2018,05,28, Monday
画家鳥越一穂氏の作品が届きました。
鳥越一穂氏、および作品等について詳細は下記を参照ください。 http://torigoeart.wixsite.com/medici 今回はM10ということで、これまでのたぶん巡回している作品の中では大きなサイズかと思われます。 さっそく設置してみました。 ![]() いろいろと聞きたいことも多かったので、せっかくですから、作者に語ってもらいつつ動画にしてみようということになり、以下の動画を作成するに至りました。よかったらご覧ください。 まずはモチーフについてです。 非常にモチーフの多い作品で、西洋絵画、とくにバロック期あたりの静物画を見慣れていると、けっこう馴染みのあるモチーフが多々出てきます。テーブル中央には蟹、これはやはり西洋の静物画にはよく見かけるモチーフでもっと大きくデカデカと描かれていることもあります。蟹、魚などは私も取り組んでみたいモチーフです。もっとも、一般的日本人、というか別に西洋人でも、現代ではどれくらい共感を得られるか、言い換えれば、売上に繋がるか、という点は心配なところがありますが、作者本人に聞いたところでは、やはり売りにくい要素だとのころでした。その他、各モチーフについて語って頂いております。 次は技法面です。 作品の表面はとても綺麗です。おそらくはきちんと油、樹脂等のメディウムを追加しつつ描画し、仕上げニスも塗布してあり、油絵らしい艶やかな画面となっています。キャンバスから制作工程などについて語って頂きました。 |
2018,05,23, Wednesday
4月から勤め先が変わって、自家用車で片道55分かかるようになったので、その間に、買いためていたBOX CDセットなどを順次聴いていくことにしました。何しろ往復2時間ですから。仙台の町中は常日頃から渋滞しており、私がこどもの頃からずっと渋滞で、その後数々の道路ができてもやっぱり渋滞しているということは、きっとそれだけ繁栄しているということで、まぁ、東北の他都市の状況から考えたらきっといいことなんでしょう。ちょっと疲れますが。それはともかくとして、ここ数年、紙ケースに入った輸入盤ボックスセットが大変安価に売られているので、思わずぽんぽん買ってしまうけれども実際にはほとんどケースから出しもせずに積まれてゆくという状況であって、これもなんとかしたいとは思っているところで。私が学生の頃はクラシックのCDもめっちゃ高くて種類も少なくて、3000円くらい出して買った1枚のCDをひたすら熱心に聴き込んだものですが、最近は3000円で10枚以上入ったBOXが買えて、そして、ヘタすると開封もせずに積み上げられていくという嘆かわしい状況ですが、昔に戻りたいと思ったことは一度もないです。
まずは、指揮者クラウス・テンシュテットのEMI録音ボックス(CD14枚組) Klaus Tennstedt - The Great Recordingsというのを聴き通してみましたので、印象に残ったものをコメントしておきたいと思います。 CD1:ベートーヴェンのエロイカ、第3楽章がよかったです。ふつうスケルツォはそれほど重要視されることはなさそうな感じですが、これはなかなか立派なスケルツォであり、個人的は初めてこの楽章の素晴らしさを実感した感があります。 CD2:ベートーヴェンの田園ですが、これは素晴らしい。私は初めて田園の素晴らしさを知った、という感じがします。特に4、5楽章がとても良い。ドラマチックな中にも交響曲的な美しさもありで、数多ある田園の録音の中でも一押しと言えるでしょう。 CD5:ブルックナーの交響曲第4番ですが、第1~第2楽章は私が聴いた中ではベストと言える演奏かと思いました。3楽章以降はケルテスの方がいいかなぁと思いますが。 CD6:ブルックナーの8番。これは以前から聴いており、個人的にこの曲で最もよく聴く録音であって、けっこう万人にお薦めと言えます。 CD9:これはR・シュトラウスの交響詩ツァラトゥストラかく語りき、及び死と変容などが収められていますが、いずれもいい演奏です。死と変容はけっこう感動的でした。 CD11:ワーグナーの管弦楽曲集、主に各オペラの序曲ですが、中でもローエングリンが気に入っています。トリスタンとイゾルデの序曲がなかったの残念です。なお、指輪のハイライト管弦楽曲集もありましたが、これは個人的には期待が大きすぎたせいもあり、ちょっとガッカリでした。テンシュテットのテンションで全曲演奏など聴いてみたかったところですが、存在するのでしょうか。 CD12:メンデスゾーンの交響曲第4番イタリアですが、この曲はもともとあんまり好みではなかったのですが、この録音を聴いてちょっといいなと思いました。 実はテンシュテット自体を知ったのが数年前であり、そんなに詳しくないのですが、まだ知らない方がおりましたら、このBOXは大変お買い得と言えるでしょう。テンシュテットはマーラー指揮者として知られているようですが、私はマーラーはあまり聴いてこなかったので、この機会にテンシュテット指揮のマーラーのBOXの方も買ってみようかと考えております。 |
2018,05,06, Sunday
荒木慎也(著)『石膏デッサンの100年 石膏像から学ぶ美術教育史』読了
