2017,06,30, Friday
庭に植えた西洋ナラ、たいへん大きく成長しており、昨年ドングリがいっぱい落ちました。
拾って植えたり、または勝手に生えていたりなどしていくつか芽が出ており、それらが、どんどん伸びてきているわけですが・・・ 以下、それらの写真です。 ![]() ![]() ![]() いずれも、葉っぱの形が微妙です。 西洋ナラの葉は本来こんな感じになのですが。 ![]() 同じ庭に在来のコナラとミズナラも植えているので、もしかしたら、それらから受粉して、中間種みたいなものになっているのかもしれません。まぁ、これから大きくなるのを見守ってみることにしましょう。 |
2017,06,27, Tuesday
最近、バロック美術の本を買い込んで読んでおります。我々になじみのあるような静物画や風景画などのジャンルが登場するのはバロック時代からであり、ほとんどの洋画家にとっても参考となるのはバロック以降の絵画だと思いますし、私もルネサンス絵画と比較するとバロック絵画の方がいいかな、と思うわけですが、バロック美術について実はそんなにしっかり知っているわけではなかったと思い・・・。バロック音楽の本はなぜかいっぱい読んでるんですけどね。
というわけで、バロック美術について勉強中なのですが、手始めに宗教改革の本を読みました。 深井智朗(著)『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』 バロック美術について考える上で、宗教改革という歴史的出来事は、切っても切れない深い縁がありますから、まずはそちらからということで。 本書を読んでみて大変勉強になりましたが、個人的にまとめてみますと、たいていの本では”免罪符”と言っているけれども、正確には”贖宥状(しょくゆうじょう)”の方が正しいとか。何か罪を犯したならば、教会で「告白」し、その罪に見合った償いをすること(償い)が必要であり、カトリック教会では、その償いに相当する修行をさせてストックしておいて贖宥状として販売していたと。ある程度は商品生産みたいな感じだったのかもしれません。現代では考えられませんが、宗教が支配する世界だったら、そういう製造業も有りかもしれないという気がしないでもないです。 しかしながら当時の神聖ローマ帝国に含まれる所領からローマ教会が贖宥状などで莫大な利益を吸い上げてゆく構図を、市民や職人階級が好ましく思っていなかった面もあったようです。ルーカス・クラナハのような大工房を運営する画家が、なぜ宗教改革側に荷担したのか、という点が気になってはいたのですが、画家という立場なら、カトリック側に居た方が、華々しい祭壇画などの仕事があって、画家としては利益と名誉の両方を得られたのではないか、と思われるのですが。出版という最先端の技術の方が儲かるというクラナハの先見性があったから、というふうに考えられなくもないですが、でも、贖宥状みたいな形で現金がどんどんローマ教会に吸い取られていくという構図があったら、そっちに流れてしまう金が回ったらそっちの方がいいでしょう。 宗教改革はルターがヴィッテンベルク市の教会に95ヶ条の論題を打ちつけて始まったとされていますが、実際にはそれは後に付けたされた伝承かもしれず、はっきりしているのは書簡として何人かに送っただけったとか。それがやがて、後にプロテスタントという宗派を産むようなことは考えておらず、既存のカトリックを改善するというぐらいのものだったらしいのですが、その後のカトリック側との対立などで、結果的に宗教改革という大事件になったと。プロテスタントといっても、数多くの活動があって、それぞれの流派で改革の度合いも異なる。ルターはそもそもが先のような意図だったので、カルヴァン派などと比べるとカトリックとそれほど大きな差は出てこないわけですが、カルヴァン派が主流となったオランダでは教会から、装飾や絵画が消え、風俗画や静物画などが隆盛する状況が生まれたという具合に、プロテスタント諸国でもその宗派によって、美術史的にも違う流れが出来ていったのだなぁと思います。各地の違いについて、ちょっと確認していきたい気もします。 なお、本書の後半は、現代までに続く保守主義とレベラリズムにも宗教改革が影響しているという話になっており、これもなかなか興味深いと言えるでしょう。 |
2017,06,21, Wednesday
沓掛俊夫(翻訳),アルベルトゥス・マグヌス(著)『鉱物論』を読みました。
