, Studies in Conservation, vol. 14, pp. 47-61, 1969 (Roy, A.,“Artists’ Pigments Vol. 2”, 1993再録)
 によれば、「ペックマン(1864)やその他によると、スマルトはヨーロッパ人の発明だった。彼とメルツェル(Meltzer)は、ボヘミアンのガラス職人クリストフ・シューレル(Christoph Schürer)の発見(1540-60年)だとしている。ヨーロッパの資料は、ゲッテンス/スタウトや最近ではハーリーによって再調査されている。後出の著者達によれば、いわゆるヨーロッバの発見より数世紀前の中東で、ある種のスマルトが最初に製造されたらしい。」
 西洋以外としては、『絵画材料事典』の上記引用の後にアジアの11−13世紀の使用例。

●Lazzarini, Lorenzo, ‘The Use of Color by Venetian Painters, 1480-1580: Materials & Techniques’, Color and Technique in Renaissance Painting Italy and North, ed. Marcia B. Hall, New York, 1987.
 によれば、ティツィアーノの1519-26年頃作の『ペザーロ祭壇画』(カンヴァス, Ch. of S. Maria dei Frari, Venice)で同定。

つまり、スマルトの製造にまつわる変遷でなく、仮に西洋画での使用例に限れば、上の文献から明らかなように、16世紀末ではなく16世紀初期には確実に使用されていた訳ですから、製造はそれよりも遡る。
遡りはするが、では『ボローニャ手稿』のラピスラズリの処方に出てくる「smalto」もここでいうsmaltなのかといえば、現時点では肯定されていない。この手稿が1425-50年の成立とされていることを前提にするかぎり、15世紀末から16世紀初期の製造というのが最新の情報となる。

以上のように、因果関係、あるいは未確定さを含めて考えると、その来歴が異なるブルー・ヴァーディタとスマルトを一緒に述べようとした結果、「開発」という語を使用せざるを得ない、とすることは許容の範囲と考えます。



 その3.16世紀に開発されたブルー・ヴァーディタと《中世の写本に出てくる銅から作る青とは、どれぐらい違うのだろうかという質問》について

これは、8世紀頃の『ルッカ手稿』と12世紀頃の『マッパエ・クラヴィクラ』に見られる初期の処方と、既に管理人さんもお持ちのM.P.メリーフィールドの『原史料集』に含まれる1431年『ジャン・ル・ベーグ手稿』のそれと比較すれば、「どれぐらい違うのだろうか」は、おおよそわかるものと思われます。

※8世紀頃の『ルッカ手稿』と12世紀頃の『マッパエ・クラヴィクラ』に見られる処方は、ルーベンスのスレッド「再び、リューベンスの青について」(2002/10/03 09:43:29)に載せてあります。

人工青顔料は、銅系、コバルト系、鉄系などがあるわけですが、ブルー・ヴァーディタは、エジプトブルーと同じ銅系に属する。
銅、珪素、カルシウムを主材料に使うエジプトブルーは、
「古代ヨーロッパ人はエジプトブルーを十分に模倣できず、その製法の秘密はA. D. 200年から700年の間は失われていた」J. P. Partington, ‘Origin and Development of Applied Chemistry’, Longmans, Green and Co., London, 1935, p. 118 (『絵画材料事典』邦訳p. 108)
このエジプトブルーが9世紀のフレスコ画で同定された。
●Lazzarini, Lorenzo,“The Discovery of Egyptian Blue in a Roman Fresco of the Mediaeval Period (Ninth Century A. D. )”, Studies in Conservation, vol. 27, No. 2, 1982, pp. 84-86.

この9世紀という時代には、既に先立つ8世紀頃の成立とされる『ルッカ手稿』があり(しかしエジプトブルーに群がる処方は見当たらないが、ブルー・ヴァーディタの処方が現われる)、また、12世紀頃にはその手稿の処方を多く孫引きしながら肥大した処方の寄せ集めの『マッパエ・クラヴィクラ』がある。

中世の処方は、銅板と酢を使ったごくシンプルな処方から、銀板(実際は銀に含まれる不純物としての銅と反応)と酢と石灰を、馬糞の熱を利用する処方へと移行するものの、ルネサンス期以降、それは更に開発されて、いくつかの材料が加わり、あるいは省かれ、時代は流れ、工程もより複雑化し、工房での手作業から工業化へと発展する。その時点が16世紀ということです。とはいえ、17世紀の『ド・マイエルン手稿』に象徴されるように、実行不可能な処方や、古い処方も相変わらず残されていく。

14〜16世紀の処方に特徴的なのは、ヴェルディグリ(一水化酢酸第二銅)を原材料としている点。実際の工業化したものの処方は未見。

ちなみに、ブルー・ヴァーディタの顔料見本は、
Ashok Roy, Editor, “Artists’ Pigments – A Handbook of Their History and Characteristics”, vol. 2, Oxford University Press, 1993, p.31の13図に載っています。

ふう、ちと疲れた。

都美館でやっていたときに行きそびれた「栄光のオランダ・フランドル絵画展」を、やっと神戸市立美術館で観てきました。
1.ルーベンスより10歳ほど年上のヤン・ブリューゲル(父)の「動物の習作」の下地が、ルーベンスのそれとほぼ同じ処理(グレーの刷毛目)をしていることの確認。
2.銅版に油彩したアブラハム・テニールスの猿の戯画2枚。
3.木枠でなく、木板で裏打ちされたカンヴァスに描かれたヘラルト・テル・ブルフの「林檎の皮をむく女性」の保存状態
4.もちろん今回のメイン、フェルメールの「画家のアトリエ(絵画芸術)」の平均粒子10μのラピスラズリ
以上は特に印象に残りました。


顔料 (4)」へ続く。


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