2009,08,28, Friday
悪名高いビチュームであるが、実際に使ってみたことはなく、遠巻きに見ているだけというのもどうかと思ったので、試用してみることに(ビチュームに関しては、ド・ラングレ(著)『油彩画の技術』の第6章「近代の技法」等を参照のこと)。
で、俵屋工房さんより送って頂いた、KREMER社のビチューム。 ![]() なお、以前の画家が被害を被ったものとは少々違うものらしい、という話を聞いています。 練ってみると、油がけっこう大目に必要な感じであるが、油との馴染みは非常に良い。 ![]() なお、ビチューメンの性質をいろいろ読んでいたので、高い大理石パレットとかもったいないから、建材用のサンプルの大理石板を練り板として使用。最後に洗浄するときに、この判断は正しかったと思った。 続いて、Natural Pigmentのギルソナイトを試す。 ![]() ギルソナイトは、アメリカのユタ州で採掘されるアスファルトで、絵画材料としてはいまいち名前を聞かないが、インクとか色材全般では、なかなか活躍しているようである。 http://www.nissin-ink.co.jp/1-6syahou/inkhananikara/inkha-7.htm ![]() なんか、みょうに綺麗ですな。 ビチューム的性質を持つ色材として、ヴァン・ダイク・ブラウンとも比較しよう。 ということで、↓はNatural Pigmentsで購入した、カッセル土(ヴァン・ダイク・ブラウン)。 ![]() ヴァン・ダイク・ブラウンは、主にドイツのカッセル、あるいはケルン付近で採れる有機質の天然土で、カッセル土(Cassel earth)、ケルン土(Cologne earth)とも呼ばれる。マンガンを含む酸化鉄と褐炭、その他の不純物からなるようである。ビチュームとの大きな違いは褐炭(Lignite)か、瀝青か、という感じであろうかと思うのだが、まだまだ勉強不足でよくわからない。絵画材料事典によると「タール及びビチュームの性質があるので顔料は退色性がある。強い日光に当てると色があせ、冷たい灰色調が進行する。しかし油と混ぜると水彩の時よりは耐久性がある。顔料は油やワニスに溶解し、これらに染まりついているらしい。・・・」 ビチュームの欠点は、褐炭でも言えるがそれほど極端はないように感じる。また、ヴァン・ダイク・ブラウンは酸化鉄、アルミナ、シリカなどの不純物が多く、褐炭に耐久性の問題があっても、ビチュームほど大きな問題にはならないような気もする。いずれにしても、ヴァン・ダイク・ブラウンは避けてきたので、まだまだ経験不足だが、今後もあまり頻繁に使用するべき材料とは考えていないので、なんとも。ちなみに、市販絵具のヴァン・ダイク・ブラウンは、酸化鉄の茶と黒を混合したものが多いようで、ほとんど慣例名である。アンバーと黒を混ぜて使うのは、いつもやっているので、手間が省けるような気もするが、その時によって量を調整しながら混色するのだから、やはり市販のヴァン・ダイク・ブラウンを買う理由がない。 参考までにWinsor&Newtonのヴァン・ダイク・ブラウンのラベルをどうぞ。 ![]() 黒と混ぜたり、白と混ぜたりなど、いろいろなパターンで試し塗りしてみる。いずれは重ね塗りもやってみたいが。 ![]() 試みはじめた段階なので、乾燥性やらひび割れ等に関してはまだまだわからないが、とりあえず、絵具周囲の油染みが汚い。油に不要な顔料なら、染み出すのは主に媒材だけだが、微妙に染まった油染みである。これがアスファルトは油に溶ける、という意味だろうか。ヴァン・ダイク・ブラウンはそんなことはないし、ギルソナイトでもこれほど酷くない。 褐炭と瀝青はどのように違うのか。 とりあえず、ライターで炙ってみることに(危険ですので真似しないようにお願いします)。 まずは、ビチュームを炙る。 ![]() 火は着かず、溶ける。このまま道路の補修に使えそうである。 ギルソナイトも同じ様相になる。 カッセル土(ヴァン・ダイク・ブラウン)を炙る。 ![]() 着火というほどでもないが、火花が散る感じでチリチリ燃えている。 なお、ライターの火力は大したことがないので(炭に火を付けるのも難しい)、そのうちバーナーでやってみたい。 ともかく、まだまだわからないことだらけで、この記事の内容も、いまいち信憑性に欠けるレベルであるが、絵画材料としてはともかく、いろいろと面白そうな物質なので、もうちょっと触ってみたいかと。 |