薔薇の名前に関する動画を収録しているうちになんとなく気になって買ってみた次第です。映画とはあまり関係ありませんが。アルベルトゥス・マグヌスは中世神学の頂上トマス・アクィナスの師であり、西洋へのアリストテレス学問の導入に積極的だった人物で、後の影響は多大と言えるでしょう。「・・・ロジャー・ベーコンとともに実験科学の創始者の一人ともみなされている・・・」とありますが、ある程度、観察や実験に取り組んだようです。観察と実験の精神はいまいち後世に引き継がれなかったようですが、いかほどのものか気になるところです。というわけで、読んでみましたが、石や宝石について説明はかなり斜めに飛ばしながら読んでしまいました。述べられている説が現代の常識からはかけ離れているので、付き合っていくのが大変なのですが、古代からアラビアの自然学などを踏まえた内容なので、そういう意味ではしっかり読むべきなのかもしれませんが、今はいいかなと。医学的な関心が高いようで、宝石のパワーについて延々と述べられており、やはりこれが中世の医学かという感じです。それもまた重要ではあると思いますが、大半は飛ばしてしまいました。というわけで、絵画材料的に注目すべきは金属について述べられた章だと思います。鉛を強い酢の上記にあてて鉛白ができることや、それを焼くと赤くなったり、黄色くなったりなど、そういう具体的なこともさらっと書かれてあります。要注目と言えましょう。大半はたぶん古代の書からの引用で、実際どこまで追試したかはわかりません。ウィトルウィスやテオフィルスの場合は技能書なので、手順が克明に書かれていますが、こちらは事典的な記述ではあります。そして、そのあとに、その変化が起こる原因を理論的に、科学的に説明するわけですが、そこがなかなか難物です。この本の説明では、金属は基本的に硫黄と水銀からなっており、その比率によって鉛とか鉄とか銅、金などの金属になるという理論です。現代ではそれぞれの元素だというのを知ってますが、そういう知識がなければ意外とそうかもなという感じに妙に説得力があります。そのような説明が続くので、やはりどうしても違和感を感じずにはいられないのですが、そのように本気で考えていたのだという点は重要かと思います。テオフィルスなどの技法書は変化の理由まで書かれておらず、ただ使用方法を述べているから、その違和感がないだけかもしれません。テオフィルスの技能書の方はこれより百年くらい前に書かれたかと思いますが、あちらは材料をかなり正確に把握しており、記述の通りに試すとだいたい上手くいこともあって、かなり科学的に正確な書だという印象があるのですが、それはただの錯覚かもしれません。私はテオフィルスやチェンニーニ、あるいはずっと昔のウィトルウィウスの書を非常に信頼しており、具体的で実践的だと常々感心しておりますが、その具体的な記述の後に、古代~中世に常識だったその原理の説明があったら、やはりちょっとした不信感は感じずにおれなかったでしょう。ちなみに、宝石の章でも、ラピスラズリの解説もあったりして(インドから来るってありましたが、フランスでも採れるとか。たぶん、アズライト等との混同もあるでしょう)、よく読んだら、金属の章以外もきっと(絵画材料的に)重要なところがいろいろあると思います。いずれにしても、このような本の日本語訳があるというのがすごいですね。 |
2017,06,21, Wednesday
映画『薔薇の名前』について語る第4弾、最終回です。
相変わらず動画の再生数が延びませんが、仕方ないとこです。本ブログでは原作についても語らねばならないと思いますつつ久々にページを開いてみましたが、原作を読んだのはかなり昔の話でして、それからヨーロッパ中世に関する本をやまほど読んだということもあって、改めてあちこち見てみたら、何気なく出てくる人名とかが、みんなけっこうなじみ深いものだったりして、非常に面白いとか、そんなレベルじゃないくらい興味深いという感じでだいぶ印象が変わりました。中世神学とかその辺も踏まえると益々楽しめるものだと思いました。今すぐ読み返してみたいところですが、思わず中世関連の本をまとめ買いしてしまったので、それを読んでからの楽しみとしたいと思います。そして、原作について語るにはまだまだ勉強不足だと感じたので、それは止めにして、その他のことをちらほらと。 動画ではカタコンベについて話題になっていますが、ヨーロッパの大きな教会や聖堂の地下にはたいていカタコンベというものがあって、髑髏がやまほど積まれています。そして、たいてい見学できるようになっています。ガイドツアーに参加する形式が多いようです。ただし、有名な聖堂の場合は、整備され過ぎてしまって、綺麗すぎてリアル感がなくなっていることもあります。ウィーン市だと、有名なシュテファンドームのカタコンベは、観光客向けに綺麗になり過ぎていたかな、という記憶があります。ウィーン市ですと、聖ミカエル教会のカタコンベが比較的昔のままのリアルさを残していたような気がします。 昔のことなので、記憶が曖昧なのですが、以下の動画がたぶんそれかな、と。 映画に出てくるようなカタコンベではありませんが、カプツィーナー納骨堂は必見と言えるでしょう。マリアテレジアを初めとする、ハプスブルク家の納骨堂で、世界史に登場する皇帝、皇后、その子孫らが埋葬されているのですが、マリアテレジアの棺の豪華さはすさまじいものがあります。