昨年アトリエラポルトさんにお邪魔したときに、大変面白いとお薦めされた本ですが、ようやく読みました。確かにこれは面白いです。特にちょっと前の世代で美大受験を経験していると、漠然といろいろ疑問に思っていた事柄が明らかになったり、あるいはそうならないまでも、それなりに明文化されてすこし気分がよくなります。ちょっと内容についてコメントしてみます。 かつて各国の美術館で、石膏像を展示するスペースがあったということ、というよりむしろ石膏像展示がメインともいえるものだったというのは非常に興味深いところです。英国のヴィクトリア&アルバート博物館(これは大英博物館に匹敵するぐらいの大きな博物館ですが)に古代ローマやイタリアルネサンス期、その他いろいろな時代の石膏像が展示されているスペースが今でも残っていますが、これは職人の教育などを重視した特殊な例かと思っていたのですが、実はこのような石膏展示室がヨーロッパとアメリカの大美術館にあったそうで、というよりまさに石膏展示をメインとしてはじまったようなところもあったとか。今のように気軽に海外旅行したり、映像で見たりすることができない頃には、そして古典古代が重んじられていた頃にはかなり有用だったことかと思います。ちなみに個人的に現在、新古典派についての本を読みあさっておりまして、その点でも語りたいことは山ほどあるのですが、それは置いておくとして・・・ 日本の美術教育ということになると、工部美術学校で行われた石膏デッサンは、今日の洋画系でよく使う木炭ではなく、擦筆によるデッサンだったとか、そして作例の写真が掲載されていましたが、これは現代の写実画家養成向けとして復活できそうな要素かもしれません。模写→石膏デッサン→静物や人物デッサン、の流れは理にかなってますよね。使われる用紙の大きさに統一性がないというのもいいのかもしれません。予備校生みたいに職人芸みたいに石膏デッサンできるようになるくらいやってしまうと明らかにおかしいけれども、頭像、胸像、全身像みたいな流れで5~6枚くらいやるならとてもいいんじゃないかと。ま、それは余談ですが。その後、東京美術学校の洋画科では、黒田清輝指導の元、木炭が道具として使われますが、今日見る木炭デッサンとは真逆の性向である、線を重視したデッサンであり、やはり作例が載っていましたが、スカスカに見えて、今の目で見るとこれになんの意味が、思ってしまわないでもないのですが。なお、昔から美術学校の入試向けの美術研究所はあったようですが、東京美術学校の先生が指導していたそうなので、連続した感じの指導になっていたかと思うと、なかなか魅力的なところはなきにしもあらずです。ところで、我々は予備校のことを研究所って呼んだりしてますが、研究というたいそうなものじゃなくて受験準備がメインなのに、なんて研究所って呼ぶのでしょうかね。 それからだいぶ後になりますが、安井曾太郎が東京美術学校で教鞭を執ることになり、安井曾太郎のデッサンは非常に有名ですが、あのような暗い背景に人物が浮かび上がるような迫力あるデッサンがブームとなったと。構図も紙に目一杯石膏像を描くという、現在見る構図の石膏デッサンになってゆく。私はある程度木炭になれてからは背景を塗りつぶして、白い石膏像が浮かび上がるかのような感じで描いていましたが、それは予備校の先輩でそういうふうに描く人がたまに居て、それがたまたま非常に上手かったということもあって、感化されてそうしていたというものだったのだけれども、これはもしかしたら安井曾太郎の指導が、巡り巡って東北の高校生にまで影響した結果だったのかもしれません。今思うとそうだったのだろうと。安井曾太郎のデッサンを知るのは大学生になってからでしたが。 石膏デッサンの是非はともかくとして、私は胸像だけではなくて、全身像の石膏デッサンをやらないと修業として片手落ちなのでは、というのは昔から思ってました。同じような考えはやはりあったらしく、大学や予備校で全身像の石膏を用意する試みは一応行われたことを本書で知りました。ただ、結局それらは活用できずに終わった模様です。なんとしても必要だと思って集めてみたものの、実際には使わずに終わるというのは石膏に限らずよくあることですが、油画1年のカリキュラムにあっても良さそうなのですが。予備校で胸像やってたのをまたくり返すよりは。 さて、もうひとつ外せない話としては、東京芸大の受験改革で、油彩を一次にしてデッサンを二次にするという配置を行なったところ、予備校が受験対策の為の油彩技法、乾燥剤を多量に入れたり等、短時間で描き上げる技法を競って開発し、むしろ美術教育上大きな害をもたらす結果になったという件ですが、むしろこちらの方がよく分析されるべきかと思われます。今更ですが。個人的には石膏デッサンになにか恨みとか弊害みたいなものはそんなに感じず、自分だけでなく、同じ油彩系に進んだ同級生の間でも、石膏デッサンのせいで個性が抑圧されたとか、そんな話は私は聞かなかったというか、我々の世代の頃はそういう論争は終わって、とりあえず割り切ってる感じはあったと思うのですが、それと違って、油彩画を制作するときに予備校時代の変な癖が抜けないというのは散々聞きました。脱するのに10年かかったとか。ただ、いずれにしても、倍率が40倍超えとかになってしまったら、どのような受験方法を採用してもいろいろ矛盾が出てくるのは仕方ないような気も。倍率5倍くらいなら、ちょうどよかったんでしょうけれども。 |
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