2009,08,16, Sunday
大田区から世田谷区の多摩川周辺に古墳が多数あるというので、さっそく出かけてみる。
具体的には、多摩川駅からスタートして、多摩川台公園の古墳等を訪れつつ、その後も一帯に散在する古墳を見ながら等々力駅まで歩いてゆくことに。 参考にしたのは「大田区古墳ガイドブック」の古墳散策マップ。 ネット上では↓こちら様に掲載されております。 http://inoues.net/ruins/tamagawadai.html http://inoues.net/ruins/tamagawadai89.jpg そのようなわけで、多摩川駅到着。 ![]() 多摩川台公園は↓こんな感じである。 ![]() まずは多摩川公園の南東隣にある、浅間神社古墳を覗いてみる。 ![]() 古墳は浅間神社社殿の真下にあるようで、現状では全く往時の様子が忍ばれない。 で、多摩川台公園にて、とりあえず荏原古墳群最大の前方後円墳であるという、亀甲山古墳に到着。 ![]() 木が生い茂っていて、古墳の形はほとんど判別できない。冬に枯れ山になったところを撮影した方がいいのか。 ![]() で、八基から成る多摩川台古墳群を順次、デジカメで撮影しながら見てゆく。 ![]() 1号墳 ![]() 2号墳 ![]() 3号墳 ![]() 4号墳 ![]() 5号墳 ![]() 6号墳 ![]() 7号墳 ![]() 虹橋を渡る。 ![]() 8号墳 ![]() 宝莱山古墳 ![]() ここで多摩川台公園が終わり、この先は田園調布の住宅地を歩くことになるのだが、次の目標である観音塚古墳が見つからなくて、無駄にうろうろしてしまった。後から調べたら、宅地になっていて、もう形跡はないようである。その他、古墳散策マップには「西岡○号古墳」という番号付の古墳が多数掲載されているけれど、いずれも宅地になって消滅しているようで。はじめのうちは、それらしいものが見えないかと思って、地図を頼りに歩いてみたが、細かい古墳は早々にあきらめ、大きめの古墳を目指して歩くことに(ちなみに西岡なんとかという番号は多摩川台公園等の著名な古墳にも順次振られているようであり、地図を見る限り50以上になる)。 とりあえず、散策ルートに沿って、↓みたいなところを延々歩く。 ![]() 真夏なんで、すげぇ暑い。 しばらくして、ようやく古墳らしきものが見えてくる。 ![]() この宇佐神社の裏山に八幡塚古墳があるという。 ![]() ありましたな。立入禁止だけど。 ![]() またまた歩くと狐塚古墳に。 ![]() 尾山台クラブとかいう表示があって、非常に狭い階段みたいなのを登っていくと、こんな感じのミニ公園?みたいになっていた。 それにしても起伏の多い地形ですなぁ。 ![]() これを登れというのか。 ![]() しかし、世田谷に入ったあたりから、下図のような道案内があちこちにあって、迷わずに済むようになった。 ![]() 御岳山古墳 ![]() このあとは、等々力渓谷に突入。 ![]() ↓等々力渓谷マップ ![]() 渓谷は地上よりずっと涼しくて快適である。 ![]() 3号横穴 ![]() 渓谷はまだ続く。 ![]() 途中、渓谷を出て、野毛大塚古墳を見るはずが、思わずスルーしてしまった。 等々力駅到着。 ![]() |
2009,08,09, Sunday
先日、宮城県図書館にて「宮城県黒川郡大郷町古墳発掘調査報告 - 昭和42年度調査」を閲覧し、大小寺古墳、及び、勢見ヶ森古墳という古墳の存在を知りまして。大小寺古墳は、12基から成る古墳群主墳であるという。雑木林の中にあったが刈り取ってみたら墳径25メートルの堂々とした古墳であった、そうなので、さっそく大郷町鶉崎大小寺周辺を適当に回ってみたが、それらしいものは発見できなかった。手がかりは、上記調査報告書の地図なんだけど、非常に位置の特定しにくい地図で、しかも40年以上前のものだから道路もずいぶん変わっている。まぁ、場所はそのうち町役場にでも聞いてみようかしらということで、あまり時間もないので、第二の目標である勢見ヶ森古墳の方へ。