奥の方にゆくと非常に小さな棺がたくさんあるのですが、親近婚をくり返すうちに乳児死亡率が高くなっていたようで、小さな棺が並んでいる部屋はちょっと怖い感じがしました。最近ではオットー・フォン・ハプスブルクも埋葬されたそうです。神聖ローマ帝国もオーストリア帝国も今は無くなっていますが、私などには全く縁がないことですが、ハプスブルク家は今でもヨーロッパ貴族階級の頂点として君臨しているのかもしれません→『世界の富の99%はハプスブルク家と英国王室が握っている』 私がいろいろ訪ねる機会があった図書館の中でも、もっとも印象に残っているのは、ウィーンのプルンクザールです。 かつて王宮だった建物の一角にかった記憶がありましたが、なかなかすごいです。薔薇の名前とはそんな関係ないですけれども、豪華本も多数拝めます。 https://www.onb.ac.at/en/rent-support/renting-premises/state-hall/ 図書館としては大英図書館が有名ですが、昔は大英博物館内にあったのですが、現在は図書館は別に場所に移動しています。図書の閲覧は研究者などではないとできなかったような気がしますが、展示室があって、有名な図書を見ることができました。ベオウルフの写本とか、マグナカルタなどあったような。けっこうたくさん見ることができました。 |
2017,06,18, Sunday
私もかつて学生時代に哲学書を読もうと試みたことがありましたが、難解な本が多くて挫折したものです。けっこう、かなりに熱意を持って理解しようとしてみたはずではあったのですが・・・。一昔前の解説書、入門書は酷いものが多かったと思います。いいものもありましたが、大半はそれはそれはもう・・・。そして、原書も今思うと単に難解だったというより、どうも翻訳も無駄に読みにくい感じに訳してしまう傾向があったように思います。それを差し引いても哲学書は一般的に難解で、そして分量も多いというのが常ですが、そもそも哲学書は優れた講師の授業とセットで成り立つものなのかもしれません。日本だと、哲学専攻でない限りは、偶然そういう講義を受講できた場合に出会えるという類いのものと言えるでしょう。けれどもやはり洋画専攻としては、西洋人的には西洋哲学はベースの教養としてあるのだろうな、という面もいろいろ感じることがあるわけで、教養としても捨て置けないところあるのではないかという気はします。まぁ、私としては存在論に関心が高くて興味津々だったわけですが。
哲学入門にはよい導き手が絶対不可欠であろうと思います。しかして、最近の哲学入門書は非常に解りやすくなっているということに気が付いてここにきていろいろ読みあさっています。もちろん今でも駄目な入門書はいっぱいあります。特にマンガ化系は総じてちょっとどうかなというのが多かったです。酷いときには書物の内容では無くて、ほとんど著者の人生を描いただけみたいなものもあり、伝記マンガとして売るならともかく、書物をマンガ化したと騙って売られているので注意して欲しいところです。かりにコンパクトにまとめられていたとしても、哲学書の場合はあまり簡単にわかるようにしてもいけないところがあります。結論も大事ですが、そこに至るまでの工程とか考えみたいなものも非常に重要な役割を果たしているものなので、大著をそれなりに追っていく感じも必要かと思います。というわけで、最近買ったの中で特によかったのが、竹田青嗣(著)超解読!はじめてのカント『純粋理性批判』です。難易度のバランスが最高と言えるでしょう。というようなことは、素人の私に判断できることではないのですが、でも書評を見てもそんな感じです。こうやって触れてみると、カントの方はけっこう明快な理論ですよね。たぶん昔からある訳語のせいで損している部分もあるかと思います。内容を簡単に言えば、物が存在するといういかなることか、存在の原因となる絶対者は居るのか、そのような存在論の重要なテーマを人間の認識力で理解することができるのか、論じることが、あるいは証明することが可能なのか、ということを検証するというか、言い換えると何処までが人間の認識が扱える範囲かというの検証している、という感じの内容ですが、その工程とか結論には同意できるところとそうでないところかいろいろあるかと思います。しかし、後の世からこうしてみると、その後の存在論の展開とかどばっと出てきそうな感じになってるような気がするのは気のせいでしょうか。他にもいろいろい買っているので、徐々にレビューしていきたいところですが、同時にやはり存在論について私見も述べていきたいと思います。私は別にそんなことを述べる程の人物ではないのですが、しかし、常々思うのですが、日本の洋画家に限れば、存在の驚異を描けているのは岸田劉生ただひとりなのではないか、という持論について検証していきたいところです。 |