大郷町ホームページに勢見ヶ森公園となるものが掲載されているので、たぶん、そこなのだろうということで向かってみる。例によって、場所とかアクセス方法が全く記されていないが。。。まぁ、そんなに難しくはない。おおよそ大和松島線沿いである。 車一台がようやく通れる山道を抜ける。 ![]() 古墳の標識発見。 ![]() 登ってみる。 ![]() 頂上に前方後円墳の形になっている遺構があった。 ![]() ちなみに、柵で囲まれているところが前方部分で、現在は浄水施設になっている。 しかし、前方後円墳だとしたら、小さすぎるし、そもそも大郷町に前方後円墳があるとは思えない。 詳細は↓参照。 ![]() 調査報告書でも、古墳なのかそうでないのか、微妙な感じに書かれている。いずれにしても、大小寺古墳を見つけなければ。 公園というだけあって、一応、ブランコと滑り台、トイレがあった。 ![]() |
2009,08,02, Sunday
我が町の古墳について調べようと思い、大和町史上巻(昭和50年刊)の古墳時代について読むと、まずは黒川郡域の古墳全般について述べられているのだが、そこで最初に写真、図を伴って取り上げられているのが大崎町の諏訪古墳である。どうも、大和町の鶴巣から大郷町にかけて、多数の古墳群が存在したらしい。ちなみに、宮城県の本格的な古墳は仙南地域に在って(東北最大の古墳である雷神山古墳など)、それに比べると黒川郡の古墳は、数はともかく、サイズ的に小さいようである。なお、泉市史を見ると古墳のような遺跡はない様子で、在るところには在るが、無いところにはやっぱり無いのか。大和・大郷地域でも吉田川を境に南に古墳が集中し、北側にはないということである(参照したいずれの資料も相当古いので現在の発掘状況とは異なるかもしれない点ご了承下さい)。そんなわけで、大郷町の代表的古墳かと思われる諏訪古墳、大和町史には埴輪を並べて復元した写真が載っていて、なかなか壮観であり、ちょっと見てみようという気になったりしたわけである。
しかしながら、位置に関する情報が全くない。 Webで検索して見つかったのは、下記のイラストMAPのみ。 http://www.nandemomiyagi.com/district/016kurokawa/016_1osato/index.htm 大郷町役場の上の方に古墳の絵が描かれているところがそうである。円墳のはずなのに、イラストは前方後円墳になっていますなぁ。まぁ、とりあえず、ヒントはこれだけ。町史によると、諏訪古墳は、大郷町粕川海老沢地区にある海老沢古墳群に含まれるとある。粕川海老沢というあたりまでは特定できたので、とりあえず行ってみることにした。 大変だろうと予想して向かったのだが、田んぼのなかにじつにわかりやすい感じの盛り上がりがあり、なんの苦労もなく発見できた。 ![]() 数十年前に復元されたときとは、だいぶ様子が変わっているけれど、これはなかなか堂々とした立派な古墳であります。 ![]() 町史によると、この一帯は「太平洋戦争直後のころに、円分が大小十数基あったのであるが、現存するものとして埴輪をもつ古墳は、二基だけである。その一つは、諏訪古墳であり、他の一つは山中古墳・・・」とある。こんな感じで、大和町鶴巣から大郷町にかけて古墳が多数存在するようである。 なお、宮城県図書館の蔵書検索を行なうと、諏訪古墳の発掘調査報告書がヒットしたので、先日訪れた鳥屋八幡古墳の調査報告書と合わせて、閲覧しに行ってみた。両方ともかなり古い記録であり、頁数も少なく、半手作りっぽい感じの冊子であった。大和町史の執筆者は意外と気合いが入っていたようで、上記2件の発掘結果について、かなり細部までフィードバックしていたので、新たな情報となるものでもなかった。その代わり、大郷町の古墳発掘調査報告書として、大小寺古墳、勢見ヶ森古墳の2件を扱ったものがあった。こちらも非常に古い冊子だが、ぎりぎりで著作権の保護期間内であり、権利保護の為、全部の複写は認められなかった。教育委員会の報告書など共有の財産ってことでフリーしてもいいじゃんって気もするが、とりあえず、古墳の位置を示した地図の部分だけ複写して、再び大郷町へ向かう。が、それに関しては後日エントリーするということで。 |
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